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第1章 働かなくてもいい世界 〜 it's a small fairy world 〜

ヒメの闘い

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 コロシアムのムラに来てから6日が経過した。今日はヒメちゃんが初めてコロシアムで闘う日である。俺とマッドとノーコちゃん、バイダルさんとグラン及びその弟子であるパイルとグレンは観客席でヒメちゃんの試合が始まるのを待っていた。

「はー。ヒメちゃん、大丈夫かのう、大丈夫かのう……」

 顔に似合わずオロオロするグレン。なお、セミルはヒメちゃんと一緒に選手控室に居る。

「大丈夫ですって師匠。師匠が稽古つけてあげたんでしょ? それなら勝てるんじゃないですか? 誰と誰が闘うのかまったく知らないけど……」

 気の抜けた慰めをするのは3日前にコロシアムに訪れたグレンさん。甲冑を着込んだ細身の優男という印象を受けたが、ランキング17位の実力者だ。

「ねえ、悪霊さんもそう思うでしょ?」

 そして彼は俺に振る。驚いたことに彼は俺と意思疎通ができ、そのことを知ったグランはちょっと落ち込んでた。それにしても師がグランで弟子がグレンとか、名前が似すぎてて紛らわしい。

(俺はヒメちゃんに勝ってほしいと思ってるけど、見た感じではちょっと厳しそうだな。セミルも勝てないかもしれないって言ってたし。そうだな……、体格的にはそこにいるバイダルさんとノーコちゃんが闘う感じだ。ヒメちゃんがノーこちゃんで、対戦相手がバイダルさん。勝てると思うか?)
「あ、無理ぽいですね」

 撤回早いな。まあ、気持ちは分かる。

(だからこそ、ヒメちゃんに修行をつけてたグランに勝算のほどを聞きたいんだが……)
「大丈夫かのう、大丈夫かのう……」

 さっきからこの調子で聞くに聞けてない。修行を見に行こうとしたら、グランはヒメちゃん連れてどっかに消えちゃったし、この5日間何やってたかさっぱり分からないんだよね。

「お、いたいたー」
「セミル殿。そろそろ始まりますかな?」
「うん」
(ヒメちゃんの様子はどんな感じだった?)
「ん、いつも通りだった。緊張とかはしてなかったね。これなら少しは戦えるんじゃないかな」
(そうか。でも勝つのはやっぱり厳しいかな)
「うーん。そうだね。十中八九、負けるだろうね」

 え、一、二は勝てそうなの? 思ったよりも勝率高く見積もってるな。

「相手はコロシアム初心者だからね。そういった意味ではヒメちゃんも同じだし、爆弾持って特攻すれば一、二は勝てる」
(何だ博打か。って、相手も初心者なの?)

 古代中国武人の敵将みたいなヴィジュアルだったけど。大金槌も持ってたし。

「だって、ヒメの対戦相手に選ばれるくらいだもん。コロシアムでの戦闘経験ナシか、ランキングの低い相手じゃないと対戦相手にならないよ」

 あ、ランダムに選ばれるわけじゃないのね。知らなかったわ。ということは、コロシアムの外で相当鍛えてたってことだな、あの見た目は。ヒメちゃん、運が悪かったんじゃないかな。

「それで、グランさん。ヒメに何を教えたの?」

 オロオロするグランにセミルは尋ねる。このグランの様子から察するに、爆弾特攻を心配してるのかな。ヒメちゃんも勝ちたいって言ってたし。グランはセミルをチラッと見ると、ボソリと呟いた。

「……『外し』」
「……は?」
「『外し』。教えちゃった」
「ちょ、何やってんですか! というか、今のヒメに『外し』なんて教えても意味ないじゃないですか!」
「ははは。グランもヤキが回りましたな。セミル殿の言う通りです。そして安心してくださいセミル殿。『外し』は5日程度じゃ習得できませんよ」
「あ、それもそうか。安心……とは言えないな。まだ教える気は無かったのになーもう」

 そう言ってセミルは頭を抱える。さっきから置いてけぼりを喰らっているが、『外し』ってなんなんだ?

「『外し』とは、膂力の底上げですな。ヒトは無意識的に自分の体が傷付かないようブレーキをかけておりましてな。それを意図的に外す技術です」

 ああ、火事場の馬鹿力みたいなもんか。
 以前にセミルが壁殴って骨折したとき、後で壁をよく見たらヒビが入ってた。あれは感情の爆発でブレーキが外れただけだが、それを意識的に行うということだろう。

「うまく外せれば、自身のダメージと引き換えに通常の5~10倍の力を生み出せるでしょうな。とは言え、ヒメ殿はあの体格ですからその効果も薄い。普通に武器を使ったほうがはるかにマシですな」
「知っちゃうと試したくなるからわざと黙ってたのになぁー」

 そう言ってバイダルさんはハハハと笑い、セミルは頭を掻く。

「できちゃった」

 不吉な言葉がぼそりと聞こえる。

「え、できちゃったってどういうこと?」
「儂だって教える気は無かったの! こういう技もあるよーとか見せてただけなのに、見ただけでできるようになっちゃったの! 儂だって驚いてるの!」

 駄々っ子のようにグランは言う。

「……え、えーーーー!?」
「ほう……。ヒメ殿はなかなかに才能がお有りのようで」
「我が師がそれをいいますか……」
「ヒュー♪」
(あら、ヒメちゃんすごい)
「でも、それってあの体格差ではあまり效果が……」
「これだから○ソ師匠は……」
「馬鹿弟子! 何か言ったか!」
「いえ何も。あ、対戦が始まるようですよ」

 マッドの一言で、みんなの視線がコロシアムに集まる。石畳の舞台にヒメちゃんと対戦相手の大男が上がる。大男は足先から首まで覆われた甲冑を身に着け、ヒメちゃんの身長を超す長さの大金槌を片手で肩に担いでいる。ヒメちゃんはゆったりしたロングスカートで甲冑すら身に着けておらず、片手にナイフを持っていた。

「……逃げ出さなかったのか。とはいえ、勝つ見込みはないだろう? 降参するなら優しく意識を刈り取ってやるが……?」
「……」

 ヒメちゃんは答えない。俯いて、ふるふると震えているのが遠目に分かった。

「恐怖で言葉も出ないか……。安心しろ。すぐに終わらせてやる」

 そう言って、大男はヒメちゃんに向かって歩き出した。

(始まりの合図とかはないのか?)
「もう始まってますよ悪霊殿。両者が舞台に上がったら、始めて構わんのですよ」

 バイダルさんが俺の疑問に答えてくれる。
 大男はヒメちゃんに淡々と近づく。そして、大金槌の間合いに入ると、それを大きく振りかぶった。

「御免」
 
 頭を狙って、横薙ぎに振り払われる大金槌。
 駄目だ、と思った次の瞬間、爆ぜる音が2回して、ヒメちゃんの体が消えた。

「後ろ!?」

 振り抜こうとした大金槌を止めたこと、更には突如として自分の背中に体当りしたヒメちゃんのせいで大男のバランスは崩れ、そのまま前に倒れこんだ。何とか背中にしがみつくヒメちゃんは見慣れない無骨な靴を履いていた。これをスカートで隠していたのか。

(何が起こったんだ!?)
「ヒメちゃんがどうしてもって言うからのう……。瞬間的に移動速度を上げる靴を貸したんじゃ」

 それで大男の攻撃を躱して、背後にしがみついたのか。2回音がしたということは、ダッシュで背後に回り、さらにダッシュして背中に体当たりしたんだろうな。

「ただ『外し』を併用してるからのう。多分ヒメちゃんの膝は、今ので壊れてしまった」

 げ。ならチャンスは接近している今しかない!

「ヒメー」
「すごいです!」
「はは、やるねぇ」
「あの男がだらしないだけです」
(ひめきゅあー! がんばえー!) 
「悪霊氏。何だそれは?」
「必ず勝利する魔法の呪文だ」
「それはすごい。ひめきゅあー! がんばえー!」

 ヒメちゃんはなんとか首元まであがると、噛んでいたナイフを右手に移し、力いっぱい後頭部に差し込んだ。だが、ガイィンと音がしてナイフは弾かれてしまう。

「痛! こら! 離れろ!」

 大男はヒメちゃんを掴もうとするが、ヒメちゃんは小さい体格を活かして何とか躱す。その間に何度も頭にナイフを打ち付けるも、その度に弾かれてしまう。

「ええい! この!」

 大男は転がってヒメちゃんを払い落とす。すぐに大男は立ち上がるが、ヒメちゃんは立ち上がることができないようだ。何とか立ち上がろうとするも膝が壊れて動けないようで、彼女は膝立ちの姿勢で固まる。回復まではもう数秒かかりそうだ。

「まだ戦意があったとはな。だがしかし、残念だったな。俺の頭は石のように固いんだ。ナイフ程度じゃ傷一つ付かない」

 大男はヒメちゃんを見て、彼女が立ち上がれないことを察する。

「しかも、さっきの速さで動くと脚が壊れるようだな……。一回に二度が限度で、回復までに時間がかかるか。まあ、もう油断はしない。さっきの速さは覚えたし、二度は通じないよ」

 回復したヒメちゃんは立ち上がり、ナイフを構える。対して男の方も大金槌を真っ直ぐにヒメの首元に突き出し、距離をとりつつ牽制する構えを取った。ジリジリと距離を詰めつつ、ヒメちゃんが間合いに入るのを待つ。

 先に動いたのはヒメちゃんだ。一歩助走をつけ、さっきよりも早く逆側から回り込もうとする。しかし、男の目はヒメちゃんを捉えていた。大金槌の狙いが彼女にピタリと追従する。ヒメちゃんは無理と悟ったのか、途中で回避するために2回目の移動を使ってしまった。再び爆ぜる音がするも、大男から距離を取ったヒメちゃんは座り込んでしまう。

「逃さない」

 チャンスと見た大男はダッシュで距離を詰め、渾身の一撃を叩き込もうと大金槌を振りかぶる。

「ヒメ!」
(ああ! ヒメちゃんヤバい!)
「ヒメちゃん!」
「がんばったかなー」
「まあ、良くやったほうでしょう」
「ひめきゅあ!! がんばえー!! ひめきゅあ!! がんばえー!!」
(マッドさっきからうっさい黙れ気が散る!)
「ひめきゅ……え?」
「グラン。まさか『外し』だけを教えたのではないでしょうな。『瞬快』はどうしました?」
「もちろん教えたわい。数回はできるようになったの」
「ほう。それはすごい」
 
 そして、爆ぜる音がほぼ同時に2回聞こえた。
 大男は鼻にヒメの膝蹴りをまともに受けている。苦痛に耐えているのか、歯を食いしばっているのヒメが見えた。そのまま彼女は大男の髪の毛を掴み、無理矢理狙いを絞ってナイフを大男の右目に突き立てる。

「ぐあーーーーーー!!!」

 男は悲鳴を上げるが倒れない。気を失ってはいないようだ。

「く……。まだ、まだ……終わらない。俺は顔面も固いんだ……」
「これで、終わ、って!」

 爆ぜる音が、ほぼ同時に3回・・聞こえた。凄まじい速さとなったヒメちゃんが、渾身の蹴りをナイフの柄に叩き込む。そのまま大男は舞台を転がって行き、ドサッと地面に落ちた。 

 大男は気を失って場外に出た。
 ヒメちゃんの勝利である。
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