家出少年は雨にうたう ~現代ミステリー短編集

さかなで/夏之ペンギン

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小児病棟

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虹色のモールがかわいい。

もうすぐクリスマス。毎年この時期になると、みんなそわそわし始める。

小さな呼吸器をつけたまさみちゃんが、絵本を見ながら抱きしめている象のぬいぐるみに話しかける。きっと、絵本のお話をしてあげているのだ。

殺風景にならないよう、窓には雪の結晶をかたどったシールが張られ、冬空と重なるように外の光は病室に柔らかく届いている。

「佐藤さん、洋子ちゃんの点滴、そろそろ終わるころだから見てあげて」
「はい」

婦長の飯沼さんはいつもそつなく指示してくる。20年以上のベテランだ。わたしはまだ2年目の、看護師としてはまだ新米だから、そんなあたしをいつもフォローしてくれる。

1年前に一般病棟からここに移ってきたときは正直辛かった。小さい子供が病気とたたかっているのを見ると、胸が締め付けられる。それは今もかわらない。元気に退院していった子もいれば、また、そうでない子もいる。神様はどこで分け隔てするのだろう、と思う時がある。

「洋子ちゃんごはん美味しかった?」

点滴の交換をしながら聞いた。いつも赤い手袋をしている。お母さんがくれた、洋子ちゃんのお守り。

「きょうはねー、おやさいのこしちゃったの。でもねー、ちーちゃんがたべなさいって」

ちーちゃんは洋子ちゃんの隣に置いてあるウサギのぬいぐるみ。お姉ちゃんだそうだ。薬の影響でいろいろな音や声、ものが見えることがあると岡崎ドクターが言っていた。

でも、洋子ちゃんの場合は、きっとメルヘンの世界にいて、そういうものたちとお話ができる、とわたしは思っている。

「さっきまで、あおちゃんがきてくれてたの。あおちゃん、ツリーをもっていっちゃたよ」

あおちゃんか。また新しいキャラクターができたんだ。あれ?朝まで窓の側にあった、小さなクリスマスツリーがなくなってる?

「ママがねー、あの子とはあそんじゃダメだって。でも、いい子なんだよー」

洋子ちゃんのママは去年、癌でなくなっている。洋子ちゃんと同じ病気だ。

「そうかー。ママの言うことは聞かなきゃならないしー、洋子ちゃん、困ったねー」
「うーん、でも、またよるに、くるって、あおちゃん」
「きたらお姉さんがよろしくって言ってたって、伝えてね」
「わかった。でもあおちゃん、きっと」

「佐藤さん。たかし君、急変。急いで」

同僚の松岡さんが慌てている。

「ごめんね、洋子ちゃん。また後で来るね」
「うん、バイバイ」

たかし君は呼吸器系の病気でかなり重いのだ。岡崎ドクターが走っているのが見えた。

「喘息の強い発作です」
「ドクター、SPO2下がってます。チアノーゼでました」
「リリーバーもってきて」
「プレドニンですね」
「そう。早く。酸素、濃度上げて」

発作の治療薬だ。


処置が終わったのは夕方近くだ。たかし君の容体は安定した。週に何回かこれを繰り返す。
小さい体で頑張っている。だから見ると余計辛い。でも、そんなことを言っていると、頑張っている子たちに申し訳ないと、いつも気を引き締める。

ラウンジを通りかかると、見慣れない子がいた。ひとりで折り紙を折っている。8歳くらいの女の子だ。

「どうしたの?お食事は終わったの」

女の子は無言でこちらをじっと見ている。何か変だな、と思ったが、疲れているせいもあって、そのまま通り過ぎる。洋子ちゃんの点滴を交換しなければ。本当に忙しいのだ。そして気が抜けない。

「お野菜、食べられた?」

血色があまりよくない幼い顔に、赤い手袋が痛々しい。

「うん、すこしだけど、たべた。ちーちゃんがほめてくれたよ」
「すごーい。がんばったねー」
「でも、あおちゃんはよろこばなかったよ」
「まあー、それは残念ねー」

共感と共存、ぺプロウの書いた看護理論だ。段階的なプロセスで患者の心的な治癒をアプローチする。などと習ったが、よくわからない。まだ未熟ですいません。

「カーテン閉めようっか」
「ううん。お月様がきれいだから、いい」

月は見えなかったが、きっと洋子ちゃんには見えるんだね。

窓から夕暮れの街が見える。高層ビルの窓の明かりが星のようだ。

「あっ」
「どうしたの?」

洋子ちゃんが怪訝そうに私を見る。

「ううん、なんでもないよー」

わたしはラウンジに戻った。誰もいなかった。さっき見た子はいない。記憶の隅の違和感。さっきここに、窓に映っていたのはわたしだけじゃなかったか?

ラウンジのゴミ箱に小さなクリスマスツリーが突っ込まれていた。

引継ぎを終え、家へ帰るとかなり遅い時間になっていた。母が夕飯を温め直してくれている。お風呂で体と心を温めた。疲れたな。今日一日のことはなるべく思い出さないようにした。

中華の素を使った簡単な料理だが、美味しかった。テレビを見たかったが、もう歯磨きをして寝ることしかできない気がする。眠かった。

「かあさん、もう寝るー」
「頭ちゃんと乾かしなさいよ」
「うへーい」

ドライヤーを持って部屋に向かう。あたしの部屋のドアの前に、何か落ちている。

「折り紙?なんで?」

折り紙らしきものだ。なんのカタチかわからないが、折り紙で折られている。

「かあさーん、折り紙落ちてるわよー」
「知らないわよー。あんたんじゃないのー?」
「え、だって」

知ってる。赤い折り紙。さっきあの子が、折っていた。

翌朝、病棟に行くと、たかし君が亡くなっていた。昨夜、発作が起き、そのまま逝ってしまったそうだ。
たかし君のお母さんとお父さんがいる。見ていられないほど辛くなる。

病室の前に来ると、微笑むように努力する。少しでも不安を感じさせてはいけないのだ。笑って、わたし。

「おはよう、洋子ちゃん。お熱計りましょうねー」

洋子ちゃんは赤い手袋を、胸の前でぱしぱししながら、じっと見ている。

「どうしたのー」
「あのね、あのね」

体温計を細い腕のあいだに差し込む。透きとおるくらい白い肌。

「なんかあったのー?」
「あおちゃんがきたよ」
「へー、いつー?」
「ゆうべ。おともだちをつれてきたって」
「へー、あおちゃん、お友達、いたんだ」
「うん。たかしくんって、いうんだって」

わたしは体温計を落としてしまった。

「ミッチー、顔色悪いよー」

同僚の松岡さん。わたしをミッチーと呼ぶ。美知恵だからミッチー。わかりやすいっちゃわかりやすい。

「それがさ」

わたしは昨日までのことを話した。

「それって、病院によくある怪談ってやつじゃん。超うける。全然怖くないんですけど」
「まあ、あたしも疲れてんのかなーって」
「そうよ。8歳くらいの女の子だって、いま洋子ちゃんしかいないしね」

それからしばらくは、何も起きなかった。

いよいよクリスマスだ。看護師たちはいろいろなプレゼントを用意した。絵をかいたり器用な人はぬいぐるみを作ったりしている。わたしは超不器用なので、百均で適当なのを買った。

宿直の引継ぎが終わると、次の日の服薬を準備する。薬の変更はない。

岡崎ドクターが当直だ。心強い。松岡さんもいっしょだ。
ナースセンターから出ると、岡崎ドクターがいた。最終の巡回の時間だ。

洋子ちゃんのところに来た。四人部屋だがいまは洋子ちゃんしかいない。ドクターが帰ろうとすると、洋子ちゃんが心細そうな声をだした。

「せんせい、ようこね、おかあさんにおこられたの」

岡崎ドクターは心配そうに洋子ちゃんに向かうと、優しい声で声をかけた。

「なんでおかあさんに怒られちゃったかな?先生も一緒にあやまってあげるよ」
「ううん。ようこが、わるいの。だってあおちゃんとあそんでるから」
「そうかー。それは辛いねー」
「ちーちゃんもダメだっていうの。でも、そしたらあおちゃん、ちーちゃんころすって」
「怖いねー。そういう子とはもう遊ばないほうがいいんじゃない?」
「そうしたら、みんなあおちゃんに、ころされちゃうよ」
「大丈夫だよ。先生が守ってあげるから」
「せんせいも、ころされちゃうよ」
「はっはっは。先生、こう見えて柔道2段なんだよ。強いんだから」
「そーかなーあ」

ゴトっ

窓の側から何か落ちた。あの、小さなクリスマスツリーだった。わたしが拾っておいた。

雨になったようだ。雪になったらホワイトクリスマスだ。帰り、ちょーたいへん、と岡崎さんがぼやいてる。どうしよう。靴がヤバイ。

雨脚が強くなり、ちょっとした嵐のようになっている。窓に打ち付ける雨が滝のように見える。雪にはならないな。

消灯してまわり、ナースセンターに戻ると、松岡さんが寝ていた。もう、しょうがないなあ。夜勤中のスケジュールを確認していると、ひたひたと足音がする。
チラっと、子供の後ろ姿が通路を横切ったような気がした。こんな時間に誰が?

追いかけてみると、誰もいない。そっちはエレべーターとラウンジ。行ってみたが誰もいない。エレベーターも動いてはなかった。

ナースセンターに戻ると松岡さんがいない。トイレかな。

しばらくナースセンターで書類に目を通していた。隣のICU(集中治療室)は誰も入っていないので気は楽だ。ごとっと、隣から音がした。

「さっちゃん?」

松岡さんの名前を呼んだ。誰もいない。

ちょっと気味が悪くなった。静かで、咳の声も、誰の泣き声もしない。いつもならうるさいのに。この嵐に怯えてるのかしら。みんなも、わたしも。

「佐藤さん」
「ひっ」

後ろに松岡さんが立っていた。

「ちょっと上に行ってくる。呼ばれたの」
「え?医局?院長室?」
「呼ばれたの」

スタスタと行ってしまう。

「まって、ちょっと。どこへ」

非常階段のドアを開けて出て行ってしまった。どこへ行くんだろう。誰に呼ばれたんだろう。いろんな疑問が沸き起こるが、何一つ思い当たらない。

「もー、まったく」

そういう言葉でごまかした。自分の気持ちを。

雷が鳴っている。いよいよ本格的な嵐だ。ゴトンとラウンジから音がした。誰かが自販機のジュースを買ったのだろうか。いま入院している子供たちの家族は誰も付き添っていないはずだ。誰だろう?岡崎ドクターかな。

こわいけど、見に行かなきゃ。

ラウンジには誰もいなかった。ブーンという自販機のモーター音が響いている。雷が光った。どれくらいの時間が経ったのか、数秒?あるいは数十秒で大きな音が鳴った。

「きゃっ」

つい声をあげてしまった。だって怖いもん。

また光った。

また音がする。そう身構えていると、窓の外をなにかが墜ちていった。人だ。目が合った。大きな口を開けながら、岡崎ドクターが墜ちていったのだ。いや、そう見えた。窓に駆け寄り開けようとしたが、ここは窓は開かない。大きな音が鳴った。

「なに?なに?なに?」

パニックになった。脈拍上昇、呼吸数上昇、血圧、低下。どうでもいいことが頭に浮かんだ。何で?何が起きたの?座り込んでいた。また光った。今度はすぐに音がした。窓ガラスに映っている。わたしと、後ろに誰か立っている?

振り向くと誰もいない。とにかく松岡さんを探さなきゃ。いや、外に行ってドクターかどうか確認しなきゃ。でも誰もいなくなっちゃったらまずいし。とりあえず誰か呼ばなきゃ。

階下の内科のナースセンターがある。そこに電話を。

誰も出ない。誰も電話に出ない。何があったの?どうしたの?どうしよう?

ぎい

非常階段のドアの開く音。帰って来たんだ。松岡さん、帰ってきた?

行ってみると、床が濡れている。誰もいない。いや、今まで誰かいた。床はずっと向こうまで濡れている。たどっていくとラウンジの隅に誰か座ってる。看護服を着ている。松岡さんかな?なんでそんなにずぶ濡れに?もしかして岡崎ドクターとなにか?

変なことまで考えながら近づいていくと、おかしなことに気がついた。

「さっちゃん?」

声をかけても返事しない。

また雷が光る。今度はわかった。さっちゃんだ。顔をこっちに向けているからわかる。だけど体はむこうを向いて座ってる。

「いやーーーっ」

とめどない恐怖がわたしを襲う。遠慮などしていられない。叫びたいのだ。こわいのだ。
とにかく逃げよう。でもどこへ。助けを呼ばなきゃ。そうよ。助けを呼ぶのよ。

エレベーターでどこでも行って、そこには誰かいるから。誰かしらいるから。

エレベーターは動いていない。パネルの明かりがついていないのだ。いくらボタンを押しても何も起こらない。エレベーターのドアを思い切り叩いた。誰か来て。誰か。

非常階段だ。そうだ、非常階段で下に行けばいい。バカだ。なんで気がつかない。

濡れている非常階段の前に立つ。ラウンジの方は見ないようにした。みんな待っててね。助けを呼んでくるからね。置いて行ってしまう罪悪感を、助けに行くという行為に置き換える。そうしなければここから逃げ出せない。

ドアが開かない?なにかが向こうにある。重い。少しだけ開いた。だが出られそうにない。何だろう?さっきはさっちゃんが入ってきたはずだ。いや、考えちゃダメ。さっちゃんは忘れなきゃ、今はとにかく。

隙間を、もう少し開かないか。ぐっと力を入れる。が、もう無理のようだ。何があるんだろう?隙間から覗く。

顔があった。婦長の飯沼さんだ。顔色は死んだ人の色だ。ドアの前に横たわっている。

「いやーーーーっ」

ナースセンターに戻り、電話をとった。

「はいこちら警察です。事件ですか?落ち着いて話してください」
「あのあの、ひ、ひとが死んでるんです、あのあの、なんかえとひとです」
「おちつい――」

電話が切れた。

「え?」

少女が立っていた。わたしを見ている。ウサギのぬいぐるみを持っている、いや、ウサギだったぬいぐるみ、だ。首はもう取れているから。

「何なのよ、もう」

泣いていた。わたしは泣いていた。もう勘弁して。ゆるして。

オマエガシネバイイ

「は?なんで。なんなの」

わたしはよくわからないものに、叫んだ。

オマエハサンザン、コロシテキタロ ムクイヲ、ウケロ

「何言ってんの。なにバカなこと言ってんの。しらないわよ、しらない」

逃げなきゃ。とにかく逃げなきゃ。洋子ちゃん?そうだ、洋子ちゃんと一緒に。

なぜだか洋子ちゃんのことが気になっていた。おいては絶対いけないような気がした。

病室に行くと、洋子ちゃんはきれいな寝顔で寝ていた。寝ているときも手袋をはめている。ウサギはいない。
窓にさっき直したクリスマスツリーがある。赤い手袋が下がっている。あれ?洋子ちゃんのお母さんの手袋?じゃあいまはめているのは?

洋子ちゃんの手は真っ赤だった。それは間違いなく血液だった。



病院での出来事は、嵐による事故、として片づけられたらしい。あたしはあの日から病院には出勤していない。だからその後、どうなったかはわからない。テレビのニュースで、断片が伝わってくるだけだったが、あたしはテレビを見るのもいやだった。そんなあたしを母は心配してくれて、看護師の仕事なんか、元気になってからでいいよと言ってくれる。あたしはそれがとてもありがたかった。

「今日は少し顔色がいいみたいね」
「うん、食欲出てきたみたい。まあ、前ほどがっつりとは食べられないけど」
「鮭焼いたの食べる?」
「うん、ねえいま何時?」
「八時よ。夜のほうのね」
「やだあたしそんなに寝ちゃった?」
「美知恵ったら、いやだわね」

うーん、さすがに呆けてきたか?そろそろ社会復帰しなくちゃね。

「ねえ、こっち来てご飯食べて」
「うん、今行く」

気分はまあ悪くない。もうめまいもしない。あんなことがあったことも、もう夢だと思い込むようにしたから、その分体調が少しいいのかもしれない。

「ちょっと新聞どかして」
「もー、ちゃんとかたづけて…」

赤い折り紙が、見えた

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