『交錯する祈り』

小川敦人

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「神仏交錯 ― 袈裟とケバブ、日本の宗教DNAを探る旅」

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『交錯する祈り』

マイケル・ジョンソンは静岡市を訪れて三週間が経っていた。比較宗教学を専攻する大学院生として、日本の宗教文化を研究するために来日したのだ。
今日は4月5日。浅間神社の廿日会祭を見学するため、早朝から神社の境内に立っていた。神職たちが厳かに神事を執り行う様子を、マイケルはノートに詳細に記録していく。そのとき、違和感を覚えた。
「あれは...僧侶たち?」
神社の片隅に、黒い袈裟をまとった若い男性たちの一団があった。マイケルは思わず目を凝らした。5、6人ほどの若い僧侶たちが集まっている。彼らは皆20代半ばというところだろうか。確かに仏教の修行僧たちだ。
さらに驚いたことに、彼らは境内に出ている屋台でケバブを手に持ち、楽しそうに食べていた。黒い袈裟姿でケバブを頬張る僧侶たちの姿は、マイケルの目には現実離れしたシュールな光景に映った。神道の祭事に仏教の修行僧たちが参列し、トルコ料理を食べている。アメリカで育ったマイケルには、これが極めて奇妙に思えた。
「興味深いでしょう?」
突然、横から声がかけられた。振り向くと、七十代くらいの老人が穏やかな笑みを浮かべていた。
「ええ、とても。神社の祭りに若い僧侶たちがいて、ケバブを食べているのは...」
「あぁ、あの若い方々は臨済寺の修行僧たちです。おそらく休暇をもらって祭りに来ているのでしょう。屋台のケバブは最近の祭りの定番になってきました。珍しい光景ですね。不思議に思いますか?」
「正直言って、はい。アメリカでは考えられないことです。教会にラビが来るようなものですから」
老人は静かに笑った。
「私は野村と申します。よろしければ、お茶でもいかがですか?少しお話ししましょう」

---

喫茶店に入り、二人は向かい合って座った。
「マイケルさん、日本の宗教について何か気づいたことはありますか?」
「あまりにも多すぎて...」マイケルは笑いながら答えた。「日本人は同時に神社にもお寺にも行きますね。クリスマスを祝って、正月には神社に参拝して、結婚式はキリスト教式で、葬式は仏式...そして何より、黒い袈裟を着た仏教の修行僧が神社の祭りでケバブを食べている。これは多宗教なのか、無宗教なのか、文化のるつぼなのか、理解に苦しみます」
野村さんは頷きながら熱いお茶を啜った。
「私たち日本人にとって、宗教は『信じる』ものというより『実践する』ものなのです。教義の一貫性よりも、生活の中での役割を重視します。これは日本人の本質的なしなやかな思想から来ているのでしょう」
「しなやかな思想?」
「ええ。日本では宗教戦争のようなものはほとんど起きませんでした。欧米のような『正しい信仰』を巡る争いは、私たちには理解しがたいものなのです」
「それはなぜなのでしょう?」
「それはおそらく、日本の成り立ちに関係しているでしょうね。かつて日本は大陸と接していて、様々な時代に大陸から多様な民族や文化が渡ってきました。縄文人、弥生人、そして後の渡来人たち。それぞれが持ち込んだ信仰や風習が混ざり合い、独特な秩序と調和を生み出していったのです」
「多様性を受け入れる土壌が元々あったということですか?」
「そうかもしれません。島国でありながら、大陸の影響を受けつつも独自の文化を育んできた。その過程で、異なるものを排除するのではなく、取り入れて調和させる知恵が培われたのでしょう。仏教が伝来した時も、排除するのではなく神道と融合させていった。それが多宗教を生み出したのではないでしょうか」
「でも、仏教と神道は本来別のものですよね?」
「そう。しかし長い間、日本では神仏習合として共存してきました。神は仏の化身であり、仏は神の別の姿だと」
「それが明治時代に変わった、と」
野村さんの表情が少し曇った。
「ええ、廃仏毀釈です。あなたは知っているのですね」
「研究対象ですから。明治政府が神道を国家宗教として位置づけようとして、仏教を排除しようとした政策です」
「そのとおり。多くの寺院が破壊され、貴重な仏像や経典が焼かれ、僧侶は還俗を強いられました。今日の浅間神社の近くにあった寺も多くが失われました」
「しかし、今日、神社の祭りに若い僧侶たちがいた...」
「そこが興味深いところです。政策としての神仏分離は行われましたが、人々の心の中では完全に分離することはなかった。明治政府の政策が終わると、人々は再び古い習慣に戻っていったのです。政治の力で人々の宗教観を変えることはできなかったのです」
「今の日本人は廃仏毀釈という言葉すら知らない方が多いのではないでしょうか」とマイケルが尋ねると、野村さんは深く頷いた。
「その通りです。多くの若者は知りませんし、関心も持ちません。しかし、彼らの中にある宗教観、宗教への向き合い方は、数百年、いや数千年と変わっていない。それはもはや日本人のDNAといってもいいかもしれません。表面的な形は変わっても、根底にある感覚は受け継がれているのです」
---
翌日、マイケルは野村さんの案内で臨済寺を訪れた。中庭では、昨日廿日会祭で見かけた若い修行僧たちが掃除をしていた。住職が二人を迎えてくれた。
「昨日は浅間神社でうちの若い修行僧たちを見かけたようですね」と住職は微笑んだ。
「あの若い僧侶たちはこちらの...?」
「ええ、修行中の者たちです。月に一度の休暇日だったので、祭りを見学に行ったようです」
「修行僧が神社の祭りに参加して、ケバブを食べているのを見て驚きました」とマイケルは率直に言った。
住職は声を出して笑った。
「彼らは若いですからね。修行は厳しいですが、休暇の日くらいは自由に楽しませています。ケバブはここ数年、祭りの屋台の人気メニューになっていますよ」
「彼らは廃仏毀釈のことを知っているのでしょうか?」とマイケルは尋ねた。
住職は少し考えてから答えた。
「歴史として知識は持っていますが、今の若い僧侶たちにとって、それはもう遠い過去のことです。それでも、彼らが自然と神社の祭りに足を運ぶのは、日本人の持つ宗教観がDNAのように受け継がれているからかもしれません。政治によって一時的に分断されても、その根は連なっているのです」
「修行僧が神社の祭りに参加するのは普通のことなのですか?」とマイケルは尋ねた。
「今では珍しいかもしれませんが、この地域では伝統なのです。廃仏毀釈の時代、この寺も危機に瀕しました。しかし、当時の浅間神社の神職が密かに仏像を守ってくれたのです」
「神職が仏像を?」
「そう。表向きは分離していても、裏では助け合っていた。政策と民衆の信仰心は別物だったのです」
住職は古い木箱を取り出した。中には小さな仏像があった。
「これは神社の倉で半世紀以上隠されていたものです。十年前、改築の際に発見され、返還されました」
マイケルはその仏像を見つめながら、アメリカでは考えられない宗教の交錯を感じていた。
「西洋の視点では、宗教は排他的なものです。一つの真理、一つの神を信じる。しかし日本では...」
住職は静かに言葉を続けた。
「私たちにとって、神も仏も、同じ山の頂きへの異なる道筋なのです。形は違えど、祈りの本質は同じ」
---
帰国の前日、マイケルは再び浅間神社を訪れた。境内では地元の人々が日常的に参拝している。神社の隣には小さな祠があり、中には仏像が安置されていた。
マイケルはノートに最後の一文を記した。

*「日本の宗教観は、西洋人の目には混沌として見えるかもしれない。しかし、それは矛盾ではなく共存なのだ。形式よりも調和を、教義よりも生活を重視する精神。廃仏毀釈という歴史的断絶を経てなお、人々の心の中で神と仏は分かちがたく結びついている。」*
*「この宗教的柔軟性は、日本列島の歴史的成り立ちに由来するのかもしれない。大陸からの多様な民族や文化の流入を受け入れながらも、それらを独自に融合させてきた島国の歴史。そこから生まれたしなやかな思想が、異なる宗教の共存を可能にし、宗教戦争という概念すら持たない文化を育んだのだろう。」*
*「廃仏毀釈という言葉さえ現代の日本人の多くは知らないという。政治が宗教を分断しようとしても、日本人の精神には宿っている何かが、それを許さなかったのだ。それは言葉や制度ではなく、DNAのように受け継がれる、共存と調和を求める心なのかもしれない。これこそが日本独特の宗教的寛容さであり、そして時に西洋人には理解し難い異質さの源泉でもある」*

夕暮れの神社で、マイケルは静かに手を合わせた。どちらに祈っているのか、自分でもわからなかった。
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