空三海水浴 ゲーム小説

Atokobuta

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エピローグ

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取材を受けたお礼として托塔TVからプライベートビーチを提供された三蔵と悟空は、二人だけの海辺でゆったりとした時間を過ごしていた。
 波の寄せては返す音が、三蔵の耳に穏やかにこだまする。波音に誘われるようにゆっくりと目を開ければ日中まぶしく照りつけていた太陽は遊び疲れたように、既に半分ほど海に沈んで名残惜しさの陽光だけ残している。砂浜に置かれた沙滩椅(ビーチチェア)が身体を柔らかく支えてくれ、この上なく快適である。
 三蔵は姿勢を変えるのを装いながら身体を起こし、咳ばらいをした。誰に云うでもなくひとりごとで言い訳する。
「こほん……波音を聞きながら経本を読むのも集中できていいな」
 一間ほど離れた沙滩椅で、頬杖をついて寝そべっている悟空は言った。
「お師匠さま、ごまかさなくていいですよ。寝ておられたこと、知ってます」
「な……なん……」
「ずっと見てました。お師匠さまがうとうとし始めて、寝息を立てはじめて、今目を覚ますまで、ずっと」
 言ってから自分で照れたのか、悟空は頬を赤くした。
「いや、なぜ……」
「永遠の命を生きるおれにとっては、お師匠さまのうたた寝など一瞬ですからね」
「それにしたって……」
「綺麗だな、と思っていたら目を離せなくなりました」
 悟空の言葉に三蔵は夕陽に染められたように赤くなった。悟空は最近、こんなふうにやわらかい口調で三蔵を褒めてくるようになった。冗談だろう、と笑ってごまかせなくなるその口調が苦しくもあり、くすぐったくもあった。
「お師匠さま、初めに会った時より歳をとりましたね」
 若い頃から誉れ高い己の外見については相当の自信がある三蔵ではあったが、出会ってから十年以上経っても露ほども外見に変化のない不老不死の悟空に言われては、かたなしである。
「そりゃあ、外見が変わらないそなたとは違うさ」
「でも、ずっと綺麗なのは変わらない」
 悟空は立ち上がって三蔵の頬にふれた。
「初めて会った時も綺麗だと思った。でも、今おれの目の前にいる師匠の方がずっと綺麗です」
「……何を言う、私も歳をとった」
「あの時よりもいろんなことを経験して、困難を乗り越えてきたお師匠さまはずっと魅力的ですよ」
 迷いのない瞳で言う悟空から、三蔵は思わず目を逸らした。その瞳に我を忘れて吸い込まれてしまうのをおそれたのだ。
「さ……て、そろそろ経本に戻らねばな……」
 本を開きかけた三蔵の手のひらを悟空が上から優しくとどめた。
「もう少しおれの相手をしてくれてもいいでしょう?今日のこの時間は二人で勝ち取った時間ですよ」
「……う、うむ……」
 甘えたように悟空が拗ねるのが珍しくもあり、思わずほだされてしまう。先程から悟空の一挙手一投足により、小鳥が胸をついばんでくるようにわずかだが確実な衝撃を与えられている。心音が動揺しているのが手首のふるえで三蔵自身にも感じられた。
「今日は師匠がおれへの気持ちを言葉にしてくれて嬉しかったです」
「……そうか。私の心はいつもそなたと共にある」
 三蔵の言葉に、悟空は少し目を潤ませたようだった。何度か咽喉仏が動くのはもしかして涙をこらえているのだろうか。
「もうすぐ……旅も終わりです。もう少しで天竺に着いちまいますよ」
「そうだろうか。締めくくりにこそ難ありというではないか。月に叢雲、花に風、油断してはならぬ」
 悟空は沈む日を見つめながら言った。
「……おれはこのまま天竺にたどりつかなくてもいいって最近よく思います」
 天竺到達こそ己の天命であると心得る三蔵は気色ばんだ。
「何を言う」
「天竺に着いたら、おれたちの旅が終わっちゃうんですよ。朝から晩まで家族みたいに一緒に過ごすこの旅は」
 毎朝起きては師弟で並んで朝日を拝み、昼はぺちゃくちゃ喋りながら山道を歩き、夜になれば師弟で身を寄せあって星空の下で眠る。まれに妖怪に師がさらわれては、弟子たちは武勇と知略でそれを降して道を拓く。にぎやかで幸せな日々ー。
 そう、幸せなのだ。
 天竺に到達すればもう旅をする必要はない。師が妖怪にさらわれることもなくなる。そして、師弟はそれぞれ別の道を行くことになる。
 悟空はいかに貴重な日々を過ごしているか、既に気がついていた。小川の流れがいつの日か大石を削りとるように、天竺へ一歩近づくたびに胸の薄衣が剥がれて本音がこぼれ落ちてしまいそうな気がする。叶うなら今から唐に戻って旅路を最初からやり直してもよいくらいだ。あるいは、天竺にたどり着いてからまた唐に戻るまでのお供をしろと命じられれば悟空は喜んで師に従うだろう。でもそうはならないことを悟空は知っていた。天竺へたどり着けば、すべては天の采配どおり。あるべき姿に戻るのだ。
「おれが本気を出せば、あの沈む陽を洋上にいつまでもとどめておくことだってできます。美しいまま、あの光をいつまでも……。おれは……ずっと旅を続けていたい、ずっとお師匠さまと……」
 悟空の声が震えていることに三蔵は気づいた。
 三蔵は止めていた息を吐いた。
「悟空。うつろいゆくものこそが美しいのだよ。この空が刻一刻と赤から紫、そして濃紺に変わっていくように、すべてはとどまることなく流転してゆく。そしてそれこそが仏教の教えそのものなのだ。何一つ変わらぬものなどない。無理に時をとどめようとすれば、その瞬間、美しさもまた消滅するのだ」
 三蔵が遠くの夕陽に手を伸ばすようにすると、悟空が目の前に立ってそれを遮った。逆光で悟空の表情は判然としない。
「お師匠さまが美しいのも、うつろいゆくものだからですか」
 悟空の乾いた声がした。
 三蔵の胸は軋んだ。
 さあ、なんと答えようかと口を開きかけた瞬間、三蔵の唇にかさりとしたものがふれた。悟空の唇である。
 なんの技巧もなく力任せに押しあてただけの接吻はすぐに離れた。
 悟空は怒ったような顔をして言った。
「とどめることができないのならば、せめて……、今このときだけは……」
 三蔵は悟空の唇を避けるすべを持たなかった。
 今度の口づけは長い。身体の中の熱をすべて唇から移すがごとく、炎のような吐息が漏れた。
 陽光は藍色に波長を変化させ始めていたが、寄り添う二人の影は金色の光を帯びていた。
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