鎮守の村

六條京

文字の大きさ
4 / 4

消えた村

しおりを挟む
気がつくと、朝日が差していた。

泥にまみれた体を起こし、周囲を見回す。

いつの間にか雨は止み、木々の間から県道が見えていた。

――助かった。



由紀子はふらつきながら歩き出し、数時間後、通りかかったトラックに救われた。

運転手は驚いた顔で彼女を見た。

「姉ちゃん、そんな山の中で何してたんや。」

息も絶え絶えに、彼女は答えた。

「谷ノ原って村で……人が、消されてるんです。」

男の表情が、一瞬だけ固まった。

だがすぐに笑って首を振る。

「谷ノ原? そんなとこ、この辺にねぇよ。」

「そんなはずありません、私は――」

「地図にねぇ。俺、この道何年も走ってるけど、聞いたこともねぇな。」



由紀子は携帯を取り出した。

圏外だった。

だが、圏外であることよりも恐ろしいのは――

撮ったはずの写真が、ひとつも残っていなかったことだ。

宿、村、あの社。

すべて、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。







一週間後。

県警の捜査員に事情を説明し、山へ案内することになった。

地図に印をつけ、確かにここだと示した。

だが、山道を登っても、どこまで行っても、あの村はなかった。

ただ、朽ちた鳥居のような木片が一本、苔むして倒れていた。

「ここに、確かに人が住んでたんです。」

由紀子は訴えた。

「家も、神社も、村長も……」

だが、捜査員は困ったように眉をひそめただけだった。

「この辺り、戦後間もなくは集落がひとつあったらしいが、

 ダムの水没で移転したはずです。……五十年前に」

由紀子はその言葉に耳を疑った。

――五十年前?

だが、彼女の服には泥の跡があり、腕には転んだ傷痕が残っている。

現実に触れたはずの“何か”が、確かにあったのだ。



警察署を出た夜。

ホテルのロビーで一息ついていると、受付の男が声をかけた。

「お客様、こちらお荷物をお預かりしておりました。」

差し出されたのは、古びた封筒だった。

宛名は、彼女の名前。

だが、送り主の欄には見覚えのない筆跡で、こう書かれていた。

「谷ノ原村役場」

由紀子は震える手を必死に抑えながら封を切ると、中には一枚の紙が入っていた。



――

谷ノ原名簿 更新

よそもの 由紀子 

 ※記録済・再来禁止

――



そして、紙の下のほうには、薄い灰がこぼれていた。

まるで、燃えた誰かの記録の残りのように。







翌朝、由紀子の姿はホテルから消えていた。

部屋には荷物がそのまま残され、窓が少しだけ開いていたという。

警察は失踪事件として捜索を続けたが、

彼女の名前は、翌年の戸籍記録からも削除されていた。

――まるで、最初から“そんな人間はいなかった”かのように。

山奥の古い地図の片隅に、今もかすれた文字がある。

「谷ノ原」

その上に赤い印が、誰かの手で引かれていた。

――“立入禁止”。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

近づいてはならぬ、敬して去るべし

句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら…… 近づいてはいけない。 敬して去るべし。   山を降りろ。   六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。 28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。 田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。   大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。 会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中した。   ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。 「名付け得ぬ神」。 東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。   コウイチは訪ねることにする。 道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——   雪深い山の中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。 不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。 あれ? 鳥の声が、まったくない。

処理中です...