音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

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[-00:21:11]青以上、春未満

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 むしろ期待するなと、言われる方が無理だろう。
 透花からの、所謂デートのお誘いに思春期健全男子の律が舞い上がらないはずもなく。
 何とも言えないむず痒さを抱えながら、買ったばかりのシャツに腕を通し、お気に入りの黒いキャップを被った律は今、全力疾走をしていた。
「律くーーん! もうちょっと速く!!」
 数メートル先で大きく手を振りながら、スマホを構えた透花から容赦ない要求が飛ぶ。
 騙された、と大声に出したい感情をぐっと押し殺して、律はさらに足を加速させた。自然と息が上がって、顎が上がっていく。
 見上げた空は、突き抜けるように高く、目が覚めるほどに鮮明な青だった。

「お疲れ様」
 柵にももたれ掛かり、心地よい小川の風を浴びながら休憩していた律の頬に冷たい感触があった。目に掛けたタオルをどかして、死んだ目で見降ろすと、スポーツ飲料を片手に笑う透花がいる。
「ありがと」
 律は差し出されたそれを受け取り、遠慮なく口をつけて喉を潤した。横目で透花を見ると、満足げに撮影されたスマホの動画を再生している。半日をかけて撮影されたMV用の資料だ。
「付き合ってくれてありがとう、すごーく助かった! やっぱり参考の資料があるとイメージも湧きやすいし。ネットだと探してもしっくりくるのが無くて困ってたんだ。このアーチ橋、どうしてもMVで使いたかったの。律くんの曲の雰囲気に合うと思って」
「そりゃどーも」
 そっけなく律は顔を逸らした。いたいけな青少年の思春期心を弄ばれたのだ、拗ねるのは当然の権利だろう。
 怪訝に思った透花が下から律の顔を覗き込む。
「……なんか怒ってる?」
「んー? べっつに~?」
「わ、痛い、痛いよ律くん!?」
 律は意趣返しに貸してくれたタオルを透花の頭にかぶせて、げん骨で軽くぐりぐりしてやる。ようやく律の手から脱出し、乱れた髪を直しながら困ったように眉を下げる透花を見ていくらか溜飲が下がった。
 律が重い腰を上げて地に足をつけたと同時に、どこからか防災無線の帰りのチャイムが聞こえてくる。
「あーもう、18時か。そろそろ帰る?」
 そういって律が振り返ると、透花がパチンと両手を合わせて申し訳なさそうに片目を閉じる。
「連れまわしてごめんね。良ければあとちょっと付き合ってほしくて」
 おねだりする透花のその仕草が少し可愛くて、律は無意識に頷いてしまった。
「……別にいいけど。……まさか、また全力疾走しろってこと?」
「あはは、違うよ。今日って七夕でしょう?」
「そうだっけ」
 律の日付感覚はここ最近の忙しさで乱れていた。透花の指摘で思い出すほどに。
「ここからちょっと歩いたところで、七夕祭りやってるんだ」
 七夕祭り。そういえば、ここに来るまでの道中、まだ時期的に早いだろう浴衣姿の男女を電車で見かけたことを律は思い出す。
 透花は薄く微笑んで、夕焼けの赤よりもさらに頬を紅潮させながら言う。
「青春、の仕切り直しに……どうでしょう」
 そんな顔されたら、名案だ、なんて律は思ってしまうのだ。弱ったことに。

 *

 ランタンのぼんやりとした火の光があたり一面に広がっていた。
 地上に散りばめた星の海がゆらゆらと揺れている。

「律くん、こっちこっち!」
 異世界にでも飛び込んだような光景に目を奪われていた律は、自分を呼ぶ声にはっと我に返る。視線を前に向けると、溢れるような人ごみの中で透花がうさぎのようにぴょんぴょんと跳ねて手を上げている。
 半ば強引に人の海をかき分けて、透花の元にたどり着くと透花は興奮気味に仮設テントを指さす。
「見て、ランタンに願い事を書いて飛ばすんだって!」
「やる?」
「やる!」
 食い気味に頷く透花に律は笑いそうになる。受付の人に数百円を支払い、薄紙のドーム型のランタンと短冊を一枚受け取った。願い事を書いた短冊をランタンに貼り付けて飛ばすらしい。
 願い事。いざ短冊を前にすると、律はマジックペンを手にしたまま思い悩む。ちらりと隣を見ると、透花は案外すらすらと短冊に願い事を綴っている。
「なんて書いたの?」
「もちろん、『無事、MVが締め切りに間に合いますように!』」
「ふはは、それな」
「纏くんに聞かれたら、何寝ぼけたこと言ってんの? 締め切り通りに完成させんのは当たり前でしょ、って言われるだろうけど」
「似てるわ生意気な感じが」
 でしょ、と透花が得意げに笑う。
 透花と同じことを書こうかとも思ったが、結局律は全く違う願い事を書き綴ることにした。横から律に身を寄せるように覗き込まれていることに気付いた律は、思わず短冊を隠す。
「ずるっ! 律くんの願い事も教えてよ。わたしは教えたのに」
「内緒」
「けち」
「言ってもいいの? えっちなお願い事かもよ?」
「は!?」
「はは、うっそー」
「り、律くん!?」
 首まで顔を真っ赤にした透花が後ろで抗議の声を上げているのをBGMにして、律は空を仰ぐ。ランタンのリリースまで残り1分です、と雑音まみれの拡声器に通した声が遠くから聴こえてくる。そろそろ、青春の終わりが近づいている。

 さん、にー、いち、ぜろー!
 カウントダウンとともに手にしたランタンたちが一斉に解き放たれた。無限に広がる夜の運河に引き寄せられるように律の願いを乗せたランタンはどこまでも遠く、遠く、何のしがらみもなく自由に天へ上っていく。
「なんだか、ずっと夢を見てるみたい」
 宙に浮いているような、譫言みたいに透花がそう呟いた。
「ここに律くんといることも、みんなで何かを作ってるのも、大変だけどすごく楽しくって、儚い夢みたいで、いつか消えちゃうんじゃないかって、ちょっと怖い」
 透花のほっそりした手が、飛んでいくランタンを追いかけるように伸ばされる。ただ何もない虚空をかくだけの指先がわずかに震えて、誤魔化すように柔く握る。
「創作なんて二度としない、って思ってたのに。……初めて律くんの曲を聴いて、どうしようもなく心が震えたの。ちょっとだけ、自分を許してもいいのかなって思えた」
「……夢じゃない、ちゃんと全部現実だよ」
「ふふ、そうだね。夢じゃない」
 音もなくひっそりと泣くみたいに透花は儚く笑う。透花の溶けそうに白い肌がランタンの淡い光に照らされて不確かに揺らめていている。
「ねえ、律くん」
 服の裾を軽く引っ張られて、振り返ると律は息を呑んだ。
「ありがとう、わたしを見つけてくれて」
 夜のすべてを飲み込むほど深く澄んだ青の瞳に、きらりと星が降るみたいに透明な雫が零れ落ちる。まるで、今この瞬間のために自分は生まれたのだと言っているようで、目が離せなかった。
 その時、律は理解する。
 幾度切り取っても色褪せない確かな青を、青春と呼ぶのだと。

 この胸を締め付けられるような痛みすら、残留してくれればいい、と律は思う。
 そうして、このまま。
「───このまま、ずっと続けばいいのに」
 呟いた透花の言葉が律の心に反芻し、嚙み砕くことすらできず律はくしゃりと顔を歪ませた。
「……透花」
「ん?」
「……いや。なんでも、ないよ」
 律の口から言葉は出なかった。代わりに出たのは、情けなく乾いた呼吸の音だけ。

 その願いだけは、叶えられそうにない。
 律だけが、この夢がそう遠くない未来に終わることを知っていた。
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