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十四話 運命のタイムカプセル

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 今まで通りあれば、今日旅人は死ぬ。
 私の目の前で車に轢かれるか、階段から転がり落ちてか、熱を出してか。
 原因は、わからないけど。

 熱は、今のところなさそうだ。
 元気そうな旅人を見て安堵する。

 カエデと双見くんの言い合う声に、ちらりと不安になって旅人の方を見つめる。
 旅人は「大丈夫だって」と唇を動かした。
 ぎゅっと右手を握りしめて、旅人の存在を確かめる。

 結局、旅人の覚悟が覆ったかどうかは私にはわからない。
 それでも、未来を見てくれている気がしてる。
 確かめては、いないけど。

 大丈夫、旅人の体は温かい。

「二人で見つめあっちゃって!」
「カエデ」
「わかってるよ、わざと。ふざけてないと私まで怖くなってきちゃったの」

 カエデと双見くんも、両手をぎゅっと繋いで私たちを見つめている。
 結局、「最後まで一緒にいる」と言った二人を、巻き込んでしまうことが怖くて断った。
 私を巻き込むくらいならと言って突き放した、旅人の気持ちが少しだけわかってしまう。

 「ずっとは一緒にいないから顔だけ見せて」ってカエデが駄々をこねる。
 だから、私たちはショッピングモールの前で四人で喋っている。
 カエデの不安が少しでも解消されればいいと思ったから、私は快諾した。
 お昼までなら、と時間限定で。

「大丈夫だよ、きっと」

 理由のわからない自信が、今は胸の中にあるから。
 にっこりと笑って見せたけど、やっぱりダメだったみたい。
 ポロポロとカエデの瞳から、涙がこぼれ落ちる。

「死んだら許さないから」
「私は大丈夫だよ」
「そんなこと言って旅人を助けるために、自分の身だって捧げるつもりでしょ!」

 大親友には、お見通しだったようで私にしがみつくようにぎゅっと抱きついて離れない。
 肩にカエデの涙が、染みを作っていく。
 たとえ、私が今死んだとしても多分後悔はしない。

 タイムカプセルは、ちょっと見たかったな。
 カエデが何を書いたかも気になるし。
 二十歳の私に向けて旅人が何を考えていたのかも、気になる。

 でも、この四人でいっぱい思い出を作ったし、できる限りのことはしてきたと胸を張って言えるから。
 クラスの友だちができたことも、お父さんやお母さんにイヤなことはイヤと言えるようになったことも。

 自分自身が変われたって、強く思ってるから。

「俺が許さないよ」

 私とカエデを離して、旅人が私を抱きかかえる。

「夢香が死んじゃうのは、俺が許さないよ。だから、また明日なカエデ、琉助」
「はいはい、カエデは引き取るよ。じゃあ、二人ともまた明日」

 カエデを抱き寄せて、双見くんがひらひらと手を振る。
 まだお昼なのに、二人して赤い目をしてるのは寝不足だろうか。
 私だって、同じだ。
 双見くんは、何も思ってない顔をしていたけど、思ったよりも気にしてくれてたんだろう。

 もし、万が一があっても、双見くんがいればカエデは大丈夫。
 だから、強がって、わざとらしい明るい声を出す。

「うん、二人ともまた明日!」
「また明日」

 何度も何度も、また明日を繰り返して二人の背中を見送る。
 旅人の右手が、微かに震えてる気がした。
 二人との「また明日」は、私にとっての未練でもある。
 二人が後悔しないように、二人の気持ちが私たちをこの世に引き止めてくれるように。

 本当に、ワガママでずるいな、私。

「旅人?」
「大丈夫だよ」
「うん、知ってる。とりあえずデートは楽しもうよ」

 二人で会うことに決めたのは、いざという時私が庇えるようにだった。
 旅人はもし、今回ダメでも最後は私とデートの思い出が良いと言った。
 だから、今日は二人で、目一杯楽しむことにしたのだ。

 死因が何になるかは、わからない。
 答えは出ていない。
 だから、建物の中という約束をした。
 私が見えてる範囲で、私が手を出せる範囲でということで。

「じゃあ映画から行こうか」

 旅人と恋人繋ぎで、ショッピングモールを歩く。
 旅人と見たいなと思っていた映画のチケットを、旅人はすでに取ってくれていたらしい。
 ポケットの中には朝イチで渡されたチケットが入っている。

 いつも先延ばしにして、学校始まってからでもと、一回も二人で観に来れなかった映画。

 ポップコーンとホットドック、それにウーロン茶と旅人のサイダー。
 映画館の中は、夏休み中だからか学生が多いように見えた。

 隣り合う席で、太ももが少し触れる。
 最初の頃だったら、ドキドキして映画に集中できなかったかもしれない。
 今では、ぬくもりに安らぎさえ感じている。
 黙って考え込んでいた私に気づいた、旅人が私の顔を覗き込む。

「どうした?」
「慣れちゃったなぁって」
「悪いことばっかりじゃないだろ」

 ドキドキしないわけじゃないし、ドキドキよりも今は安心感と幸せの方が大きいだけ。
 たしかに、悪いことばっかりじゃない。
 大きくうなずいて、軽く右手を握る。
 大きな画面に、二人の恋が映し出されていた。

 キレイな青白い海に入っていく女の子の後ろ姿から、お話が始まっていく。

 あ、海にも行きたかったな、二人で。
 でも、そっか、来年も再来年も、まだ先もある。
 海にも今度行こう。

 薄明るくなった劇場で、残りのポップコーンを口に詰め込む。
 もきゅもきゅと鳴らしながら食べれば、旅人の鼻を啜る音が聞こえた。
 運命の恋に出会った二人が、辛い思い出を乗り越えて最後は幸せになるお話。
 美味しそうな食べ物や、大切な仲間。
 私たちにとっての双見くんやカエデと重なって、私もつい感情移入してしまった。

 きっと明るくなって旅人が見える私の目は、真っ赤だと思う。
 上映中に堪えきれず、泣いてしまった。

「北海道行きたいなぁ」
「そうだね、大学受かったらさ卒業旅行に一緒に行こう!」
「美味しい海鮮とかいっぱい食べようぜ」
「海にも私行きたいな、って思ったの」

 答えれば、旅人が驚いた顔をする。
 私たちのやりたいことリストにも、まだ残ってる。
 結局「二人で旅行する」という文字は、消せずじまいで今日まで来た。

 だから、明日以降の約束をいっぱい重ねるんだ。
 それが、明日への生きる理由になればいい。
 ううん、明日を迎えるための約束になってほしい。
 旅人をこの世に縛り付ける、未練になればいい。

 そんな淡い期待も込めて、私は約束をいっぱいするつもりだった。

「そうだな」

 残りのポップコーンをガラガラと口の中に放り込む旅人を見てから、スマホに書き込む。
 二人のやりたいことリストは、旅行する以外、高校生のうちにできることはこれで全部達成済み。
 この映画を見るにチェックを入れて、新しく「北海道にいく」を書き込んだ。
 下に「海に行く」「海産物を食べる」も追加する。

「他にはないの、旅人が今思いつくやりたいこと」
「結婚したい」

 そんなことを真顔でつぶやくから、前に書いておいたリストを目の前に突きつける。
 自分で書き込んでいたくせに、「結婚して幸せな家庭にする」の一文を、改めて見ると恥ずかしくなってくる。

「顔赤くなってるぞ」
「だって、旅人がそんなこと言うから」
「夢香は俺じゃイヤ?」
「そんなこと言ってないよ!」

 ガヤガヤと出ていく音が落ち着いたと思えば、最後は私たちだけだった。

「行こうか」
「そうだね、お好み焼きでも食べる?」
「おー、いいね! お好み焼き食べたら、帰るかな」
「いい時間だもんね」

 そろそろ、悪夢の時間が始まる。
 ごくんっと飲み込んだツバがトゲトゲして喉の奥に刺さった気がした。

 お好み焼き屋さんに入れば、香ばしい匂いが鼻に触れる。
 二人で向かい合って、明太子チーズを頼んだ。
 旅人の好きな味。
 
 旅人がヘラを両手で構えて、まだ焼けていないお好み焼きをまだかまだかと待っている。
 明太子入りにしたのは、映画に影響されたからもあるかも。

「まだまだ、だよ」
「今日こそは、うまくできる気がするんだよね」
「そう言って旅人いつも、早いじゃん」

 くすくすと笑って、目の前のお好み焼きをヘラでつつく。

「ほら、そう言うことするから失敗するんだよ」
「はーい」

 ふてくされたようにヘラを置いて、まじまじとお好み焼きを見つめていた。
 旅人と食べるお好み焼きは失敗してても美味しかったんだよ、知ってた?
 こんなに美味しい食べ物だったんだ、って私初めて知ったの。

 旅人には、まだ教えてあげないけど。

 ジューといい音を立てて、お好み焼きが焼き上がる。
 旅人のヘラを奪い取って、私がひっくり返せばキレイな円が出来上がっていた。

「あー! 俺がやりたかったのに」
「ごめんねっ」
「いいよ」

 マヨネーズとソースをかけて、完成させる。
 完璧なお好み焼きだった。

 切り分けて二人ではふはふしながら食べれば、やっぱりこの世で一番美味しい味がする。
 最初の一口をごくんっと飲み込んでから、旅人がスマホを開く。
 ぽちぽちと何かを打ち込んだ姿を見て、私のスマホを開けばやりたいことリストが新しく更新されていた。

「次こそは俺が上手くひっくり返す」

 お好み焼きを上手くひっくり返す、と書かれていて次のもう一枚を頼めばいいのにと思った。
 でも、いいんだ、次の約束を重ねるって決めてたから。
 きっと旅人も、同じだったんだと思う。

「次こそは、任せますよ」
「もちろん、練習してくるからな!」

 もぐもぐと口を動かして、旅人が笑う。
 口元にはベッタリとマヨネーズが付いている。
 旅人の言葉は、真実のような響きに私には聞こえた。
 私の未練を作るという目標を、受け止めてくれている気がする。

「旅人、マヨネーズ」

 口元を指差せば、反対側を探ってる。
 紙ナプキンを手に、拭ってあげれば旅人が嬉しそうに微笑む。

「ありがと」
「いえいえ」

 その顔があまりにも可愛いから。
 胸が、ちくんっと痛んだ。

 二人で両手を合わせてごちそうさまでしたをする。
 こんなにキレイでおいしいお好み焼きは、今日が最後かもしれない。
 次からは、旅人が成功するまでは崩れたお好み焼きかもしれない。

 お互いの存在を確かめ合うように、指を絡めて階段を登る。
 階段の上で振り返れば思ったよりも、高くて怖くなった。

「わざと落ちるのはアリだと思う?」
「何もなければそれでいいんだから、ナシ」
「意外に高いね」

 膝が、少しだけ震える。
 スマホの時計を見れば、あと数分でいつもの時間。
 首を横に振って、懸念を吹き飛ばす。

「きっと、大丈夫」
「あのさ、夢香」
「んー?」
「大好きだよ、今までいっぱいありがとう」

 強く私を抱きしめて、旅人が耳元で囁く。
 今までの感謝を何個も、何個も繰り返すから涙が浮かんで前がよく見えない。

「私の方こそ。ずっと探しててくれてありがとう。旅人のおかげで親友もできたし、家族ともそこそこ仲良くなったし、生きてるのが楽しいよ私」
「それなら、よかった」

 旅人が離れた、と思ったら唇に優しく触れた。
 青のりの味がして、お好み焼きが脳裏に焼きつく。
 もうちょっとロマンチックなキスだった方が良かったかな。

 いっか、また明日以降ロマンチックなキスをすればいい。

「じゃあ、帰ろうか」
「デートはまた明日以降だね」

 今日が終わったら、どんな大学を目指して、どんな仕事に就くか。
 将来の夢も考えなくちゃ。

「旅人の将来の夢も教えてね」
「夢香も考えないと、だろ」

 手を伸ばして、旅人の手を握りしめようとする。
 それでも、パッと距離を置かれた。

「なんで?」
「危ないだろ、転けたら」

 私は、旅人と一緒に落ちる覚悟でここにいるのに。
 早歩きで、旅人より一段下をわざと歩く。
 落ちてきても、私が庇えるように、少し振り返って無理にでも手を取ろうとした瞬間、旅人が落ちる。

 スローモーションに見える光景に、涙が視界をぼやけさせた。

 それでも、悪夢の中では動けなかった私の体が、今はすんなりと動く。
 大丈夫、想像通り。
 私が、旅人を助ける。
 私の横を通り抜けそうになった瞬間、私は旅人を上側に突き飛ばした。

 はず、だったのに。

 旅人がまた、私の手を払いのけて一人で落ちて行こうとする。

 旅人が転んで少しケガはするけど大丈夫だった、で終わるはずだった。
 私の痛みと引き換えに。

「一人でなんて、絶対、許さないから」

 自然と動いた口に、旅人が微笑んだ気がする。
 諦めたように、旅人も言葉を発する。

「ワガママな彼女だなぁ」

 旅人を追いかけて、私もぐんぐんと落ちていく。
 
 一秒? すごく長く感じる落下時間。

 旅人の腕は、私を包み込むように動く。
 必死に私も旅人の頭を抱え込もうと手を伸ばして、足が階段にぶつかっていく感覚に目を閉じる。

 大丈夫。
 目が覚めたら、二人してケガしちゃったねって笑い合って。
 また明日が、来る。
 だから、大丈夫。
 二人で、今度こそは、生きてられる。
 
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