悩める勇者と偽り従者

無糖黒

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10話 犠牲と約束

19.砕けぬ刃

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 一瞬前までは、確かに空中に居た。
 だが視線をそちらに向けた瞬間、竜は視覚どころか五感のすべてでセノンを見失っていた。

 会敵時の幻惑魔法を思い出し、瞬間的に岩陰の方に意識が向くが、魔力が放たれた様子はない。 

 それを認識し再びセノンの気配を探ろうとしたところで、竜は突如セノンの存在を知覚した。
 ごく間近…手を伸ばせば竜に触れられる距離に、いつのまにかセノンは立っていた。 


「遅い…!」 


 隠蔽魔法を駆使して距離を詰めたセノンは、洋剣を鞘から抜きながら再び強化魔法をかけ直す。

 セノンの適正では隠蔽魔法は強化魔法と併用できないが、重力に従って自由落下するだけなら強化魔法は必要ない。
 いったん強化魔法を解除すれば、隠蔽魔法は問題なく使用できる。


 ただ右手に嵌めていた発動体…触媒の石が砕けて台座に半分程度しか残っていなかったそれは、着地と同時に完全に砕け散っていた。

 触媒の砕けた発動体では魔法は一切使えないかとセノンは思っていたが、間違っていた。
 確かに、治癒にある程度の時間を必要とする回復魔法の使用は難しかったようだが、ほんの数秒隠蔽魔法を発動させるくらいなら何とかなった。

 カイオの言う通りだった。


「ふっ!!」 


 そしてセノンはそのまま、虚を突いた竜の胸へと全力の刺突を仕掛けた。 

 三度目の正直…三度放たれた渾身の一撃は、間違いなく竜の胸を捉えた。
 正確に二度の刺突と同じ個所、つまりは鱗の砕けた個所を貫いていたため、刃は肉を裂き竜の体にあっさりと突き刺さる。 

 ただ疾走の勢いの乗っていない一撃は、明らかに威力が足りていなかった。
 セノンの高出力の強化腕力をもってしても刺さり方は浅く、幾らか傷口を広げたに過ぎなかった。

 致命傷には、程遠い。 


「くそ…!」 


 しかも洋剣の鋭くも薄い刃は、二度目の刺突同様、半ばから剣身を折れ砕けさせる。

 元々細く強度に乏しいカイオの洋剣は、仮に万全の状態であってもセノンの強化腕力と竜の頑強さには耐えられない。
 この結果は当然とも言えた。 


「くそ、浅い…もう少し…!」 
「ガアアアアァァァッ!!」 


 竜は怒りに咆哮し、セノンに向け両腕を振るう。

 セノンは、それを予想してたように躱し身を引いた。
 無手となったセノンに、もはや竜の体を貫く手段はない。

 いくら異常な出力の肉体強化が出来ると言っても、素手で竜を殺すことは不可能だ。 


 竜もそのことは正しく認識しており、脅威で無くなったセノンへとやや強引に攻め立てる。
 その身の安全を顧みない攻撃のお陰で、文字通り竜にその身を削られながらも、セノンは再び竜の胸元へと潜り込む。

 隠蔽魔法を駆使し接近した時もそうだったが、道が狭く竜がとっさに距離を取れないのが有利に働いていた。
 一度ある程度距離を詰めてしまえば、あとはこちらの思うように動くことが出来る。


 そして距離を詰めたセノンは、竜の胸に突き刺さったままの剣身に指をかけ引き抜くと、地面に放り捨てた。
 流石に折れた刃だけでは、武器足り得ない。 


「ああくそ、もう少し…!」 


 竜の至近で、セノンは腕に力を込める。
 ほぼ全力の魔法で強化された肉体を、引き絞る。 


「もう少し抉り取れてれば、楽だったのにな!」 


 そしてそのまま竜の胸の傷口へと、指先を揃えた手刀を全力で突き込んだ。
 都合三度の刺突で無理矢理広げられた傷口はセノンの腕が潜り込むには十分で、腕が半ばまで埋まる。 


「ギャアァァァァ!!?」 


 だが広げたと言っても腕を完全に差し込める状態には程遠く、心臓には届かなかった。
 無論、心臓を破壊するには至らない。

 竜は体内にねじ込まれた異物感と痛みに絶叫し、セノンを引き剥がすべくその身に爪を突き立てようとする。 


「くっ…!」 


 セノンは身をよじって、なんとかそれを躱す。

 爪が肌を掠め、その後の胸を掻き毟るような動きでセノンの体にいくつも傷が増えるが、命を奪うには至らない。 

 そしてその爪が本格的に体を引き裂く前に、セノンは手を打ち終えた。
 埋め込んだ左手の指に嵌めた指輪――カイオの黒魔法用の発動体に魔力を流し込み、魔法構築を完了させた。 


「奔れ!!!」 


 セノンが構築を終え発動させたのは、セノンが使える数少ない黒魔法…ごく低級の、攻撃魔法だった。

 セノンは黒魔法の才能に乏しく、放つ魔法の威力は最下級の魔獣ですらまともに殺せない。
 いくら体内で放ったとはいえ、竜の頑強な肉体を破壊するのは不可能だ。 

 しかしわざと傷つけて損壊させておいた発動体は、無理な魔法の発動に伴い砕け、封じられていた魔力を暴発させて魔法の威力を底上げした。
 同様に処理され嵌められていた予備の発動体二つも、同時に砕け威力を底上げする。 


「ぐうっ…!!」 


 魔法の暴発で指に鋭い痛みを覚えながら、セノンは魔力を振り絞る。

 だが三つの発動体と引き換えに放ったセノンの攻撃魔法――雷光魔法は、それでも人の体すら十分に焼けない程度の、やや強い電撃を生み出すのが精一杯だった。
 いくら体内で発生させたとはいえ、竜の肉体を滅ぼすことは出来ない。 

 だが心臓に限って言えば、話は別だ。 


「カ、ァ…!?」 


 心臓にごく近い位置から体内に直接電撃を叩き込まれ、竜の心臓は鼓動を停止させた。

 竜はそれでももがこうとしたが、腕を引き抜いたセノンが離れた途端に崩れ落ち、しばし痙攣した後に完全に動かなくなった。 


「く、ぅ…」 


 竜の体から引き抜いた手指を押さえながらセノンは痛みに呻き、体をふらつかせる。
 その指先は無理やりな突き込みで指が何本か折れ、さらに発動体の暴発で指が一本千切れかかっていた。

 左腕腕全体も、電撃による火傷や突き込みの影響でボロボロだ。
 加えて言えば、竜の爪で引き裂かれた全身の裂傷も決して浅くない。 

 当分治療は見込めないが、竜を殺す代償としては軽すぎるものだった。 


「…カイオは本当に、頼れる従者だよ」 


 竜の死体を一瞥し、セノンはポツリと呟く。
 竜を仕留めた一連の手筈は、すべてカイオからの教授によるものだった。

 剣とともに自らの発動体を手渡してきたカイオに眉をひそめたところ、いつものように状況を打開する術を授けてくれたのだ。 

 竜は鱗にも肉体にも高い対電性を有し、通常であれば雷光魔法も効果は薄い。
 だが電流に繊細な心臓を体内から直接狙ってしまえば、それも関係ない。 


 そしてその策は、セノンがたった今実践してみせたように、見事に竜を死に至らしめた。  


「やっぱり…僕はカイオがいないと、ダメだな…」 


 セノンは噛み締めるように呟く。
 そして竜に背を向け、カイオが身を休める岩陰へと向かった。 
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