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9話 泉と暴力
10.抵抗
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無精髭男の目にもはや光はなく、セノンに視線を向けていても既に見えてはいないだろう。
辛うじて口を動かし、掠れた声をセノンに向かって吐き出す。
「随分と…いいご身分だな…人殺しのくせに…」
「聞かないで下さい、セノン様。耳を貸す必要はありません。被害者ぶった悪人の戯言です」
カイオは言葉と共に、優しくセノンの耳を塞いだ。
しかしセノンの優れた聴覚は、塞がれた状態でも半死人の掠れ声を聞き取ってしまう。
「なにが、希望の勇者だ…怒りに任せて…皆殺しにした、化け物が…お前も俺らと…大差ねぇ、ぜ…」
理不尽で出鱈目な怨嗟の声を吐き出しながら、男はセノンの目の前でこと切れた。
しかしその最後の言葉は、幾らか冷静になったセノンの頭にゆっくりと染み込んだ。
思わずカイオの手が添えられたまま頭を動かし、周囲を見渡す。
「あ…」
そして改めて、自らの作り出した惨状を目の当たりにする。
周囲に散らばる六人分の、凄惨に殺された死体。
怒りで頭に血が上っていた時は何とも思わなかったが、冷静になって振り返ると自分の行動の凶暴さが恐ろしくなった。
人の命を、初めて奪ってしまった。
しかもためらうことなく、五人の命を次々と。
「カイオ…僕、ひと、を…!」
今更になって後悔と恐怖が沸きあがってくる。
いくら悪人でカイオに酷いことをした連中とはいえ、人の命だ。
軽々しく奪っていいものではない、とセノンは今更ながらに思い至った。
罪の意識に、セノンの体は寒さに凍えたようにがくがくと震えだした。
その両手は自分の血だけでなく、殺した相手の血でも赤く染まっている。
「セノン様、貴方は悪くありません。下手をしたら、こちらが殺されていたのかもしれないのです。貴方のしたことは間違っていません」
カイオはひときわ優しい声でセノンに語り掛け、その体を労わるように優しく抱きしめた。
裸のままの素肌が触れ、柔らかい感触がセノンの体を包む。
「でも…!あんな風に、僕は、僕は…!!」
しかしその慰めを、セノンは頭を振り乱して拒絶する。
確かに彼らは悪人だった。
だが、あんなに惨たらしく殺されるほどのことをしたのだろうか?
カイオも自分も辱められたが、自分は少し傷つけられただけだ。
カイオも、指一本触れられていない。
それよりなにより、自分の力だったら、うまくやれば殺さずに済んだはずだ。
肉体を破壊するのは避けられないとしても、手足を砕いて行動不能にしてしまえばそれで終わった。
しかし自分は、怒りのままに衝動のままに暴力を振るい、小柄な男を除く五人の命を立て続けに奪った。
しかも最後は、自身の身を守るためでもなく、動けない相手を自分の意志で怒りに任せて殺した。
「僕は、僕の力は、魔獣を狩って人を助けるために、そのために鍛えたんだ…!悪人だったとしても、人を殺すために手に入れたわけじゃ、決してない…!どうして、僕はあんな、惨いこと…!」
自らを責めるセノンに対し、カイオは一瞬表情を険しくした。
そして再び、セノンに優しく語りかける。
「…セノン様。少し、休まれて下さい。大丈夫です。目が覚めれば、辛いことは全て終わっています。少し悪い夢を見ただけです。夢は、目が冷めれば忘れられます」
カイオはそう言いながら、新たな幻惑魔法を構築し始めた。
相手の意識と記憶を混濁させる、強力な魔法だ。
構築を終えると、取り乱して隙だらけなセノンの意識の隙間に、魔法を滑り込ませた。
だがその見事な幻惑魔法を、セノンは頭を振って硬く拒絶した。
その様子は、まるでわがままなかんしゃくを起こした子供のようだった。
それに対し、カイオは珍しく焦りを見せる。
再び魔法をかけようとするが、同様にして弾かれてしまった。
「セノン様、お願いです!この魔法を受け入れて下さい!どうか、眠ってください!」
カイオの悲痛な声に対しても、セノンは首を振り続ける。
不完全ながらも魔法をかけられて、セノンは何となく理解出来た。
よく覚えていないが、過去にも自分はカイオにこの魔法をかけられている。
そして、どうしてこの魔法がかけられたのかは、もうどうやっても思い出せない。
「駄目だよカイオ、そんなの間違ってる…あとの辛いことは全部カイオに投げ出して、僕だけすべて忘れて眠るだなんて、そんなのは絶対間違ってる!」
セノンの強い拒絶の声に対し、カイオもまた声を悲痛な声を絞りだす。
「それが私の役目です!私がセノン様に望むことです!こんなことで、セノン様が罪の意識を覚える必要はありません!お願いです、お願いですから眠って下さい!」
その後も繰り返しカイオは幻惑魔法をかけようとし続けるが、セノンは頑なに拒み続けた。
幻惑魔法は相手の混乱や焦りといった意識の隙を狙ってかけるのが基本だが、最も狙い目なのはリラックスしている時だとされる。
術者を信用し、気が抜けている状態が最もかけやすいのだ。
そしてそれは、普段の二人ならまだしも、今のセノンには望めないものだ。
結局カイオは魔力の大半を消費してようやく、セノンを眠らせることに成功した。
ただ魔法はほとんど失敗したも同然で、セノンが眠ったのは半ば疲労がピークに達したからにすぎなかった。
また眠った後に再度幻惑魔法をかけなおすことも考えたが、やめていた。
今のセノンは魔法のかかり方も精神状態も、極めて不安定だ。
短時間にあまりにも繰り返し幻惑魔法をかけたせいで、これ以上やると精神に過剰な負荷をかける恐れがある。
今のセノンの状況は、穏やかに眠るというよりは、気を失い意識不明になっているという方が近い。
少なくとも、再び意識が覚醒するまでは控えるべきだった。
カイオとしても苦渋の決断で、思わず魔法の力で不安定に眠るセノンの体を強く抱きしめる。
セノンはカイオに抱きしめられながら、ごく浅い眠りの中、混濁した意識でうなされ続けた。
辛うじて口を動かし、掠れた声をセノンに向かって吐き出す。
「随分と…いいご身分だな…人殺しのくせに…」
「聞かないで下さい、セノン様。耳を貸す必要はありません。被害者ぶった悪人の戯言です」
カイオは言葉と共に、優しくセノンの耳を塞いだ。
しかしセノンの優れた聴覚は、塞がれた状態でも半死人の掠れ声を聞き取ってしまう。
「なにが、希望の勇者だ…怒りに任せて…皆殺しにした、化け物が…お前も俺らと…大差ねぇ、ぜ…」
理不尽で出鱈目な怨嗟の声を吐き出しながら、男はセノンの目の前でこと切れた。
しかしその最後の言葉は、幾らか冷静になったセノンの頭にゆっくりと染み込んだ。
思わずカイオの手が添えられたまま頭を動かし、周囲を見渡す。
「あ…」
そして改めて、自らの作り出した惨状を目の当たりにする。
周囲に散らばる六人分の、凄惨に殺された死体。
怒りで頭に血が上っていた時は何とも思わなかったが、冷静になって振り返ると自分の行動の凶暴さが恐ろしくなった。
人の命を、初めて奪ってしまった。
しかもためらうことなく、五人の命を次々と。
「カイオ…僕、ひと、を…!」
今更になって後悔と恐怖が沸きあがってくる。
いくら悪人でカイオに酷いことをした連中とはいえ、人の命だ。
軽々しく奪っていいものではない、とセノンは今更ながらに思い至った。
罪の意識に、セノンの体は寒さに凍えたようにがくがくと震えだした。
その両手は自分の血だけでなく、殺した相手の血でも赤く染まっている。
「セノン様、貴方は悪くありません。下手をしたら、こちらが殺されていたのかもしれないのです。貴方のしたことは間違っていません」
カイオはひときわ優しい声でセノンに語り掛け、その体を労わるように優しく抱きしめた。
裸のままの素肌が触れ、柔らかい感触がセノンの体を包む。
「でも…!あんな風に、僕は、僕は…!!」
しかしその慰めを、セノンは頭を振り乱して拒絶する。
確かに彼らは悪人だった。
だが、あんなに惨たらしく殺されるほどのことをしたのだろうか?
カイオも自分も辱められたが、自分は少し傷つけられただけだ。
カイオも、指一本触れられていない。
それよりなにより、自分の力だったら、うまくやれば殺さずに済んだはずだ。
肉体を破壊するのは避けられないとしても、手足を砕いて行動不能にしてしまえばそれで終わった。
しかし自分は、怒りのままに衝動のままに暴力を振るい、小柄な男を除く五人の命を立て続けに奪った。
しかも最後は、自身の身を守るためでもなく、動けない相手を自分の意志で怒りに任せて殺した。
「僕は、僕の力は、魔獣を狩って人を助けるために、そのために鍛えたんだ…!悪人だったとしても、人を殺すために手に入れたわけじゃ、決してない…!どうして、僕はあんな、惨いこと…!」
自らを責めるセノンに対し、カイオは一瞬表情を険しくした。
そして再び、セノンに優しく語りかける。
「…セノン様。少し、休まれて下さい。大丈夫です。目が覚めれば、辛いことは全て終わっています。少し悪い夢を見ただけです。夢は、目が冷めれば忘れられます」
カイオはそう言いながら、新たな幻惑魔法を構築し始めた。
相手の意識と記憶を混濁させる、強力な魔法だ。
構築を終えると、取り乱して隙だらけなセノンの意識の隙間に、魔法を滑り込ませた。
だがその見事な幻惑魔法を、セノンは頭を振って硬く拒絶した。
その様子は、まるでわがままなかんしゃくを起こした子供のようだった。
それに対し、カイオは珍しく焦りを見せる。
再び魔法をかけようとするが、同様にして弾かれてしまった。
「セノン様、お願いです!この魔法を受け入れて下さい!どうか、眠ってください!」
カイオの悲痛な声に対しても、セノンは首を振り続ける。
不完全ながらも魔法をかけられて、セノンは何となく理解出来た。
よく覚えていないが、過去にも自分はカイオにこの魔法をかけられている。
そして、どうしてこの魔法がかけられたのかは、もうどうやっても思い出せない。
「駄目だよカイオ、そんなの間違ってる…あとの辛いことは全部カイオに投げ出して、僕だけすべて忘れて眠るだなんて、そんなのは絶対間違ってる!」
セノンの強い拒絶の声に対し、カイオもまた声を悲痛な声を絞りだす。
「それが私の役目です!私がセノン様に望むことです!こんなことで、セノン様が罪の意識を覚える必要はありません!お願いです、お願いですから眠って下さい!」
その後も繰り返しカイオは幻惑魔法をかけようとし続けるが、セノンは頑なに拒み続けた。
幻惑魔法は相手の混乱や焦りといった意識の隙を狙ってかけるのが基本だが、最も狙い目なのはリラックスしている時だとされる。
術者を信用し、気が抜けている状態が最もかけやすいのだ。
そしてそれは、普段の二人ならまだしも、今のセノンには望めないものだ。
結局カイオは魔力の大半を消費してようやく、セノンを眠らせることに成功した。
ただ魔法はほとんど失敗したも同然で、セノンが眠ったのは半ば疲労がピークに達したからにすぎなかった。
また眠った後に再度幻惑魔法をかけなおすことも考えたが、やめていた。
今のセノンは魔法のかかり方も精神状態も、極めて不安定だ。
短時間にあまりにも繰り返し幻惑魔法をかけたせいで、これ以上やると精神に過剰な負荷をかける恐れがある。
今のセノンの状況は、穏やかに眠るというよりは、気を失い意識不明になっているという方が近い。
少なくとも、再び意識が覚醒するまでは控えるべきだった。
カイオとしても苦渋の決断で、思わず魔法の力で不安定に眠るセノンの体を強く抱きしめる。
セノンはカイオに抱きしめられながら、ごく浅い眠りの中、混濁した意識でうなされ続けた。
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