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[-00:11:56]創作
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しおりを挟む初めて、透花に出会ったのは、小学1年の夏のことだった。
近所にあった絵画教室『アリスの家』で夏休み限定の特別教室が開催され、たまたま参加した数人の生徒の中にいたのが、透花だった。兄の背中に隠れて恥ずかしそうに顔を伏せる少女は、特段目立ったものもない物静かな子だと、佐都子は思った。
彼女と仲良くなるきっかけは、すごく単純だった。
「あっ、それって、もちぐま?」
「……え?」
小さな体には不釣り合いなスケッチブックと、ペンケースを抱えた透花に思わず声をかけてしまった。だって、ペンケースにつけていたストラップは、当時あんまり人気のなかった動物アニメに出てくるもちもちのくま、通称もちぐまのストラップだったからだ。
「私ももってる! ほら、これ!」
透花の青色のもちぐまと色違いの、赤色のもちぐまを付けたペンケースを佐都子は戸惑う透花に見せる。
「もちぐま好き?」
「……え、あ……うん」
小さく頷く透花の手を、自然と佐都子は握りしめていた。驚いたように顔を赤くする透花は、何度も瞬きを繰り返して、あ、え、あ、と唸っている。
「私、佐都子。緒方佐都子っていうの。あなたは?」
「……透花、笹原透花」
「透花! きれいな名前だね。仲よくしようよ、もちぐま仲間として!」
その日から佐都子は、透花と友達になったのだ。
透花は、周りの子みたいに元気に外でドッジボールとか、縄跳びとかするような子ではなく、教室の端で一人、読書したり絵を描いたりするような子だった。ひとたび集中すると、周りの雑音なんて一切耳に入らないのか、一心不乱に鉛筆を走らせるのだ。
佐都子は、その隣に座りながら、同じように鉛筆を走らせる静かな時間が、好きだった。
彼女の鉛筆と紙が擦れる僅かな音、少し思案するように眺める横顔。たまに消しゴムを落として拾ってあげると、透花はへらりと柔らかく笑うのだ。
ただ、それだけでよかった。
それだけで、よかった、はずだった。
「───わあ、すごい! 透花ちゃんまたコンクール一位?」
「この前も一位とってたよね?」
「やっぱり才能だね」
「透花ちゃんのお兄ちゃんもすごい絵が上手なんだよね?」
「佐都子も二位じゃんすごーい」
笹原透花は、天才だった。
佐都子と同じ時期から習い始めたにも関わらず、絵の才能を開花させるまでにそれほど時間はかからなかった。透花が上達するスピードは恐ろしく早く、いわば乾いたスポンジが水を吸う、みたいな表現が当てはまるほどに、筆を走らせるほどに目に見えて成長していった。一瞬でも油断すれば、透花は自分を突き放し、手の届かない遠くへ行ってしまうような気がして、怖かった。
だから、描いた。ただひたすら、描いた。
描いて、描いて、描いて。
「透花ちゃんまた一位とったの?」
「前よりずーっと上手になってない?」
「佐都子ちゃんも二位おめでとう!」
描いて、描いて、描いて。
「透花ちゃん県で一位とったの!?」
「審査員の人のコメントで絶賛してたよね」
「佐都子ちゃんも入賞したんだよね?」
……描いて、描いて、描いて。
「透花ちゃん、全国コンクールで一位だって」
「将来は画家になるのかなぁ? 天才だよね」
「佐都子も地区で二位だったんでしょう? おめでとう!」
描いて、描いて、描いて!
「この前雑誌に載ってたよ、天才小学生現る! って」
「そんなすごい人が近くにいるなんてね。今のうちに絵描いてもらっとく?」
「佐都子も透花ちゃんの通ってる絵画教室行ってるんだよね?」
「佐都子ちゃんも、確か県で二位取ったんだっけ?」
(ああ、私は───ただの一度だって、透花に敵わない)
本当は、気づいていた。
気づかないふりをしていただけだ。見ないようにしていても、限界はある。数年も、隣に天才と呼ばれる人間がいれば、嫌というほど思い知らされた。
透花のような才能は、自分にはないと言う現実が、そこにはあった。
どれほど絵に時間を費やしても、きっと彼女の傍にはたどり着けないだろう。
(ねえ、透花)
いつも通り、透花は『アリスの家』の一室で、キャンバスに向かい合う。
ぴんと姿勢を正して、片手に持ったパレットの上で複雑混ぜ合わさった青を、ひたすらに塗り重ねていく。その横顔は、昔から何一つ変わらない。純粋に次に描く未来を楽しむ希望に満ちている。時折、踵を鳴らしたり、唸ってみたり。はっと何かを思いついたら、口元を緩ませる。
「───透花」
「……っ、わあ! って、なんだ、佐都子か」
「びっくりした?」
「もー、当たり前でしょ」
胸を撫でおろした透花の、後ろで結んだ髪が少しほどけて人房頬にかかっている。横から手を伸ばして、その髪を指でよけると、透花は擽ったそうにへらりと笑った。
「縛ってあげる」
「ん、ありがと」
透花の後ろに立ち、緩みかけていた髪のゴムをするりと外した。透花の黒髪が流れるように落ちた。彼女の艶のある髪を手櫛で整えながら、一つにしていく。安心しきったように頭を預け、鼻歌を歌う彼女のつむじを見つめながら、佐都子は、声をかける。
「透花、おめでと」
(ねえ、透花)
(知らないでしょ、私が透花の絵が大っ嫌いなの)
「……わたし、誕生日だっけ?」
「あはは、違う違う。この前美術雑誌で応募してたやつ、優勝してたよ」
(本当は私が、透花のこと恨んじゃうくらい、憧れてたの)
「ん、んん? そういえば、応募してたっけ」
「透花はさ……将来やっぱ、画家とか、そういうのになりたいの?」
(私が透花に死ぬほど劣等感持ってることも)
「ええ、まさか」
「じゃあ、何のために描いてるの?」
(透花の絵を見るたびに、自分の絵を破り捨てたくなってることも)
(きっと、透花は知らない。たぶん、想像もつかない)
「何のため……、しいて言うなら、今描きたいから、かな」
「…………、そっか」
(ねえ、透花)
(私は、……貴方に、為りたかったよ)
喉から手が出るほど欲した才能を持つ彼女は、これからも他人の評価など気にせず、ただひたすらに自分の絵を描き続けるだろう。
なまじ、人より絵が描けたことが悪かったかもしれない。もし、この中途半端な才能さえなければ、早々に自分の才能に見切りをつけることができただろう。纏のように。
そうすれば、きっと、こんな汚い感情を彼女に抱く必要すらなかった。
ただの親友として、いられた。
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