白に赤を足して

のおb

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モノクローム・メモリー

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私の見る景色は、いつもモノクロだ。窓からの街のネオンも、車のテールライトも、かすかに見える星の光も、全てが白か黒にしか見えない。風景に感動したのも、もういつのことだろう。年が過ぎるにつれ色彩はなくなっていき、二十歳の頃には全て無くなっていた。前から変わらない煙草の煙を見ながら、私はこうやって過去に思いを馳せていた。独り身の私はこれくらいしかすることがない。過去に縋っては現実いまを悲しむ。誰も理解してくれないから、人も周りから去っていった。「大丈夫?」聞きなれた声が肩を叩く。「また吸ってたんだ。ご飯できたよ。」トマトの強いミートソースの匂いが漂ってきた。「わかった今行くー」と軽く返事をしておいて、私は煙草の火を消した。

髪を右肩に寄せて、おそらくオレンジの麺をフォークにからめる。ほんのり残る煙草の匂いとスパゲティの強い匂いが鼻に巻き付く。おかげで少し食欲が減った。「今日はなんのこと考えてたの?」質問される。「昔のこと。」答える。「今日は楽しいことあった?」「別に」こんな問答が私が皿を下げるまで続いた。「相変わらずだね」そう言って、彼はいつものように軽い接吻をした。どこか甘くて心地いい。だが、いつしかそのありがたみも私は忘れてしまった。心の奥底に冷たい風が入り込む。その風は私の心を凍えさせ、人の暖かみでさえも忘れ去らせる。寝室の屋根を見ながら、思いふけ、悲しみに暮れつつも、私は静かな、平穏な眠りについた。

...電子音が聞こえる。目の前が真っ白になりながら、音の出処を探り、それを止める。光に目が慣れ、私は徐々に意識が戻ってきた。また始まる苦しみ。慣れてはいるが、やはり辛い。体を鳴らしながら居間に出る。どんな色かも忘れたソファーに座って、一息つこうと思いながら寝ぼけていると、目の前に知らない紙があった。「さようなら」とだけ書いてあった。あぁ、捨てられてしまったんだなと、すぐ理解できた。このような別れにも、もう慣れてしまった。人が来ては、去っていく。どうせ去っていくのだから、最初から期待しなければいい。善人ぶろうと私にやさしく接するが、結局他人にとって私は得点稼ぎの道具にしか過ぎない。誰も本当の私など理解できず、それを知る努力すらしない。涙なんて出さない。わかっていたことだから。またいなくなることぐらい、わかってたんだから。

彼がいなくなって、何故か余計に色を感じられなくなった。全てが同じ白に見える。明度も何も感じない。彼と出会う前と同じ気持ちだ。独り。もう全て私のせいなんだな。彼がいることが当たり前だと思っていた。ずっと、彼が私に料理を作って、私のことを気にかけてくれる毎日が続くと思っていた。全部、儚く散った。突然に。彼は違うと思っていた。どこか彼を信じていた。これが本当の悲しみなんだなと、初めてわかった。久しぶりに、涙が出た。

微かに、色が見えた。絨毯の緑、茶色の木のテーブル、明るい水色ののソファ。そして、涙が乾いた手紙。添えられていた花は赤かった。

あの日からしばらく日にちが経った。色は微かに見えているけど、はっきりは見えない。何をすればいいのかも分からず、ただただ時間だけが過ぎていった。でも、色が見えるおかげでなにかが楽しい。海の透き通る青、浜辺の輝く黄色、木の時代を感じさせる焦げ茶色。安っぽく言うと、毎日が美しく感じる。日常の色が、私の心を塗っていった。心の白は、色を取り戻した。私の肌は、まるで白に赤を足したような色だった。
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