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治承3年(1179年)
娘子軍の構築と上野侵攻
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さて、 月も変わり7月上旬、市原で快勝し、信濃を平定したことで義仲様の名前は信濃中に知れ渡りました。
それとともに先陣を切って笠原の兵を次々に打ち倒していった女武者つまり私の存在も人々の口に上がったのです。
男どもは
「木曽の先駆けを努めた女武者は女夜叉とも言われたとか、そのような女は、きっとまともに顔も見れぬ醜女であろう」
「いやいや、それがさにもあらず、きりりとした顔に、つややかな黒髪の絶世の美女であるそうだ」
「たしかに背は我らより高くあるらしいが、すらりとした体つきにたわわな胸、まろやかな腰つきの女らしいぞ」
「しかも、弓馬の達人にて、春風と申す名馬を縦横無尽に戦場をかけその強弓は五人ばりにて、目にも見えぬ場所より放たれた矢は百発百中に射抜かれる弓の腕と並の男を歯牙にもかけぬ、打物の使い手と聞くぞ」
「そのような天下一の美女にて剛勇無双の女武者を妾としておるとは木曽殿とはどのような漢か?」
「うむ、当然だがその女武者を従える武の使いにて白皙の美男子であると聞く」
「うむむ、なんともうらやましきことよ。
ならばわれもその軍勢に加わりあやかろうと思うが」
「うむ、われもそう思っておった」
一方女は
「なんでも文章博士の家柄の、中原権守様のご息女にて教養と見識にもすぐれた方とか」
「本来なら内室としておさまっても良いお方でもあるにかかわらず自らは身を引き甲斐の国よりの姫をお迎えになりその他の妾とも波風立たぬようにお暮らし遊ばせたとか」
「私の目には、巴御前の颯爽としたお姿が目に浮かびまする。
私も鎧を身にまとい巴お姉さまとともに縦横無尽に戦場を駆け巡りたいとおもっております」
「ではあなた様も?」
「はい、父に伝手を頼っていただき木曽の軍勢に加わろうかと思います」
などと、そんな話が広がっていたようです。
この時代の信濃や越後の豪族は男も女も幼き頃は混ざって組討やら山野を駆け、遊んでいるものです。
その多くは大きくなれば男女の差もあり家に収まるものですが、中には私のように大きくなっても弓の腕を磨き、馬に乗って山野をかけるものもおりました。
こうして、依田城には噂を聞いた日和見をしていた豪族やその伝手をもって私に付き従い戦いたいと願う女武者が集ってきたのです、豪族は義仲様が所領の安堵状を発行して傘下に加えました。
一方の女武者に対しては私が対応しました。
「わかりました、私の側仕えとして働いてください」
と、私は戦場でともに戦うことを許しました。
年は14から20ぐらいの者たちでおそらくこのぐらいの年が、一番女武者というものに憧れるものなのでしょう。
それから私は娘子軍つまり女性で構成された軍の構築に取り掛かりました。
とはいっても戦場に同行して飯を炊いたり、衣服を縫い繕ったり汚れたものを洗ったり、男の夜の相手をしたりというというのを主とした慰問のための部隊です。
兵の乱暴狼藉を防ぐためにも必要でしょうし、食い扶持にあぶれた女の救済にもなります。
そして、我軍に加わったものの中に義経の二人の兄が加わっていました。
「お初にお目にかかる巴御前、拙僧は醍醐寺の僧にて阿野全成とうもうし幼名を今若ともうします」
「同じく、拙僧は園城寺の僧にて義円、幼名を乙若ともうします。
我が弟と牛若よりの文をもとに巴御前お屋敷に参りましたが今はこちらにいるということでこちらに参った次第です」
「ありがとうございます。
今義経殿をお呼びしておりますのでしばしお待ちを」
私は義経を読んで二人と対面させました。
「お、おお、兄上方、よくご無事でいらっしゃいました。
義経はまことに嬉しゅうございます」
「うむ、そなたもな」
同父母である兄弟たちの感動の対面ですね。
ある程度時間も立ったところで、私は二人にいいました。
「僧籍のお二人には、信濃の天神にて兵士の訓練や糧秣の管理など行っていただきたいのですがいかがでしょうか?」
阿野全成が聞き返してきました。
「うむ?我らを軍に加えず後方にて事務方としてお使いになると?」
「はい、僧籍にあった方々であれば様々な知識に通じておられるはず戦場での働きだけに留めるのは惜しいことと私は考えております」
彼はうむと頷き。
「わかりもうした、その言葉、従いましょう」
同じように義円も頷きました。
「では、拙僧もそのようにさせていただきましょう。
これよりよろしくお願い申す」
私は二人に頭を下げ
「どうぞよろしくお願いいたします」
と答えたのでした。
僧としてとして様々な知識を持つ2人の合流は私にとってもありがたいことです。
そして、その後私は尾張の草より報告を聞きました。
「尾張の長田忠致・景致父子が兵を率いて尾張を出立し伊豆の頼朝のところへ向かったようです」
「分かりました、引き続き長田の動向を知らせてください」
「は、かしこまりました」
どうやら世の流れも大きく動き出したようです。
さて、信濃を平定した私たちは依田城にて次なる行動を評定していました。
まず上座に構えた義仲様が周りに聞きました。
「さて、旗揚げをし、信濃の平定はなった。
ならばいつまでもこの信濃に穴篭りをして周辺の動静を見ているというわけにもいかぬ今後どのように動くべきか聞こう」
それに対し矢田義清殿がまず口を開きました。
「先ずは上野国(今の群馬県)の多胡庄へ向かうのがよろしいかとお父上である義賢様が長く住まわれた場所で生前の義賢様は民に慕われておりました」
義仲様はうなずかれました
「ふむ、戦わずに味方が増えるなばそれに越したことはない。
まずは上野に向かうか。
その他に意見のあるものはあるか?」
その言葉に私は口を開きました。
「では義仲様、上野に入り兵を募ったあとは、そのまま新田を討つべきかと思います。
新田義重は父上である源義賢様や秩父重隆どの敵でもあります」
「うむ、そうであったな」
ここで矢田義清が口を開きました。
「お待ち下さい。
新田義重はわが岳父、であれば先ずは私が話をしたくございます」
義仲様が首を傾げました
「ふむ、で、新田義重は我が傘下に入ると思うか?」
矢田義清はそれに対し
「難しいかもしれませぬ、新田荘は平家の荘園でもございますゆえ」
義仲様はその言葉にうなずきました
「まあ、話して味方になるならばよし、ならぬのならば討つのみよ。
その場合はそなたの岳父とは言え容赦は出来ぬがな」
「は、承知の上にございます」
その会話の後私は言葉を続けました
「新田との対応と同時に武蔵に秩父重隆どのの親類である秩父党を味方に引き入れるべきかと。
よければその役目は私に申しつけくださいませ」
義仲様は頷きました。
「ふむ、巴は畠山の所へ行ったことがあったか」
「はい、顔見知りであれば話も早いかと」
「うむ、わかった、秩父党の対応は巴そなたに任す。
残りのものは上野での戦の準備をせよ」
「はっ」
「承知仕りました」
各々が準備に入るなかで、私は義経と弁慶には新田攻めに加わり、娘子軍も率いるように伝えました。
「あなた達の率いる騎馬隊は重要な戦力となりましょう。
どうぞ宜しくお願いします」
義経が笑って言いました
「うむ、木曽に義経ありと知らしめましょう。
おまかせあれ」
「しかし、巴殿の用意したおなごの部隊を拙僧らが率いてよろしいのか?」
弁慶はそう聞いてきました。
「はい、何かあった時に敵や他の部隊より守っていただければ」
「うむ、あいわかった」
そして私は残りの伊勢義盛や鎌田兄弟に言いました。
「残りの皆さんは私とともに上野を経由して武蔵へ向かいます」
「了解だぜ」
「うむ、承知いたした」
伊勢義盛や鎌田兄弟は頷いて同意してくれました。
こうして我々信濃の軍は上野に進軍を開始しました。
そして上野の多胡庄に入るとそこでは義仲様の父上の義賢様の評判が非常によかったので、その縁で大胡・瀬下・那和・桃井・木角・佐井・多胡氏など高山党と呼ばれる武士団が義仲軍に加わったのです、特に多胡太郎家国の弟次郎家包は義賢の旧臣であったので彼の娘の若菜を妾に入れて義仲様の傘下に入ったのでした。
「むむ、また妾が増えましたか……」
娘を差し出すことで義仲様との結びつきを強くしようとする豪族が増えるのはありがたい反面、私としては義仲様のそばに女が増えるのは頭がいたいことでもあります。
「入浴中や夜と言うのは最も無防備な状況ですしね」
最近義仲様があまり私の所に来てくれぬからと決して私が嫉妬している訳ではないですよ。
それとともに先陣を切って笠原の兵を次々に打ち倒していった女武者つまり私の存在も人々の口に上がったのです。
男どもは
「木曽の先駆けを努めた女武者は女夜叉とも言われたとか、そのような女は、きっとまともに顔も見れぬ醜女であろう」
「いやいや、それがさにもあらず、きりりとした顔に、つややかな黒髪の絶世の美女であるそうだ」
「たしかに背は我らより高くあるらしいが、すらりとした体つきにたわわな胸、まろやかな腰つきの女らしいぞ」
「しかも、弓馬の達人にて、春風と申す名馬を縦横無尽に戦場をかけその強弓は五人ばりにて、目にも見えぬ場所より放たれた矢は百発百中に射抜かれる弓の腕と並の男を歯牙にもかけぬ、打物の使い手と聞くぞ」
「そのような天下一の美女にて剛勇無双の女武者を妾としておるとは木曽殿とはどのような漢か?」
「うむ、当然だがその女武者を従える武の使いにて白皙の美男子であると聞く」
「うむむ、なんともうらやましきことよ。
ならばわれもその軍勢に加わりあやかろうと思うが」
「うむ、われもそう思っておった」
一方女は
「なんでも文章博士の家柄の、中原権守様のご息女にて教養と見識にもすぐれた方とか」
「本来なら内室としておさまっても良いお方でもあるにかかわらず自らは身を引き甲斐の国よりの姫をお迎えになりその他の妾とも波風立たぬようにお暮らし遊ばせたとか」
「私の目には、巴御前の颯爽としたお姿が目に浮かびまする。
私も鎧を身にまとい巴お姉さまとともに縦横無尽に戦場を駆け巡りたいとおもっております」
「ではあなた様も?」
「はい、父に伝手を頼っていただき木曽の軍勢に加わろうかと思います」
などと、そんな話が広がっていたようです。
この時代の信濃や越後の豪族は男も女も幼き頃は混ざって組討やら山野を駆け、遊んでいるものです。
その多くは大きくなれば男女の差もあり家に収まるものですが、中には私のように大きくなっても弓の腕を磨き、馬に乗って山野をかけるものもおりました。
こうして、依田城には噂を聞いた日和見をしていた豪族やその伝手をもって私に付き従い戦いたいと願う女武者が集ってきたのです、豪族は義仲様が所領の安堵状を発行して傘下に加えました。
一方の女武者に対しては私が対応しました。
「わかりました、私の側仕えとして働いてください」
と、私は戦場でともに戦うことを許しました。
年は14から20ぐらいの者たちでおそらくこのぐらいの年が、一番女武者というものに憧れるものなのでしょう。
それから私は娘子軍つまり女性で構成された軍の構築に取り掛かりました。
とはいっても戦場に同行して飯を炊いたり、衣服を縫い繕ったり汚れたものを洗ったり、男の夜の相手をしたりというというのを主とした慰問のための部隊です。
兵の乱暴狼藉を防ぐためにも必要でしょうし、食い扶持にあぶれた女の救済にもなります。
そして、我軍に加わったものの中に義経の二人の兄が加わっていました。
「お初にお目にかかる巴御前、拙僧は醍醐寺の僧にて阿野全成とうもうし幼名を今若ともうします」
「同じく、拙僧は園城寺の僧にて義円、幼名を乙若ともうします。
我が弟と牛若よりの文をもとに巴御前お屋敷に参りましたが今はこちらにいるということでこちらに参った次第です」
「ありがとうございます。
今義経殿をお呼びしておりますのでしばしお待ちを」
私は義経を読んで二人と対面させました。
「お、おお、兄上方、よくご無事でいらっしゃいました。
義経はまことに嬉しゅうございます」
「うむ、そなたもな」
同父母である兄弟たちの感動の対面ですね。
ある程度時間も立ったところで、私は二人にいいました。
「僧籍のお二人には、信濃の天神にて兵士の訓練や糧秣の管理など行っていただきたいのですがいかがでしょうか?」
阿野全成が聞き返してきました。
「うむ?我らを軍に加えず後方にて事務方としてお使いになると?」
「はい、僧籍にあった方々であれば様々な知識に通じておられるはず戦場での働きだけに留めるのは惜しいことと私は考えております」
彼はうむと頷き。
「わかりもうした、その言葉、従いましょう」
同じように義円も頷きました。
「では、拙僧もそのようにさせていただきましょう。
これよりよろしくお願い申す」
私は二人に頭を下げ
「どうぞよろしくお願いいたします」
と答えたのでした。
僧としてとして様々な知識を持つ2人の合流は私にとってもありがたいことです。
そして、その後私は尾張の草より報告を聞きました。
「尾張の長田忠致・景致父子が兵を率いて尾張を出立し伊豆の頼朝のところへ向かったようです」
「分かりました、引き続き長田の動向を知らせてください」
「は、かしこまりました」
どうやら世の流れも大きく動き出したようです。
さて、信濃を平定した私たちは依田城にて次なる行動を評定していました。
まず上座に構えた義仲様が周りに聞きました。
「さて、旗揚げをし、信濃の平定はなった。
ならばいつまでもこの信濃に穴篭りをして周辺の動静を見ているというわけにもいかぬ今後どのように動くべきか聞こう」
それに対し矢田義清殿がまず口を開きました。
「先ずは上野国(今の群馬県)の多胡庄へ向かうのがよろしいかとお父上である義賢様が長く住まわれた場所で生前の義賢様は民に慕われておりました」
義仲様はうなずかれました
「ふむ、戦わずに味方が増えるなばそれに越したことはない。
まずは上野に向かうか。
その他に意見のあるものはあるか?」
その言葉に私は口を開きました。
「では義仲様、上野に入り兵を募ったあとは、そのまま新田を討つべきかと思います。
新田義重は父上である源義賢様や秩父重隆どの敵でもあります」
「うむ、そうであったな」
ここで矢田義清が口を開きました。
「お待ち下さい。
新田義重はわが岳父、であれば先ずは私が話をしたくございます」
義仲様が首を傾げました
「ふむ、で、新田義重は我が傘下に入ると思うか?」
矢田義清はそれに対し
「難しいかもしれませぬ、新田荘は平家の荘園でもございますゆえ」
義仲様はその言葉にうなずきました
「まあ、話して味方になるならばよし、ならぬのならば討つのみよ。
その場合はそなたの岳父とは言え容赦は出来ぬがな」
「は、承知の上にございます」
その会話の後私は言葉を続けました
「新田との対応と同時に武蔵に秩父重隆どのの親類である秩父党を味方に引き入れるべきかと。
よければその役目は私に申しつけくださいませ」
義仲様は頷きました。
「ふむ、巴は畠山の所へ行ったことがあったか」
「はい、顔見知りであれば話も早いかと」
「うむ、わかった、秩父党の対応は巴そなたに任す。
残りのものは上野での戦の準備をせよ」
「はっ」
「承知仕りました」
各々が準備に入るなかで、私は義経と弁慶には新田攻めに加わり、娘子軍も率いるように伝えました。
「あなた達の率いる騎馬隊は重要な戦力となりましょう。
どうぞ宜しくお願いします」
義経が笑って言いました
「うむ、木曽に義経ありと知らしめましょう。
おまかせあれ」
「しかし、巴殿の用意したおなごの部隊を拙僧らが率いてよろしいのか?」
弁慶はそう聞いてきました。
「はい、何かあった時に敵や他の部隊より守っていただければ」
「うむ、あいわかった」
そして私は残りの伊勢義盛や鎌田兄弟に言いました。
「残りの皆さんは私とともに上野を経由して武蔵へ向かいます」
「了解だぜ」
「うむ、承知いたした」
伊勢義盛や鎌田兄弟は頷いて同意してくれました。
こうして我々信濃の軍は上野に進軍を開始しました。
そして上野の多胡庄に入るとそこでは義仲様の父上の義賢様の評判が非常によかったので、その縁で大胡・瀬下・那和・桃井・木角・佐井・多胡氏など高山党と呼ばれる武士団が義仲軍に加わったのです、特に多胡太郎家国の弟次郎家包は義賢の旧臣であったので彼の娘の若菜を妾に入れて義仲様の傘下に入ったのでした。
「むむ、また妾が増えましたか……」
娘を差し出すことで義仲様との結びつきを強くしようとする豪族が増えるのはありがたい反面、私としては義仲様のそばに女が増えるのは頭がいたいことでもあります。
「入浴中や夜と言うのは最も無防備な状況ですしね」
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