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第一章 夏への扉
滝道に待っていたのは……
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箕里の観光名所のひとつである滝道は鮮やかな緑に囲まれていた。
眼下に流れる川の水は透き通るように透明で川底の岩、その間を縫うようにして泳ぐ小さな魚の姿をはっきりと見ることが出来た。
緩やかに流れる川のせせらぎ、鳥達のさえずりが心地よく翔太の鼓膜を刺激する。
――心が浄化されるみたい……
密度の濃いマイナスイオンに肌を撫でられ、翔太は気持ち良さそうに目を細める。
滝道の入り口付近にある大きな観光ホテルから箕里の滝までは約三キロ程度。西から東に続く滝道の真ん中あたりに翔太が目指すもみじ橋がある。
観光ホテルを抜け滝道に入った翔太は、ゆきから貰った観光マップを片手に、散策を兼ねて滝道を歩く。
夏休みと言えども、平日のせいか人はまばらであった。
犬を散歩している女性、大学生くらいのカップル、リュック姿の老夫婦を追い抜きながらしばらく歩くと滝道は緩やかに右にカーブし、その先に小さな建物が見えた。
「これが昆虫館、か」
植物園を連想させる近代的な建物の前まで来た翔太は、建物入り口の『昆虫館』の文字を読み上げる。
昆虫館の中には珍しいカブトムシ、クワガタが展示されているみたいで、入口付近には翔太同様、夏休み組の小学生の数名が虫取り網、籠を手に持って集まっていた。
その姿を微笑ましそうに眺めながら足を進めると前方に小さな橋が見えた。
手にする観光マップを見ながら、確認するように翔太は呟く。
「あれが、もみじ橋……」
生い茂る樹木の中にもみじ橋はあった。
コンクリート製の小さな橋の欄干には、緑色の岩苔がびっしりとこびりついている。
橋を覆う木々で陽光が遮られ、昼間だというのに薄暗く少し不気味な様相を醸し出していた。
「確かに出そうな雰囲気だな……」
橋の欄干に手をかけ周囲を見渡していた翔太が満足げに呟くと、岩の間を流れる清流に目を落とす。
「あの辺りかな」
目撃情報にあった、河童が座っていたという大きな岩を特定すると、手でカメラのファインダーを作り写真の構図をシミュレートする。
その構図の中に本物の河童が入る様を想像し口元を綻ばせると、翔太は川面から視線を上げた。
「あれ?」
翔太に視界に見覚えのある水色のワンピースが映った。
翔太は目を凝らすと、昆虫館の方からやってくるワンピースの主を確認した。
「星野さん……?」
それは紛れもなくゆきであった。
滝道を歩いてくるゆきは翔太の視線に気づくことも無くもみじ橋の前を通り過ぎると、滝道を挟んだ向こう側にあるお寺の石段を登っていった。
「えっと……」
お寺の門をくぐる彼女の背中を見送りながら、翔太は自分がどう動くかを考える。
が、次の瞬間――迷うことなく駆けだすと、もみじ橋を後にしていた。
ゆきが入っていったのは瀧安寺というお寺だった。
観光名所のお寺の一つで、古くから修行の地として有名らしい。本堂には重要文化財に指定されている如意輪観音像があるとのことだった。
ゆきの後を追って石段を登り門を抜けると、石畳の道が真っすぐに本堂まで続いており、右手には朱塗りの美しい橋、その向こうには鳳凰閣という平安時代風の建物が見えた。
ゆきから少し遅れて境内に入った翔太は、本堂の賽銭箱の前に彼女の姿を見つけると、無意識のうちにその距離を縮めていった。
ゆきは本堂の前にある鈴を鳴らすと賽銭箱に硬貨を投げ入れる。
そして両手を合わせて深く頭を下げると、静かに瞳を閉じお祈りを始めた。
本堂の石段の下まで距離を詰めた翔太は、賽銭箱のすぐ傍からその様子を眺める。
お祈りを終わるのを待って一声かけようと思っていたのだ。
もし万が一、彼女が迷惑そうな顔をしたら、偶然を装って挨拶だけしてさっさとこの場を去ればいいし、そうでなければ――
導かれるように少女の後をついてきた翔太は、後者になった場合のことを全く考えていなかった。人生の中で自分から積極的に女の子に声をかけた経験など無く、どうすればいいのか全くわからなかった。
――出たとこ勝負、あとは成りゆき任せ……
そう覚悟を決めて翔太が再びゆきの横顔に目をやると――
予想の範疇を遥かに超える事態が起こった。
深く閉じた少女の瞳から、涙が滲んでいたのだ。
――えっ……
翔太は心の中で驚きの声を上げる。
一瞬、見間違いとか思ってもう一度確認するが、少女の瞳には紛れも無く光る滴が浮かび上がっていた。
「…………」
翔太は唖然と少女を見詰めた。
良くないこととは思いながらも、彼女から視線を外せなくなってしまったのだ。
少女は目を閉じ微かに唇を動かしながら、切実に何度もお祈りの言葉を呟いていた。
自分が今、目にしてはいけないもの、居てはいけない場所にいる。
そう自覚し、一刻も早くこの場を去らなければ――と、焦る翔太であったが、それとは裏腹に足が全く言うことを聞かず動かなかった。
それから間もなく――
ゆきがお祈り終えると静かに目を開ける。
潤んだ瞳で本尊に一礼すると、ゆっくりと踵を返そうとした。
「あっ……!」
少女は視界に入って来た翔太の姿に短く声を上げた。
目が合った二人は、それぞれに言葉を無くしたように見詰め合う。
まるで時間が止まってしまったような感覚に陥った。
気まずい沈黙の中、響き合うセミ達の鳴き声が遠くに聞こえた。
「ど、どうも……」
張りつめた緊張に耐えきれ無くなった翔太は、ぎこちなさを隠すことなくゆきに挨拶する。
少女はそれに応えることもなく、ただ黙って翔太の顔に焦点を合わせていた。
眼下に流れる川の水は透き通るように透明で川底の岩、その間を縫うようにして泳ぐ小さな魚の姿をはっきりと見ることが出来た。
緩やかに流れる川のせせらぎ、鳥達のさえずりが心地よく翔太の鼓膜を刺激する。
――心が浄化されるみたい……
密度の濃いマイナスイオンに肌を撫でられ、翔太は気持ち良さそうに目を細める。
滝道の入り口付近にある大きな観光ホテルから箕里の滝までは約三キロ程度。西から東に続く滝道の真ん中あたりに翔太が目指すもみじ橋がある。
観光ホテルを抜け滝道に入った翔太は、ゆきから貰った観光マップを片手に、散策を兼ねて滝道を歩く。
夏休みと言えども、平日のせいか人はまばらであった。
犬を散歩している女性、大学生くらいのカップル、リュック姿の老夫婦を追い抜きながらしばらく歩くと滝道は緩やかに右にカーブし、その先に小さな建物が見えた。
「これが昆虫館、か」
植物園を連想させる近代的な建物の前まで来た翔太は、建物入り口の『昆虫館』の文字を読み上げる。
昆虫館の中には珍しいカブトムシ、クワガタが展示されているみたいで、入口付近には翔太同様、夏休み組の小学生の数名が虫取り網、籠を手に持って集まっていた。
その姿を微笑ましそうに眺めながら足を進めると前方に小さな橋が見えた。
手にする観光マップを見ながら、確認するように翔太は呟く。
「あれが、もみじ橋……」
生い茂る樹木の中にもみじ橋はあった。
コンクリート製の小さな橋の欄干には、緑色の岩苔がびっしりとこびりついている。
橋を覆う木々で陽光が遮られ、昼間だというのに薄暗く少し不気味な様相を醸し出していた。
「確かに出そうな雰囲気だな……」
橋の欄干に手をかけ周囲を見渡していた翔太が満足げに呟くと、岩の間を流れる清流に目を落とす。
「あの辺りかな」
目撃情報にあった、河童が座っていたという大きな岩を特定すると、手でカメラのファインダーを作り写真の構図をシミュレートする。
その構図の中に本物の河童が入る様を想像し口元を綻ばせると、翔太は川面から視線を上げた。
「あれ?」
翔太に視界に見覚えのある水色のワンピースが映った。
翔太は目を凝らすと、昆虫館の方からやってくるワンピースの主を確認した。
「星野さん……?」
それは紛れもなくゆきであった。
滝道を歩いてくるゆきは翔太の視線に気づくことも無くもみじ橋の前を通り過ぎると、滝道を挟んだ向こう側にあるお寺の石段を登っていった。
「えっと……」
お寺の門をくぐる彼女の背中を見送りながら、翔太は自分がどう動くかを考える。
が、次の瞬間――迷うことなく駆けだすと、もみじ橋を後にしていた。
ゆきが入っていったのは瀧安寺というお寺だった。
観光名所のお寺の一つで、古くから修行の地として有名らしい。本堂には重要文化財に指定されている如意輪観音像があるとのことだった。
ゆきの後を追って石段を登り門を抜けると、石畳の道が真っすぐに本堂まで続いており、右手には朱塗りの美しい橋、その向こうには鳳凰閣という平安時代風の建物が見えた。
ゆきから少し遅れて境内に入った翔太は、本堂の賽銭箱の前に彼女の姿を見つけると、無意識のうちにその距離を縮めていった。
ゆきは本堂の前にある鈴を鳴らすと賽銭箱に硬貨を投げ入れる。
そして両手を合わせて深く頭を下げると、静かに瞳を閉じお祈りを始めた。
本堂の石段の下まで距離を詰めた翔太は、賽銭箱のすぐ傍からその様子を眺める。
お祈りを終わるのを待って一声かけようと思っていたのだ。
もし万が一、彼女が迷惑そうな顔をしたら、偶然を装って挨拶だけしてさっさとこの場を去ればいいし、そうでなければ――
導かれるように少女の後をついてきた翔太は、後者になった場合のことを全く考えていなかった。人生の中で自分から積極的に女の子に声をかけた経験など無く、どうすればいいのか全くわからなかった。
――出たとこ勝負、あとは成りゆき任せ……
そう覚悟を決めて翔太が再びゆきの横顔に目をやると――
予想の範疇を遥かに超える事態が起こった。
深く閉じた少女の瞳から、涙が滲んでいたのだ。
――えっ……
翔太は心の中で驚きの声を上げる。
一瞬、見間違いとか思ってもう一度確認するが、少女の瞳には紛れも無く光る滴が浮かび上がっていた。
「…………」
翔太は唖然と少女を見詰めた。
良くないこととは思いながらも、彼女から視線を外せなくなってしまったのだ。
少女は目を閉じ微かに唇を動かしながら、切実に何度もお祈りの言葉を呟いていた。
自分が今、目にしてはいけないもの、居てはいけない場所にいる。
そう自覚し、一刻も早くこの場を去らなければ――と、焦る翔太であったが、それとは裏腹に足が全く言うことを聞かず動かなかった。
それから間もなく――
ゆきがお祈り終えると静かに目を開ける。
潤んだ瞳で本尊に一礼すると、ゆっくりと踵を返そうとした。
「あっ……!」
少女は視界に入って来た翔太の姿に短く声を上げた。
目が合った二人は、それぞれに言葉を無くしたように見詰め合う。
まるで時間が止まってしまったような感覚に陥った。
気まずい沈黙の中、響き合うセミ達の鳴き声が遠くに聞こえた。
「ど、どうも……」
張りつめた緊張に耐えきれ無くなった翔太は、ぎこちなさを隠すことなくゆきに挨拶する。
少女はそれに応えることもなく、ただ黙って翔太の顔に焦点を合わせていた。
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