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第一章
瀬戸に伝わる言い伝え
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すだれから零れる陽光が、真琴の顔に格子状の模様を描いていた。
庭先の木々からは途切れる事の無いセミ達の声が聞こえ、その中に時折、涼しげな風鈴の音色が混じり合う。
色褪せた畳の上には勉強机と化したちゃぶ台が置かれ、その上には教科書、参考書、ノートが乱雑に散らばり、その隙間には氷が溶けてしまったコップが淵に水滴を蓄えていた。
座椅子の背に深くもたれかかり、ぼんやりと庭先を眺める真琴……手にしたペンの先が文字を書くわけも無く宙を彷徨っている。
「静かな所に来て息抜きするんじゃなかったの?」
不意に背中から声がした。
真琴は振り返ると声の主である祖母を見あげる。
祖母の小夜は少し呆れたような表情で腕を組むと、真琴の返答を待っていた。
「そのつもりだったんだけどね……なんか落ち着かなくて、気がついたらつい、いつもので……」
ちゃぶ台を占領する教科書、参考書の言い訳をすると、自分でも何故だろう? と言いたげに小さく首を振って見せた。
「ちょっとでも受験の事忘れられるかなって思ったんだけど、ダメね……なんかみんなに置いていかれるような気がして……」
「わたしにはわからないね……そこまで白分を削って背伸びしなくても、入れる高校がないわけでもないのに」
生まれてからずっとこの土地で育ち、受験勉強とは全く無縁で育った小夜には、真琴が追われるように教科書の虜になっている事が理解できなかった。
時代の流れ……と言ってしまえばそれまでの事なのかもしれないが、それ程までにして良い学校へ行かなければならない理由が見当たらない。
それよりももっと大切な事があるのでは?
帰って来てからも受験の事で頭がいっぱいで『心ここにあらず』の孫を見る度に、小夜は言いようの無い寂しさを感じてしまうのであった。
小夜のそんな気持ちを察すると真琴は複雑な心境になる。
祖母の言うように、自ら『息抜き』と称して田舎である香川県に帰って来たと言うのに、ここで過ごしている期間、ほとんど家から外に出ていない。
――確かに、これじゃあ東京にいるのと大して変わらない……おばあちゃんの言う通りだわ。
そう自覚はするものの、真琴には今の状況をどうする事も出来なかった。
小夜は一息つくと、ちゃぶ台にある歴史の参考書を手に取った。
ぱらぱらとページをめくると、ふとあるページで手を止めた。
「千百八十五年……」
「壇ノ浦の戦い。源義経が平家を打ち破る。大丈夫、ちゃんと覚えてる」
小夜の呟きに間髪を入れずに真琴が答える。
正解である……小夜は出題をしたつもりではなかったが、答えを求める孫の瞳に、間違ってないと言ってやる。
真琴は自らの記憶に満足げに頷いて見せた。
「ここ、讃岐でも戦があったのよ」
「屋島の戦いでしょ? 十回以上ノートに書き込んだわ」
「歴史っていうのは、教科書やノートに 閉じ込めておくものなのかね……」
得意げに答える真琴に嘆くと、小夜は静かに目を閉じ口を開いた。
「文月の月眠る亥の時、離された心一つにならん……」
「……何、それ?」
教科書には見当たらない小夜の言葉に、真琴は戸惑いの声を上げる。
「讃岐に伝わる言い伝えで、わたしらの子供の頃くらいまではよく聞かされた。確か、お前の母さんにも教えてやったはずだけどな」
「聞いた事ないわ、教えて」
初めて聞く話に好奇心を刺激されたのか、知らない事に対する不安からか、真琴はせがむように祖母に催促した。
小夜はわかったと言うように頷くと、静かに話し始めた。
「屋島の戦では源氏、平家共にたくさんの者が争い憎しみ合い、命を奪い合った。それは知っているだろう?」
真琴は何度も頷くと小夜の次の言葉を待つ。
「そんな中、名もなき平家の一武官が源氏側の姫様と恋に落ちてな…それが許されぬ恋とはわかっていながらも、二人の絆は強く、深いものになっていった」
小夜が遠い目を過去に向けながら物語を続ける。
「二人は、地位や身分何もかも捨てて、駆け落ちする事を約束した……男は屋久島での戦が終わったら、姫様を迎えに来て一緒に逃げるはずだった、けど……」
「けど?」
「男は迎えには来なかった…戦で船ごと焼きはらわれて、戦死したんだ」
「そんな……」
あまりにも悲劇的な結末に真琴は言葉を失ってしまう。
半ば予想していたとはいえ、恋人同士の死別と言う最悪の結末にはやはり心が痛む。
まだ恋愛経験が無く、淡い恋を夢見る少女にとってはなおさらの事だった。
悲しげに瞳を落とす真琴に、小夜は何故だかほっとしていた。
自分の孫にまだ豊かな感情と想像力が残っている事を確認し、安心したのだ。
「だが……」
これで終わりではないと言うように小夜が続けると、真琴は再び物語の中に引き込まれる。
「それを哀れに思った神様が年に一度、月の門番が眠る夜にだけ男に地上に行く事を、姫様に会いに行く事を許した」
「それが……文月の月眠る時?」
確かめるような真琴の瞳に、小夜は静かに頷いて見せた。
どんな形にしろ二人に救いがあった事に、真琴自身も救われた気分になった。
「男は光の船でやって来る、八月の新月の夜にな……」
「8月の新月の夜って……」
「今夜の事だよ。退屈してるなら行ってみるといい。鳥居がある浜辺、覚えてるだろ?」
「うん、だいたい……」
庭先の木々からは途切れる事の無いセミ達の声が聞こえ、その中に時折、涼しげな風鈴の音色が混じり合う。
色褪せた畳の上には勉強机と化したちゃぶ台が置かれ、その上には教科書、参考書、ノートが乱雑に散らばり、その隙間には氷が溶けてしまったコップが淵に水滴を蓄えていた。
座椅子の背に深くもたれかかり、ぼんやりと庭先を眺める真琴……手にしたペンの先が文字を書くわけも無く宙を彷徨っている。
「静かな所に来て息抜きするんじゃなかったの?」
不意に背中から声がした。
真琴は振り返ると声の主である祖母を見あげる。
祖母の小夜は少し呆れたような表情で腕を組むと、真琴の返答を待っていた。
「そのつもりだったんだけどね……なんか落ち着かなくて、気がついたらつい、いつもので……」
ちゃぶ台を占領する教科書、参考書の言い訳をすると、自分でも何故だろう? と言いたげに小さく首を振って見せた。
「ちょっとでも受験の事忘れられるかなって思ったんだけど、ダメね……なんかみんなに置いていかれるような気がして……」
「わたしにはわからないね……そこまで白分を削って背伸びしなくても、入れる高校がないわけでもないのに」
生まれてからずっとこの土地で育ち、受験勉強とは全く無縁で育った小夜には、真琴が追われるように教科書の虜になっている事が理解できなかった。
時代の流れ……と言ってしまえばそれまでの事なのかもしれないが、それ程までにして良い学校へ行かなければならない理由が見当たらない。
それよりももっと大切な事があるのでは?
帰って来てからも受験の事で頭がいっぱいで『心ここにあらず』の孫を見る度に、小夜は言いようの無い寂しさを感じてしまうのであった。
小夜のそんな気持ちを察すると真琴は複雑な心境になる。
祖母の言うように、自ら『息抜き』と称して田舎である香川県に帰って来たと言うのに、ここで過ごしている期間、ほとんど家から外に出ていない。
――確かに、これじゃあ東京にいるのと大して変わらない……おばあちゃんの言う通りだわ。
そう自覚はするものの、真琴には今の状況をどうする事も出来なかった。
小夜は一息つくと、ちゃぶ台にある歴史の参考書を手に取った。
ぱらぱらとページをめくると、ふとあるページで手を止めた。
「千百八十五年……」
「壇ノ浦の戦い。源義経が平家を打ち破る。大丈夫、ちゃんと覚えてる」
小夜の呟きに間髪を入れずに真琴が答える。
正解である……小夜は出題をしたつもりではなかったが、答えを求める孫の瞳に、間違ってないと言ってやる。
真琴は自らの記憶に満足げに頷いて見せた。
「ここ、讃岐でも戦があったのよ」
「屋島の戦いでしょ? 十回以上ノートに書き込んだわ」
「歴史っていうのは、教科書やノートに 閉じ込めておくものなのかね……」
得意げに答える真琴に嘆くと、小夜は静かに目を閉じ口を開いた。
「文月の月眠る亥の時、離された心一つにならん……」
「……何、それ?」
教科書には見当たらない小夜の言葉に、真琴は戸惑いの声を上げる。
「讃岐に伝わる言い伝えで、わたしらの子供の頃くらいまではよく聞かされた。確か、お前の母さんにも教えてやったはずだけどな」
「聞いた事ないわ、教えて」
初めて聞く話に好奇心を刺激されたのか、知らない事に対する不安からか、真琴はせがむように祖母に催促した。
小夜はわかったと言うように頷くと、静かに話し始めた。
「屋島の戦では源氏、平家共にたくさんの者が争い憎しみ合い、命を奪い合った。それは知っているだろう?」
真琴は何度も頷くと小夜の次の言葉を待つ。
「そんな中、名もなき平家の一武官が源氏側の姫様と恋に落ちてな…それが許されぬ恋とはわかっていながらも、二人の絆は強く、深いものになっていった」
小夜が遠い目を過去に向けながら物語を続ける。
「二人は、地位や身分何もかも捨てて、駆け落ちする事を約束した……男は屋久島での戦が終わったら、姫様を迎えに来て一緒に逃げるはずだった、けど……」
「けど?」
「男は迎えには来なかった…戦で船ごと焼きはらわれて、戦死したんだ」
「そんな……」
あまりにも悲劇的な結末に真琴は言葉を失ってしまう。
半ば予想していたとはいえ、恋人同士の死別と言う最悪の結末にはやはり心が痛む。
まだ恋愛経験が無く、淡い恋を夢見る少女にとってはなおさらの事だった。
悲しげに瞳を落とす真琴に、小夜は何故だかほっとしていた。
自分の孫にまだ豊かな感情と想像力が残っている事を確認し、安心したのだ。
「だが……」
これで終わりではないと言うように小夜が続けると、真琴は再び物語の中に引き込まれる。
「それを哀れに思った神様が年に一度、月の門番が眠る夜にだけ男に地上に行く事を、姫様に会いに行く事を許した」
「それが……文月の月眠る時?」
確かめるような真琴の瞳に、小夜は静かに頷いて見せた。
どんな形にしろ二人に救いがあった事に、真琴自身も救われた気分になった。
「男は光の船でやって来る、八月の新月の夜にな……」
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