音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

文字の大きさ
11 / 64
[-00:25:24]消せない春で染めてくれ

10

しおりを挟む
 ───未読メッセージが一件あります。───
『明日18時、○○駅前の公園でお会いできませんか』

 ダイレクトメッセージが『透』から送られてきたのは、『Midnight blue』のバイトの真っ最中だった。律はそのメッセージを何度も読み直し、ひと呼吸置いたのち、もう一度スマホを凝視した。どうやら、見間違いではない。
 それでもまだ信じられなくて、ちょうどトイレから出てきた叔父の和久に頬をつねるよう頼むと、気味悪がりながら思いっきりつねられた。普通に痛かった。
 夢じゃない。
 律は大声を張り上げたい気持ちをぐっと腹の奥にため込んで、口を覆った手のひらの中でだけ「よっしゃあ!」と小さく歓喜の声を上げる。
 これほど明日を焦がれたことが、今だかつてあっただろうか。取り残されるばかりだと思っていた時間が、着実に歩調を合わせて動き始めている。
 律は気を取り直して、緩み切った自分の両頬を叩く。よし、と一言声を上げて、スマホに文字を打ち込む。
 返事の内容はもう、決まっている。


 指定された駅は、学生や仕事帰りのサラリーマンやOLが乗り換えでごった返すターミナル駅だった。
 律は人ごみに押されながら、改札を通り駅を出る。目的地である公園に向かって歩き出した。心臓の音が反芻して耳に挿したイヤホンの音楽が全く入ってこない。
 緊張をほぐす為にふう、と息を吐いた。足元には連日の雨で落ちた桜の花の絨毯で一面埋め尽くされていた。すれ違う人々はみな、春風で振り落とされる花びらを見上げながら、惚けたように歩いている。
 ただひとりだけ───律の視線の先に、律と同じように足元を見たまま俯く人影を除いて。
 彼女だ、と律は直感した。ここら辺では見かけない、お嬢様学校と名高いセーラー服に身を包んだ小さな背中が不安そうに縮こまっている。肩上まで伸びた黒髪の隙間から、桜色の唇が固く結ばれているのが見えて、律の胸はさらに張り裂けそうになった。
 春のかすかに甘い空気を胸いっぱいに吸い込んで、その背に律は声をかける。
「───透、さん、ですか」
 細い肩がぴくりと揺れて、伏せられていた顔が緩慢な動作で律を見上げる。
 空の青さを数多にも重ね合わせたような深い色の瞳がこちらを見ていた。ああ、このひとだ、と律は確信した。彼女の瞳を通して映し出された世界から、あの透明な青が産み落とされたのだ。
「あなたが」
 彼女は胸の中で抱えたスケッチブックを強く両手で抱き締めて、意を決したように言う。
「あなたが、イツカさん……ですか?」
「うん、はじめまして。……俺の本名は、律。雨宮律。きみは?」
「わたしは、透花といいます。笹原透花です」
 とうか。律は口の中で転がすように復唱すると、すんと馴染む。彼女の名前にぴったりだと思った。
「あの、」
「えっと、」
 ふたりの声が重なる。お互いぱちくりと目を合わせて、先に笑ったのは透花の方だった。小さく肩を震わせると、黒い髪の先が緩やかに靡く。そうして、照れくさそうにはにかみながら言う。
「ご、ごめんなさい。すごく緊張してたから、今のでが肩の力が抜けてしまって」
「ああ、うん。それは俺も。昨日、全然寝られなかったし」
「偶然ですね。わたしも全然寝られませんでした」
「俺だけじゃなかったんだ。ちょっと嬉しい」
 透花は少しだけ目を見開いて、「ちょ、直球だ……」とさらに頬を赤く染めて情けなく眉を下げた。
「えっと、あの、ですね」
「うん」
「まずは、これを返したくて」
 律の前に何かを握りしめた手が差し出される。それを受けるように手のひらを向けると、律の手のひらに乗せられたのは、USBだった。え、と腑抜けた声が律の口から洩れる。
「ごめんなさい、」
 その一言が重く、ただ重く、律に圧し掛かる。届かなかったのか、とただそれだけしか考えられなかった。まだ、彼女には届かなかった。そしてもう届かないのだろう。
「……って、言うつもりでした」
「へ?」
 思わず表を上げると、透花は苦笑いをしながら続ける。
「わたしは絵しか描けません」
「……」
「絵しか描けないけれど───それもすごく中途半端で、すぐスランプになるし、誰かに自分の絵を評価されることが怖くて仕方なくて、満足のいくものなんて何一つ描けなくて、自信もなくて、全部嫌になってもう描きたくないって投げ出すような弱い人間で、あなたが期待しているほどの才能も実力もないと思います」
「それは、」
 律は、違う、と続けようとして、言葉を遮られた。
「違うくないですよ。わたしよりずっと、ずっーと、あなたの音楽に見合うだけの世界を絵描くひとは他にたくさんいる。けど、もう、どうしようもないじゃないですか。あんなの、聴かされて」
 透花の深い青の瞳が海の煌めきのように、あるいは雨上がりに差し込む太陽の光のように輝いている。
「あんなの聴かされて、描きたくならないやつなんか、いませんよ」
「は、」
 ───なんていう、殺し文句だそれは。
 身体中の血液が沸騰するみたいに、律の顔が急速に熱くなっていく。こんなド直球ストライクを受け身もなしに食らったらどんな名選手だって、一撃でノックアウト間違いなしだ。
 顔を隠した片手の隙間から、透花が落ち着きなく視線が右往左往しているのが分かった。
「あの、雨宮さん? ど、どうかしましたか?」
「……いや」
「はい」
「……なんか、告白みたいだなって」
「なっ、」
 言葉を詰まらせた透花は、ぽ、ぽ、ぽ、と効果音をつけたくなるほど顔を真っ赤に染めた。そして、動揺のあまり、力が抜けて今まで両腕で抱えていたスケッチブックを地面に落としてしまう。そのタイミングを見計らったように、花嵐が吹き荒れる。風に攫われてスケッチブックから幾枚もの紙が一斉に舞い上がった。
 ───それは、透花が描いた世界のすべてだった。
 はらり、と律の足元に落ちた一枚の紙を拾い上げる。
 鼓動が激しく波打っている。恥ずかしさと、嬉しさと、言いようのない期待感。
「やっぱり、きみがいいよ」
 本能が叫んでいた。彼女しかいない、と。
 どうか手を取ってくれ、と強く願いながら律は透花に拾い上げた一枚の紙を差し出す。
「きみに、俺の曲を描いてほしい」
 透花は春の陽光より淡く笑いながら、震える手でその紙を受け取った。
 それが降参の合図だった。

 *

「先生、すいません」
 律の呼びかけに、よれた白いシャツの男が振り返った。薄ぶち眼鏡に律の顔が反射している。
「雨宮か、どうした?」
「遅くなりましたけど、これ、提出しようと思って」
 鞄の奥底にしまい込んだまま、しわのついたA4用紙を律は担任に差し出した。
 その紙を受け取った担任はそこに綴られた文字を追って、顎を擦りながら頷く。
「あーはいはい、進路希望な。……雨宮はー、大学進学希望、で大丈夫だな」
「はい」
「3年からは受験で忙しくなるからな。2年のうちに青春を謳歌しておけよ~?」
 軽く律の肩を叩いて、担任は去っていった。
「……青春、ね」
 しばらくその背中が遠ざかるのを眺めていると、ポケットの中でスマホが震えた。手に取って確認してみると、連絡先は『透花』と表示されている。きっと、新曲の最終確認のために連絡をしてきたのだろう。
 律は逸る気持ちを抑えて、その電話に出る。電話口の向こうから上ずった興奮冷めやらぬ透花の声が聞こえてきて、思わず口元が緩む。なぜなら、律も同じように舞い上がっていたから。


 猶予は、残り1年。
『音楽なんかで世界が救えない』ことを証明するために、律は音楽をする。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話

そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん! 好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。 ほのぼのラブコメというか日常系小説 オチなどはなく、ただひたすらにまったりします 挿絵や文章にもAIを使用しております。 苦手な方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

地味男はイケメン元総長

緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。 GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。 お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが! 「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」 「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」 ヒミツの関係はじめよう? *野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。 野いちご様 ベリーズカフェ様 エブリスタ様 カクヨム様 にも掲載しています。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...