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エイリアス問題
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― おかしい 何かおかしいぞ ―
体が動かない。指の一本どころか眼球すら動かせない。まばたきもできない。
だがそんなことは問題ではない。
問題なのは……
― おい、そこにいるのは俺じゃない! セゴーはこっちだ。それはお前の身体じゃない ―
寝台から起き上がった若い体に喜ぶ男。動かない体で、セゴーはまるで他人事のようにそれを見ていた。いや、他人事なのだ。転生などしていない。彼は同じ体のまま、身動き一つとれずに床に倒れているのだ。
「ああ、そんなもん早く捨ててくれ。おぞましい」
生気の感じられない巨漢の男、ボルデューにセゴーは担ぎ上げられる。
― ふざけるな! そんな奴の言葉を信じるな! そいつは偽物だ。本物のセゴーは俺だぞ! ―
「じゃっ、行きましょうカ、ボルデュー。
デュラエスさン、あとはよろしくお願いしますね。セゴーさん、この体は大事に使わせていただきますので」
「ああ、好きにしろ。二度と俺の視界に入らなきゃ何したっていいぞ」
そう言って若い体に生まれ変わったセゴーは高笑いをした。
― どういうことだ。術は失敗したのか。俺は転生なんかできなかった……その代わりに俺に成り代わった偽物が生まれただけだ。あんなものは俺じゃない。誰か知らないものの身体に、なにか分からないものがとり憑いて、俺の名を騙っている。悪夢でしかない。 ―
「これが、エイリアス問題です」
廊下に出て、階段を下りながらボルデューの横にぴったりとついて歩くアルテグラがそう言った。
「記憶は竜の魔石に書き写しましたが、当然古い体の脳にも記憶は残ったままです。同じ人間が二人もいると混乱の元なので、呪文で動きを封じさせてもらいましたが」
― なんだと? それじゃ不老不死なんてまやかしじゃないか。俺はただこの古い体で死にゆくのみなのか? ―
「もちろん新しいセゴーさんの方は記憶の連続性があるので自分がセゴー本人だと認識していますがね。古い体を殺して、魔石に込められた仮想人格が代わりに不老不死の恩恵を受ける。これが『転生法』の概要です。まあ、説明を聞いたうえであなたが選択したことですから」
アルテグラとボルデューはどんどん階段を下りていき、地下まで行って大きな鋼鉄製の扉の前で立ち止まった。アルテグラは抱えられているセゴーの顔の正面に立って話しかける。
「いやあ、あんなに喜んでもらって私も嬉しいです。しかも貴重な素体の提供まで受けて。あなたの言葉通り『好きにさせて』もらいますネ」
― やめろ! あんな世迷いごとを真に受けるな! 俺の言葉を信じるな!! ―
「き……きさ、ま……」
「おや? もう魔法がきれはじめましたかネ? 騒がれる前に研究室に入りましょうカ」
そう言ってアルテグラは両手のふさがっているボルデューにかわって扉の鍵を開ける。
扉からは血生臭い湿気が這い出てくる。
何かが蠢く音、何者かが泣き叫ぶ声、すすり泣く声、後悔の念を呟くうめき声。ようやく動くようになった眼球をセゴーはそちらに向けると、アルテグラが何か魔法でも使ったのか、うすぼんやりと部屋に光が灯った。
それは、筆舌に尽くしがたい光景であった。
おそらくはこの屋敷で最も広いであろう部屋。そこには所狭しと何か蠢いている生物が陳列されている。
鼻から上を切断され、脳がむき出しになった老人。
一つの身体に胸から上が二人分ある女。互いの事が憎いのか、必死に相手を押して離れようとしている。
瓶の中に浮いている、液体漬けの脳。何本もの管がその瓶から伸び、合板に縫い付けられた目玉と口に繋がっており、ぎょろぎょろと辺りを見回して言葉にならないうめき声を上げている。
「殺シテ……オ願イ……殺シテ……」
涙を流しながら、檻に入れられた体の半分以上がタコのような軟体生物になった女性が懇願してくる。
ひたすらゲラゲラと笑いながら転げまわる、赤ん坊の身体に老人の首を持つ生き物。
とにかく部屋にはそんな、この世のものとは思えない化け物がひしめき合っていた。自立行動のできるような者は、たいてい鎖でつながれるか檻に入れられている。
「私はですネ……」
部屋の奥のデスクに着席して、アルテグラは宙を見上げながらゆっくりと話す。
「彼らを見ていると、人間への崇敬の念を押さえられなくなるンです……」
セゴーの脳には彼女の言葉は全く入ってこなかった。そこにあるのは、ただただ、恐怖。おそらくはこの化け物たちをこしらえたのは彼女なのであろう。いや、彼女は「素体の提供」と言っていた。ならばこの化け物たちは明日の自分の姿であるのだ。
「これは、人間の真の姿です。ここには、愛すべき人間の全てがあるのです。
恐怖、怒り、後悔、悲しみ……そして、愛」
「なゼ……こんナ、ことを……」
ようやく臓腑から絞り出せた言葉は、アルテグラへの問いかけであった。この部屋は、何のために。哀れなものを作り出して、悦に浸りたいだけなのか。命を弄ぶことに快感を覚えるのか。そういった問いかけだ。
「私は、デュラエス達と違って、人間を愛しています。
ですが、人間とは……なんなんでしょうね? それが、いつまで経っても分からなイ」
しかしアルテグラは逆に問いかけてくる。もちろんセゴーはその答えを持ち合わせてはいないし、仮に持っていたとしても答えるほどの体力も今は無い。
「先ほど説明したエイリアス問題……転生法と転移魔法は、同じ問題を抱えています。それはつまり人を人たらしめているものとは何なのか……デス」
アルテグラは椅子から立ち上がって、まるで庭園のバラを愛でるかのように『被験者達』を眺めながら歩く。
「魂とは何か? 人格とは何か? どちらも記憶の積み重ねによって起きるパターン学習に過ぎなイ。ならば人とは記憶なのか? それさえ残っていれば人は生き続けていることになるのか? 構成要素が同じものが二つあればその両者は同じものなのか? ……疑問は尽きません」
若干喋りに熱が入ったことを意識したのか、アルテグラは恥ずかしそうにしてから深呼吸し、そしてゆっくりと話を再開する。
「知っていますカ? 人の身体を構成する細胞は、脳や神経などの特殊なものを除いて、7年ほどで全て新しいものに生まれ変わるのでス。
……私にはそれが耐えられなかッた。まるで自分が、知らない何かに取って代わられるようで、恐ろしかっタ。多分、今のあなたと同じ気持ちですネ」
そう言って、アルテグラは床に寝そべっていた猫の首をくすぐる。体は猫だが、首から上は醜く禿げて肥え太った中年男性の頭が乗っかっている。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。セゴーはその中年男性の顔に見覚えがあった。たしか、このカルゴシアやキリシアを含むサーシュム地方の領主、シーマン家の当主だ。
「だから私は、自殺してリッチになり、新陳代謝とおさらばしまシた。十八歳の時の事です。
これ以上私の身体を『私でない何か』に乗っ取られないために」
もしもセゴーの身体が正常であれば、おそらく胃の内容物を吐き出していただろう。
おぞましいもので溢れた地下研究室。
だが最もおぞましいのはやはり目の前のリッチだったのだ。正常な感覚であれば、そんな訳の分からない理由で十八歳の乙女が自殺をするなど考えられない。
「人がなんであるかを知るには、やはり何を望むのかを知らねばなりませン」
アルテグラはボルデューに相変わらず担がれているセゴーに近づき、そして両手で彼の頬を挟み込んで、自分の、その虚ろな眼窩に視線を合わせさせた。
「あなたが、欲する事を為しなさい。その欲望にふさわしい体を与えてあげましょウ……」
体が動かない。指の一本どころか眼球すら動かせない。まばたきもできない。
だがそんなことは問題ではない。
問題なのは……
― おい、そこにいるのは俺じゃない! セゴーはこっちだ。それはお前の身体じゃない ―
寝台から起き上がった若い体に喜ぶ男。動かない体で、セゴーはまるで他人事のようにそれを見ていた。いや、他人事なのだ。転生などしていない。彼は同じ体のまま、身動き一つとれずに床に倒れているのだ。
「ああ、そんなもん早く捨ててくれ。おぞましい」
生気の感じられない巨漢の男、ボルデューにセゴーは担ぎ上げられる。
― ふざけるな! そんな奴の言葉を信じるな! そいつは偽物だ。本物のセゴーは俺だぞ! ―
「じゃっ、行きましょうカ、ボルデュー。
デュラエスさン、あとはよろしくお願いしますね。セゴーさん、この体は大事に使わせていただきますので」
「ああ、好きにしろ。二度と俺の視界に入らなきゃ何したっていいぞ」
そう言って若い体に生まれ変わったセゴーは高笑いをした。
― どういうことだ。術は失敗したのか。俺は転生なんかできなかった……その代わりに俺に成り代わった偽物が生まれただけだ。あんなものは俺じゃない。誰か知らないものの身体に、なにか分からないものがとり憑いて、俺の名を騙っている。悪夢でしかない。 ―
「これが、エイリアス問題です」
廊下に出て、階段を下りながらボルデューの横にぴったりとついて歩くアルテグラがそう言った。
「記憶は竜の魔石に書き写しましたが、当然古い体の脳にも記憶は残ったままです。同じ人間が二人もいると混乱の元なので、呪文で動きを封じさせてもらいましたが」
― なんだと? それじゃ不老不死なんてまやかしじゃないか。俺はただこの古い体で死にゆくのみなのか? ―
「もちろん新しいセゴーさんの方は記憶の連続性があるので自分がセゴー本人だと認識していますがね。古い体を殺して、魔石に込められた仮想人格が代わりに不老不死の恩恵を受ける。これが『転生法』の概要です。まあ、説明を聞いたうえであなたが選択したことですから」
アルテグラとボルデューはどんどん階段を下りていき、地下まで行って大きな鋼鉄製の扉の前で立ち止まった。アルテグラは抱えられているセゴーの顔の正面に立って話しかける。
「いやあ、あんなに喜んでもらって私も嬉しいです。しかも貴重な素体の提供まで受けて。あなたの言葉通り『好きにさせて』もらいますネ」
― やめろ! あんな世迷いごとを真に受けるな! 俺の言葉を信じるな!! ―
「き……きさ、ま……」
「おや? もう魔法がきれはじめましたかネ? 騒がれる前に研究室に入りましょうカ」
そう言ってアルテグラは両手のふさがっているボルデューにかわって扉の鍵を開ける。
扉からは血生臭い湿気が這い出てくる。
何かが蠢く音、何者かが泣き叫ぶ声、すすり泣く声、後悔の念を呟くうめき声。ようやく動くようになった眼球をセゴーはそちらに向けると、アルテグラが何か魔法でも使ったのか、うすぼんやりと部屋に光が灯った。
それは、筆舌に尽くしがたい光景であった。
おそらくはこの屋敷で最も広いであろう部屋。そこには所狭しと何か蠢いている生物が陳列されている。
鼻から上を切断され、脳がむき出しになった老人。
一つの身体に胸から上が二人分ある女。互いの事が憎いのか、必死に相手を押して離れようとしている。
瓶の中に浮いている、液体漬けの脳。何本もの管がその瓶から伸び、合板に縫い付けられた目玉と口に繋がっており、ぎょろぎょろと辺りを見回して言葉にならないうめき声を上げている。
「殺シテ……オ願イ……殺シテ……」
涙を流しながら、檻に入れられた体の半分以上がタコのような軟体生物になった女性が懇願してくる。
ひたすらゲラゲラと笑いながら転げまわる、赤ん坊の身体に老人の首を持つ生き物。
とにかく部屋にはそんな、この世のものとは思えない化け物がひしめき合っていた。自立行動のできるような者は、たいてい鎖でつながれるか檻に入れられている。
「私はですネ……」
部屋の奥のデスクに着席して、アルテグラは宙を見上げながらゆっくりと話す。
「彼らを見ていると、人間への崇敬の念を押さえられなくなるンです……」
セゴーの脳には彼女の言葉は全く入ってこなかった。そこにあるのは、ただただ、恐怖。おそらくはこの化け物たちをこしらえたのは彼女なのであろう。いや、彼女は「素体の提供」と言っていた。ならばこの化け物たちは明日の自分の姿であるのだ。
「これは、人間の真の姿です。ここには、愛すべき人間の全てがあるのです。
恐怖、怒り、後悔、悲しみ……そして、愛」
「なゼ……こんナ、ことを……」
ようやく臓腑から絞り出せた言葉は、アルテグラへの問いかけであった。この部屋は、何のために。哀れなものを作り出して、悦に浸りたいだけなのか。命を弄ぶことに快感を覚えるのか。そういった問いかけだ。
「私は、デュラエス達と違って、人間を愛しています。
ですが、人間とは……なんなんでしょうね? それが、いつまで経っても分からなイ」
しかしアルテグラは逆に問いかけてくる。もちろんセゴーはその答えを持ち合わせてはいないし、仮に持っていたとしても答えるほどの体力も今は無い。
「先ほど説明したエイリアス問題……転生法と転移魔法は、同じ問題を抱えています。それはつまり人を人たらしめているものとは何なのか……デス」
アルテグラは椅子から立ち上がって、まるで庭園のバラを愛でるかのように『被験者達』を眺めながら歩く。
「魂とは何か? 人格とは何か? どちらも記憶の積み重ねによって起きるパターン学習に過ぎなイ。ならば人とは記憶なのか? それさえ残っていれば人は生き続けていることになるのか? 構成要素が同じものが二つあればその両者は同じものなのか? ……疑問は尽きません」
若干喋りに熱が入ったことを意識したのか、アルテグラは恥ずかしそうにしてから深呼吸し、そしてゆっくりと話を再開する。
「知っていますカ? 人の身体を構成する細胞は、脳や神経などの特殊なものを除いて、7年ほどで全て新しいものに生まれ変わるのでス。
……私にはそれが耐えられなかッた。まるで自分が、知らない何かに取って代わられるようで、恐ろしかっタ。多分、今のあなたと同じ気持ちですネ」
そう言って、アルテグラは床に寝そべっていた猫の首をくすぐる。体は猫だが、首から上は醜く禿げて肥え太った中年男性の頭が乗っかっている。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。セゴーはその中年男性の顔に見覚えがあった。たしか、このカルゴシアやキリシアを含むサーシュム地方の領主、シーマン家の当主だ。
「だから私は、自殺してリッチになり、新陳代謝とおさらばしまシた。十八歳の時の事です。
これ以上私の身体を『私でない何か』に乗っ取られないために」
もしもセゴーの身体が正常であれば、おそらく胃の内容物を吐き出していただろう。
おぞましいもので溢れた地下研究室。
だが最もおぞましいのはやはり目の前のリッチだったのだ。正常な感覚であれば、そんな訳の分からない理由で十八歳の乙女が自殺をするなど考えられない。
「人がなんであるかを知るには、やはり何を望むのかを知らねばなりませン」
アルテグラはボルデューに相変わらず担がれているセゴーに近づき、そして両手で彼の頬を挟み込んで、自分の、その虚ろな眼窩に視線を合わせさせた。
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