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ニャンコのお使い

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そこの人間とまれ、とその恐ろしい姿の虎は言った。

「ぼくのことですか?」
「そうだ」
「人違いです」
「まだ誰とも言っていないうちから人違いとか言うな」
「だいいちぼくは人間じゃありません。半妖です」

ニートは人間じゃないのです。身体は人間、心は妖怪。つまり半妖です。

「見え透いた嘘をつくな。おまえはデリアという名だな」
「違います」
「嘘をつくなと言っている」
「み、みんな、ぼくはデリアっていう名前じゃないよねー!」
「うん、デリアはデリアっていう名前じゃない」

全員そう答えた。こいつらぜったい頭脳が破綻している。

「名などどうでもいい。とにかく話を聞け」
「いやです」
「なんだと?」

こいつぼくのステルスゴーレムくんとどちらが強いだろう?まあいざとなったら死霊魔物混生軍と戦わせて、その隙に逃げよう。

「クズね」

ミローネ、人の心を読んではいけないとあれほど言っているのに。

「思ったよりクズだな、おまえ」

あ、こいつも精霊の仲間なんだ。ぼくの心はお見通しってことか。

「ふたりでひとのことをクズクズって言うな!」
「そうよ!デリアはクズじゃないわ!出来損ないのろくでなしだけど、クズっていうほどクズじゃないわ。どうしてもクズって呼びたいなら大クズとか立派なクズとか言いなさいよ!だいいちこんなクズに何の用よ!クズなんだからなんにもできないわよ!まったく、クズ困らせて楽しいの?」
「ラフレシア、もう充分だ。きみの弁護は素晴らしかった。いま心の底から感謝と殺意が湧いたよ」
「ううん、いいのよ」

その剣歯虎マカイロドゥスかサーベルタイガーか知らないでかいトラが呆れたようにぼくを見ていた。

「これは失礼した。わが名はクロス。大賢者さまの使いで参った」

そう言ってでかいトラは頭を下げた。そうなるとでかいニャンコにしか見えない。ぼくはちょっとなごんでしまった。い、いやいかん。

「大賢者?なにそれ」
「古来より受け継がれし世界の英知、魔法の極み、その偉大なお力を世の人々のために…それが大賢者です。そして世界の果てにおわします大賢者グリドール・シニウスさまこそ最も偉大なるお方。いまも世界の終焉をたったおひとりで防いでおられるのです」
「あっそう。で、なんか用なの?ぼくに」
「えらく扱いが軽いですが、まあご存じないようなので仕方ありませんか…。ではお話ししましょう。じつはお頼みしたいことがあると、大賢者さまは申されております」
「お断りします」
「ダメです。断ればここで殺します」
「誰がそんなことさせるって?」

ミローネが荷台から降りた。すごい怒っているようだ。

「こ、これは精霊女王さま。なぜこのようなところに?」

おお、虎がビビってる。そんなにミローネってすごいのか?ただの食いしん坊だろ?

「ゴホン!あたしこいつに召喚されちゃったのよ。こんなやつによ?ないわー」
「はあ…」

いやもうその契約は解除したでしょ。

「とにかくこいつを殺そうってんならあんたは敵よ。覚悟はいいわね」
「お、お待ちください!殺すと言ったのはその、言葉のあや・・で」

なにが言葉のあやだ。殺意満々だったじゃないか。

「ならそこをどきなさい。邪魔よ」
「そうおっしゃられると身が縮みます。ですがわたしも命がけでございます。なにとぞお話をお聞きください」

ダメだよ、聞いちゃダメだよ。

「話?なによ」

あーこのおバカ精霊。聞くな言うとるのに!

「大賢者さまは世界の終焉をたったおひとりで防いでおります」
「それは聞いた」
「で、ですからどうにも手が足りないのです」
「手が足りない?どういうことよ」

それ聞く?もうダメだこの子。

「憎悪と恐怖の悪の源。つまり混沌です。それがいま世界各地に出現しております」
「混沌って…ケイオスの印?」
「そうです。いまこの世界各地に現れ出でております。それを放置すると、人間界はやがて悪に呑まれてしまうでしょう。そうなれば大賢者さまがこの世界を救う根拠がなくなる。それこそ世の終わりです。人間界も魔界も精霊界も闇に呑まれるでしょう」
「それって神さまが何とかするんじゃないの?」

ぼくは至極当然のことを聞いた。そんなこと神さまが放置するとは思えないもんね。

「世が滅べば神はまた世界を創造するだけ。この世は泡のようなもの。泡が弾ければまた泡を作る。それだけが神の役目なのだと大賢者さまはおっしゃられます」

あーそれ当たってると思う。ぼくが会ったあの神さまだってなんか適当だったし。

「で?そのケイオスの印をこいつに何とかさせる?そうあんたの主人は言ってるの?」
「その通りでございます」

なんてことだ。どうしてそんなめんどくさいことをぼくなんかに頼む?もっと適任者がいるだろ?そ、そうだよ。勇者とかいるだろ。

「あのさ、ぼくはただの人間だよ?そんな大それた仕事なんてできっこないよ」
「大賢者さまが作られたダンジョンを楽々攻略なさって、そういう言葉が出るだけ不思議ですね」
「あれはなにもぼくがやったことじゃないし、このミローネやネクロ、それにリヴァちゃんのおかげさ」
「謙遜も過ぎれば嫌味、という言葉をご存じないかな、と」

こいつもなに言ってもダメ派のやつなのね。この世界、こういうやつばっかりだな。

「じゃあこのデリアがその何とかの印ってやつを消すとかすれば、大賢者さまっていうヤツはなにくれるの?」

ラフレシア、あんた…。

「すでにお渡ししている大賢者の遺産、では足りぬと?」
「こいつが命かけるのよ?あり得ないほどないことなのよ?まさかタダってわけじゃないでしょう?」
「なかなか交渉術がお得意のようですね、お嬢さまは」
「ラフレシアと呼んでちょうだい」
「ではラフレシアさま。褒美、と言っては何ですが、その代価として寿命、というのはいかがでしょう?」

なんのことだ?寿命ってなんだ?

「な、何を言ってんの?」

ラフレシアが狼狽してる?まさかね。でも顔が青い。どうしたんだ?

「あなたが母親から受け継いだ血…魔法の血…しかしそれは普通の人間には強すぎる。やがてあなたの全身をその魔素が壊していく。魔素病…そうですね?」

魔素病って、ラフレシアが言い淀んでいたやつか!そんなに恐ろしいものだったんだ。

「か、関係ないわ」
「あなたの寿命はもうすぐ尽きる。ご自身でお分かりかと」
「し、知らないわよ!」
「これは精霊なれば知り得ること。ですよね、ミローネさま」

ミローネは知っていた?ラフレシアが魔素病だって。もうすぐ死んじゃうんだって、知っていた…?

「まあね」

ミローネはそれだけ言った。


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