音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

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[-00:08:43]ミッドナイトブルー

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 雨宮律の家出計画は、即日決行された。
 もっとも優先すべき最重要ミッションを達成すべく、律と纏は『Midnight blue』の向かいにあるチェーン店の牛丼屋の立て看板で身を隠し、様子を伺っていた。
 店内に続く階段から、見覚えのあるバーテン服を着た疲れ切った顔の男が上がってくる。男はしきりに欠伸を繰り返しながら、そのまま律たちから背を向けた方向へ歩いていく。

「たぶん、コンビニに煙草買いにいくとこだ」
「今しかないな、行くぞ律」

 律と纏は頷き合って、そそくさとコソ泥のように店内に忍び込んだ。
 彼らの目的地は、律が作業部屋として使っている元リハーサル室である。最重要ミッションとは、作曲するための機材を叔父である和久がいないうちに回収することだった。
 薄暗い部屋の隅で、律と纏は機材を持ち出すための荷造りに奮闘していた。キーボード、オーディオインターフェース、ヘッドフォン、各種配線コードをひとしきり鞄にぶち込んだ纏が、PCの前でもたつく律の尻を軽めに蹴とばす。

「おい、10分経つって! 何もたついてんだよ! もう戻ってくるぞ!」
「あークソ、データが重すぎて全然転送できん!」
「ちゃんとクラウド管理しとけやボケカス!」

 纏から正論すぎる激が飛ぶ。杜撰なデータ管理のつけが今になって回ってくるとは、と律は自分を呪いたくなった。ようやく転送完了の文字を確認した律と纏は、両手いっぱいに機材を抱えて部屋と飛び出した。

「何やってんだ! 行くぞ!」
「ちょい待って、一応メモを……」

 律はバーカウンターに置かれているペーパーナプキンを一枚取り、ボールペンで文字を書きなぐる。急かす纏の後ろに続き、律は『Midnight blue』のドアをくぐる。2段飛ばしで階段を駆け上がり、その場を後にしようとした、その時だった。

「……ん? 律と、纏じゃねえか」

 背後から、聞き慣れた声がして、律と纏はぎこちなく後ろを振り返る。店隣に設置された簡易の喫煙所で煙草を吹かす叔父、和久の姿がそこにはあった。

「なんだぁ~? 二人してそんなでっけえ荷物抱えて。わはは、夜逃げでもすんのかよ」

 概ね、正解である。

「そ、そんにゃわけないだろ!?」

 律の返答に、纏は思わず頭を抱えたくなった。叔父の怪訝な顔つきを見て、律はますます頭の中が混線状態になっていく。咥えた煙草を指に挟んで、叔父は自分の右頬を指で刺した。

「律、お前そのガーゼどうした? 怪我したのか?」
「そ、それは」
「それに、その荷物、」

 やべ、と顔面に書き殴ったような挙動不審を見せる律に、纏はすかさず助け舟を出した。

「すいません、これから『アリスの家』で打ち合わせがあるんです。この荷物、この前あげた新曲の慰労会用に買った飲み物とか、お菓子とかですよ。よかったら見ます?」

 律は反射的に纏の方を振り返る。いつもと変わらぬポーカーフェイスで、すらすらと言葉が出るところは、まるで詐欺師のようだ。叔父に疑問を問いかける余地を与えず、纏は続ける。

「透花たち待たせてるんで、僕らはこれで。ほら、行くよ」
「わ、分かった」

 既に背を向けて歩き始めた纏に続くように、律は方向を変えた。一歩、踏み出そうと踵をあげたその時である。

「おい。ちょっと待て」
「……な、なんだよ」
「忘れんうちに、渡しとく」

 今更呼び止められるとは思わず、律の肩が勝手に跳ねる。
 首だけ後ろを振り返ると、叔父は何かを探すように手当たり次第に胸や腰にあるポケットを探り、ああ、と何かを見つけたのか声を上げた。律の前に、差し出されたのは掌に収まるサイズの上等そうな紙切れが一枚。
 律がその紙を受け取る寸前。叔父は律にだけ聞こえるよう、顔を寄せた。

「───」

 それを少し遠くから見ていた纏は、一瞬、律の瞳が揺れ動いたのを見逃さなかった。一言、二言何かを伝え終わると、叔父はすっと身を引いた。律は何も言わず、そのままぐしゃりとその紙を握り潰して、乱暴にポケットの中に突っ込んだ。

「じゃ、打ち合わせ頑張れよ」

 手を振る叔父に背を向けて律は、纏さえ追い抜いて歩き出す。ワンテンポ遅れて、纏は律の後に続く。数センチほど高い律の顔を見上げて、纏は問う。

「さっきの、何だったの?」
「…………ただの、買い物リスト」
「ふぅん」

 つくづく律は嘘が下手クソだ、と纏は思った。

 *

『しばらく家出します。父さんが来ても、知らないって言ってください。迷惑かけて、すいません』
 カウンターに置かれた、ペーパーナプキンに書き殴ったその汚い文字を読んで、和久は薄々気が付いていた状況をすべて察した。機材が置かれた律の作業部屋は既にもぬけの殻となっていた。考えるまでもなく、二人が抱えていたあの大荷物がそれだったのだろう。
 こういう思い切りの良さは確かに姉譲りだ、と苦虫を嚙み潰したように笑った。

「ったく、姉貴も反省しろよな」

 額縁に飾られた今は亡き姉の写真を眺めながら、和久はもう一度煙草に火をつけた。

 *

 けたたましいベルの音が鳴ったのは、その日の営業を終え、後片付けに勤しむ深夜1時過ぎのことだった。『close』のプレートを無視して乗り込んでくる無作法者なぞ、和久の思いつく限り、一人しかいない。グラスを拭く手を止め、ドアの方を見やると、肩を大きく上下させたスーツ姿の男が立っていた。あれから数年顔すら見せなかった昔の常連客でもあり───義理の兄でもある、雨宮晴彦がそこにはいた。

「よ。久しぶりだな、義兄さん?」
「律はどこだ!」

 和久の軽い挨拶を無視して、勢いよく右手でカウンターを叩きつけた。充血した目が有無を言わせない高圧的な意思を滾らせている。聞くまでもなく、律が残した置手紙でも読んで、ここにやってきたのだろうと、和久はすぐ察した。

「そうカッカすんなよ。中年のおっさんが怒ると血圧上がってすーぐぶっ倒れるぞ?」
「御託はいい! 律はどこにいるんだ!」

 怒号が店内に響き渡る。律には知らないふりをしろ、と残されたメッセージには書かれていた。が、少なくとも数十年、叔父として甥っ子の面倒を見ていた人間からして、一言二言言ってやりたくなるのは、保護者としての性だった。

「今更父親面すんには、遅すぎたな」
「……なんだと?」
「親の言うことが、気づくくらいにゃ、律は成長したってことだ」

 数年の間にすっかりやつれた義兄の顔が、ぐしゃりと丸まった紙屑のように歪んだ。

「律はここにはいない。居場所も知らん。残念だったな」
「……それならもう用はない」

 ため息交じりにそう言って、再びドアの向かって引き返す背中に和久は呼びかける。

「書斎でカセットテープ見つけたんだと、」

 ドアの取っ手に伸びていた角ばった手が止まる。

「一昨年の冬だ。大寒波で風も強い中、あの馬鹿ここにやってきて俺に頼んだ。音楽で世界なんか救えないって証明したいから、音楽やりたいってね。だから、場所も貸したし、知り合いから機材とか譲ってもらったり、あいつが答えを見つけられるように力を貸した」
「何が、言いたいんだ」
「勝手なエゴで若者から青春を取り上げるのは、あまりに無粋って話さ」

 和久は、ひとつ間を置いて再び、問いかける。

「この意味、分かるかい。晴彦義兄さん?」

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