音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

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[-00:08:43]ミッドナイトブルー

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 昔住んでいた家には、大きなグランドピアノがあった。
 まだピアノを習い始めたばかりだった律は、今は亡き母と少し足の高いトムソン椅子を半分分け合って、覚えたての『きらきら星』を連弾した。
 小さな手には硬い鍵盤を一生懸命、弾きながら───律は、隣に座る母を見上げる。
 うっすらと口元に笑みを浮かべる母の、眼差しを律はもう、思い出せない。

 今住む家に、あのグランドピアノはもう、無くなってしまった。
 母が亡くなった後、父は妄執にでも憑りつかれたように徹底的に、『音楽』を排除した。母が残した『音楽』は父の手によってすべて消されてしまったのだ。ただ、ひとつを残して。
 それを律が見つけたのは、本当に偶然だった。高校一年の冬のことである。
 普段は入ることもない父の書斎に、参考資料を探しに入った律は、壁にずらりと並ぶ本の中で、奥へ奥へ隠すように押し込められたそれを、見つけた。
 古びた、カセットテーププレーヤーだった。
 開閉ボタンを押すと、ぱっと勢いよく蓋が開いた。中には、一枚のカセットテープがすでに入っていた。カセットテープの側面には茶色く黄ばんだシールが貼りつけられているが、劣化して文字を読むこともできない。ゆっくりと親指でそれをなぞると、律はなぜか鼻の奥がつんとして泣きたくなってしまう。
 律は、イヤホンを耳に挿して、再生ボタンを押す。じじじ、とノイズが数秒。自然と律は瞼を閉じていた。
 そうして、流れ始めたその曲は───

 はっと、目が覚めた。薄く開いた瞳には、常夜灯の薄ぼやけた明かりすら眩しくて、律は目を細める。何度か浅い呼吸を繰り返して、ようやくここが自分の部屋で、自分のベットだと思い出す。律は時々、数年住むこの家を知らない家のように思えて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのだ。ようやく鼓動が一定のリズムを取り戻したころ、律はふと、リビングの方から足音がすることに気が付いた。
 スマホで時刻を確認すると、夜中の3時過ぎだった。この時間帯に物音を立てるのは、滅多に顔を合わせない同居人だけである。
 律は重い体を起こして、部屋のドアを開けた。

「すまん、起こしたか」
「……おかえり、父さん」
「ああ」

 ただでさえ精気の薄い父は、以前顔を合わせたときより一層濃い隈をこさえて、栄養もクソもないようなカップ麺に薬缶で沸騰させたお湯を注いでいる。
 二人暮らしになってから、これといった会話を父とした記憶が律にはない。仕事の都合で、ほとんど家には帰ってこない父との、話題の種も当然のことながら、ない。だから、父とテーブルを挟んで座ったのは、ただ何となく、である。黙々と、レンジで作ったホットミルクを飲みながら、ぼんやりと消えていく湯気を眺めていると、父はいつも通りのぶっきらぼうな口調で話しかけてきた。

「学校はどうだ?」
「あー……まあ、ぼちぼち」
「そうか」

 父から続く言葉はなく、気まずい雰囲気が流れる。居心地の悪くなった律は、立ち上がり、早々にこの場を後にしようと、踵を返したその時だった。

「律、お前。

 がしゃん、と手にしたコップが床に落下した音がした。
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