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5章【運命の夜(上)】
桜花
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彩篠宮は異質な土地だ。
霊災の被害者が集まる町……というのもあるが、何より気になるのはこの町の妖や陰陽師が、攻撃や防御の挙動に名前を付け、戦闘行為の最中にやたらと口に出す事だろう。
普通ならば、己の挙動を相手に知らせるような真似は避けることが常道だ。
では何故、彼ら、あるいは彼女らはそのようなーー見ようによってはーー奇行とも取れる行為を常として行っているのか。
それはこの土地が言霊使いの管理地であるからに他ならない。
彩篠宮で過ごす者、彩篠宮で産まれた者は少なからずその影響を受ける。
つまり、言葉に力が宿るのだ
己の所作に名前を付け、それを口にする行為は、むしろメリットの方が大きくなる。
それを行わない者は余程技量に長けるか、能力が優れるか……要約してしまえば強者という事だろう。
例えば今、ハナカマキリの攻撃を細腕と一本の刀で凌ぎ続けている隻腕隻眼の剣士のような。
「なんで貴女にしてもアゲハにしても、不可視の鎌獄が避けられるのかしら」
地面を抉り裂く見えない刃ですらも、その女の纏う服に汚れを付けることすらままならない。
苛立ちすら覚えながらハナカマキリの放った妖の腕力に任せた大鎌の一振りをーーどうやればできるのかなど皆目見当がつかないがーー細身の刀で幾度目か受け止められた。
刃の部分による致命的な一撃ではなく、柄による殴打は、目論見だった刀をへし折る事すら叶わない。
ハナカマキリはそのまま鎌を引く。
紅色のシャツに黒いレザーの上着を纏った隻腕の剣士を両断するには至らなかったが、鉤状の刃に絡め取られた彼女は白い捕食者へと引き寄せられる。
「あの、お話を聞いてくれませんか!?」
「嫌よ。こんなに楽しい相手久々だもの」
紅と菫。
異なる色彩の瞳が向かい合い、困惑と殺意の視線が交差する。
そう、尋常ならざる身のこなしと技巧を披露するその女からは、一切の敵意が感じられないのだ。
妖でも、妖狩りの者でもないのならば、果たしてこの女は……。
「何でこんなことに……」
呟くように漏らした彼女の問いに対する答えは至極単純。
「貴女が私に話し掛けたからよ」
一つ付け加えるならば、擬態の能力を発動している時に……だ。
当たり前の景色、人の営みに溶け込むハナカマキリの擬態は、彼女が害意を向けたりなどしなければ、それを知り、意識しようとでもしない限りは人はもちろん、妖ですらも知覚することも難しい代物だ。
それを、事情も何も知らないはずのこの剣士は、道でも尋ねるかのように平然と声を掛けてきた。
腰に刀を提げたまま。
敵意は向けられずとも、その時点でまともとは言い難い相手であることは明白だ。
推測だが、ハナカマキリの擬態に近い方法で、刀の存在を知覚させないようにしているのだろう。
「お名前は?」
「桜花です」
「桜って名前の子は面白い子ばかりね」
「貴女は?」
「花々万斬」
ハナカマキリの大鎌は桜花を抱き込み、社交界でダンスを踊るパートナーの腰に手を回すかの如くーー尤も、腰に回されているのは巨大な鎌の刃なのだがーー密着する。
そして、まるで世間話でもするかのように、お互い名乗りを交わす。
大きな傷が刻まれた左の目はおそらく二度と開くことはないのだろうが、しかしそれを眼帯などで隠すでもなく、堂々と晒されている。
だがーー。
「瞳が濁ってるわね」
「ーーっ!?」
桜花を引き寄せた鎌を握ったまま、ハナカマキリは彼女の隣を抜けるように足を運ぶ。
静かに、優美に、しかして視界から消え去るような疾さで。
冷たさすら感じる凶刃は撫でるように桜花の身体をなぞり、そしてそれは突如としてハナカマキリに引かれる。
結果は考えるまでもない。腰から上下に両断だ。
「…………」
否。
桜の花弁が散り、桜花は鎌の内側から姿を消していた。
手元まで鎌が引かれると同時に、先程まで立っていた場所にそのまま姿を現した。
桜の花に化かされたのは錯覚だという事には気付いている。
だが、常に獲物を求め、生きるか死ぬかの戦いに身を置き続けるハナカマキリが安い幻術になど掛かるはずもない。
いや、そもそもこの女からは妖としての力も陰陽師の気も感じられないのだ。
今まで見てきたのは、全て鍛練によって培われた、言ってしまえば人の身で成し得る技ばかり。
「強いのね。ええ。本当に、もしかしたら私よりも……」
「この身は人のまま。しかし、私の技は千の歳月恩讐によって研がれ磨かれた物……ただの暴威では、刃の一つも欠けさせられないでしょう」
「ふふ、ふふふふふ……嗚呼、きっとこのまま続けたら……いいえ。貴女が本気を出してくれたならば斬られて死んでしまうのは私ね。分かるもの。貴女は今の駆引きを、命のやり取りとすら思っていないって」
「……ですから、刃を下ろしてください。私はただ、聞きたいことがあるだけなんです」
手にした大鎌が白い花弁となって空に舞う。
本気で、この場は退こうかと考えもした。
だが、脳裏にオオムラサキの顔が過った。
ーー勝てる相手にだけ事を起こすでもなく、でも、誰が相手でも仕掛けるでもない。自分が戦うべき物がちゃんと見えているーー
では、ハナカマキリにとって戦うべき物とは?
「花の色香に惑わされるのは蝶の役目なのだろうけども」
やんわりと広げられた両の腕。
その手中には二本の白い鎌が形作られ握られた。
私は求道者ではない。
私はただの妖だ。
そう理解しているというのに、たまたま出会っただけのこの剣士に挑んでみたくてたまらないのだ。
ハナカマキリの様子を見て、桜花の顔から表情が消えた。
ただ小さく頷いて、片手で器用に腰の鞘へと刀を一度しまう。
「どうしても……やるのですか……」
「ええ。私ね、なんだか迷ってしまっているみたいなの。何でかしら……この町に来るまで、いいえ。ある妖の在り方を見るまではこんな事考えもしなかったのに……」
「不器用なのですね」
「そうかも。でも。貴女も人の事は言えないんじゃない?」
「え?」
「千年って言葉を信じるかは別として、貴女の身のこなしは一朝一夕で身に付くものじゃない。でも、しばらく命のやり取りとはご無沙汰だったんじゃないかしら」
思い当たる節があったのか、彼女の真っ赤な目が見開かれる。
「他者の命を散らすことに躊躇いが見えるわ……。きっと、何かの理由で戦う事を強いられて、この町に……彩篠宮に呼ばれたのね」
無言の桜花と、何処か恍惚としたハナカマキリ。
互いに迷いを抱えた者同士だというのに、その有り様は対極だ。
「でも、私はそれを知ってて殺し合いを仕掛けるの」
「まるで獣ですね」
「いいえ……虫よ」
二対の鎌を力なく提げたまま、炎が揺らぐようにゆっくりと桜花との距離を詰める。
あと一歩でハナカマキリの鎌が届く間合いにまで近付いた瞬間だった。
アスファルトの地面が一直線に裂かれたのは。
髪を揺らす残り風は、それが桜花の刀によって引かれた物であることを物語るも、その所作の一切が視認できない。
「加減を誤って殺してしまっても、恨まないでくださいね」
「そうしたら桜斑咲か八備翔人という人物を探すといいわ。私よりは親切に話を聞いてくれるはずだから」
互いの足元を中心に花弁が舞う。
いや、花弁に見えるのは錯覚か。
あれは、不可視と言って差し支えない超高速の剣閃と鎌閃がぶつかり合い、松葉の如く散る火花。あるいは、その剣閃鎌閃その物だ。
二対の鎌は的確に急所を狙いながらも、片側に意識を向けたならばそのままもう片側で首を狩り取らんばかりの殺意に満ちている。
それだけではない。
鎌の形状は、刀のような物で受けたならば、そのまま絡め取り、姿勢を崩してしまえる物。
取り回しにくさ、本来武器ではない事を考えても、決定打を仕掛けに行けない間合いで打ち合うならば、分はハナカマキリにあるだろう。
だが、対する桜花は焦りの一つも見せないまま、刃に刃を滑り当てるようにして攻撃を凌ぎ、即座に打ち放す事で武器を取られることすら防ぎ続けた。
「ふっ……!」
最中に僅かな隙があったのだろう。
ハナカマキリには分からなかったが、桜花が小さく息を吐いて半歩だけ踏み込むのを見る限り、彼女はそれに気付いたらしい。
だが、みすみす取らせはしない。
間合いを詰めんとする桜花の行く手を塞ぐように、左の鎌を振り下ろす。
読めていたと言わんばかりに桜花は刀を大きく振り抜き、動作の出掛かりでそれを打ち防ぐ。
刀は後方へと流れ、桜花の姿勢は前傾に。
ともすれば腕を欠いた左肩はがら空きだ。
誘いである事は一目瞭然。
「情熱的なのね」
こうまで魅力的な御誘いならば、手を取り踊るが淑女の嗜みか。
ハナカマキリの菫色の瞳には、死閃が見えている。
左の肩から右の腰まで、肉を裂き、骨を断ち、間にある人が生きるに必用な臓腑の悉くを潰すための線が。
片手の鎌の柄を短く持ち変え、描いた動きをなぞれるように手を運ぶ。
踏み込んだのは死地である事を身を以て知るが良い。
「ーーーー」
「ーーーー」
鈍く光る鎌が描いた線の通りに走った。
予定外があったとすれば、その線の中に桜花が居なかった事だろう。
ハナカマキリの初動に合わせて、彼女は後方の刀を地面に刺して強引に身を引いたのだ。
「咲かせます」
そして地面を抉り斬りながら、正面、ハナカマキリの胴を狙って一閃する。
すかさずハナカマキリは、手にした鎌をまるでもう要らないものであると言うかのように取り零す。
横から凪がれた一撃は、落ちた鎌を巻き込みながら進み、ハナカマキリはその鎌の峰に足を掛けて宙へと身体を逃がした。
桜花の頭上を逆さまになりながら跳び、その白い花のような手を彼女へ向ける。
「殺六鎌華」
まるで花でも開くように、桜花を中心として六本の鎌が現れた。
鏡のように研ぎ澄まされた刃は全てが内へ向き、得物の姿を写している。
ハナカマキリが開いた手を握ると、何かに引っ張られるように鎌が桜花へ目掛けて飛来する。
平面方向への退路は無い。
垂直方向への退路は頭上のハナカマキリが塞いでいる。
そして一本の刀では、同時に飛来する六本もの鎌への対処は手数不足だ。
「天剣……」
だが……そう、普通ならば手詰まりとも言える状況ではあるが、眼下の剣士は普通などではない。
妖術も陰陽術も無くとも、この女には剣術がある。
「絶凍ーー!」
桜花の言葉は静かに、しかし力強く。
同時に、彼女は地面へと刀を突き刺した。
あまりに卓越した業は、時に魔法とも見紛う。
直前に振り抜いた剣閃。
その折に刀が通りすがった地面から、まるで木のように氷が伸び、すべての鎌を枝に絡め取って、動きを止めてしまったのだ。
その場に生まれた氷の樹木に、ハナカマキリが静かに着地する。
「熱を斬った……?」
「驚きました。理解るのですね」
荒唐無稽な話ではあるが、まあ何せ、ハナカマキリ自身が時間を斬る業の使い手だからこそ、理解もできたのだろう。
しかし、あれも素戔嗚の力あっての物。
人の身で、鍛練だけで、この領域に足を掛けている事の方が理解できない。
もう一つ分からないとすれば、これ程の怪物が何故この街に来たのか。
それも、こんな時に。
「…………」
脳裏にノイズが走る。
何か、今自分の思考に引っ掛かった気がする。
何を。
一体、何に違和感を覚えたのか。
「いいえ。今考える事ではないわね」
小さく呟き、ハナカマキリは氷樹を蹴った。
桜花を中心とした六花は、ハナカマキリの跳躍を切っ掛けに、絡め取った鎌ごと脆く、儚く崩れて消える。
再び宙へと舞ったハナカマキリの手には、巨大な白い鎌が握られていた。
「大白鎌ーー」
上段より振りかぶる。
今は何よりこの、素性も分からぬ好敵手との闘争を愉しもう。
かつて喰らい、内に力の坩堝となっている素戔嗚を、今一度この身、この鎌へと纏う。
白い闘気が花弁の如く舞い浮かび、鎌を中心に小さな嵐となる。
やがて嵐には雷が生まれ、その風は外界にすら荒び始めた。
「荒之ーー!」
「七夕桜」
狂う荒神の力を解き放たんとした、まさにその瞬間だった。
桜花の姿が、視界から消えた。
そして、次に気配を感じた時には全てが終わっていた。
ハナカマキリは鎖骨から臍までを着物さら縦に裂かれ、白く艶かしい素肌を晒しながら、鎌を振ることなく地面に着地した。
遅れて、鮮血が吹き出る。
「ふふ、見えなかった……」
「…………」
「無粋な……事は言わないの……私は好きよ?」
「私は、嫌いです。人を斬る事が平気で、相手もそうだと思ってるような人は」
「ああ、そう……それが……あなたの初恋だったのね……ふふ、ふふふふ……」
苦しそうに笑いながら、ハナカマキリは膝をついた。
自ずから溢れる深紅の池。
その中央に咲いたは紅白の一輪花。
目から光が消え、息すら静かになるまで、艶やかな捕食者の小さな笑い声だけが続いていた。
霊災の被害者が集まる町……というのもあるが、何より気になるのはこの町の妖や陰陽師が、攻撃や防御の挙動に名前を付け、戦闘行為の最中にやたらと口に出す事だろう。
普通ならば、己の挙動を相手に知らせるような真似は避けることが常道だ。
では何故、彼ら、あるいは彼女らはそのようなーー見ようによってはーー奇行とも取れる行為を常として行っているのか。
それはこの土地が言霊使いの管理地であるからに他ならない。
彩篠宮で過ごす者、彩篠宮で産まれた者は少なからずその影響を受ける。
つまり、言葉に力が宿るのだ
己の所作に名前を付け、それを口にする行為は、むしろメリットの方が大きくなる。
それを行わない者は余程技量に長けるか、能力が優れるか……要約してしまえば強者という事だろう。
例えば今、ハナカマキリの攻撃を細腕と一本の刀で凌ぎ続けている隻腕隻眼の剣士のような。
「なんで貴女にしてもアゲハにしても、不可視の鎌獄が避けられるのかしら」
地面を抉り裂く見えない刃ですらも、その女の纏う服に汚れを付けることすらままならない。
苛立ちすら覚えながらハナカマキリの放った妖の腕力に任せた大鎌の一振りをーーどうやればできるのかなど皆目見当がつかないがーー細身の刀で幾度目か受け止められた。
刃の部分による致命的な一撃ではなく、柄による殴打は、目論見だった刀をへし折る事すら叶わない。
ハナカマキリはそのまま鎌を引く。
紅色のシャツに黒いレザーの上着を纏った隻腕の剣士を両断するには至らなかったが、鉤状の刃に絡め取られた彼女は白い捕食者へと引き寄せられる。
「あの、お話を聞いてくれませんか!?」
「嫌よ。こんなに楽しい相手久々だもの」
紅と菫。
異なる色彩の瞳が向かい合い、困惑と殺意の視線が交差する。
そう、尋常ならざる身のこなしと技巧を披露するその女からは、一切の敵意が感じられないのだ。
妖でも、妖狩りの者でもないのならば、果たしてこの女は……。
「何でこんなことに……」
呟くように漏らした彼女の問いに対する答えは至極単純。
「貴女が私に話し掛けたからよ」
一つ付け加えるならば、擬態の能力を発動している時に……だ。
当たり前の景色、人の営みに溶け込むハナカマキリの擬態は、彼女が害意を向けたりなどしなければ、それを知り、意識しようとでもしない限りは人はもちろん、妖ですらも知覚することも難しい代物だ。
それを、事情も何も知らないはずのこの剣士は、道でも尋ねるかのように平然と声を掛けてきた。
腰に刀を提げたまま。
敵意は向けられずとも、その時点でまともとは言い難い相手であることは明白だ。
推測だが、ハナカマキリの擬態に近い方法で、刀の存在を知覚させないようにしているのだろう。
「お名前は?」
「桜花です」
「桜って名前の子は面白い子ばかりね」
「貴女は?」
「花々万斬」
ハナカマキリの大鎌は桜花を抱き込み、社交界でダンスを踊るパートナーの腰に手を回すかの如くーー尤も、腰に回されているのは巨大な鎌の刃なのだがーー密着する。
そして、まるで世間話でもするかのように、お互い名乗りを交わす。
大きな傷が刻まれた左の目はおそらく二度と開くことはないのだろうが、しかしそれを眼帯などで隠すでもなく、堂々と晒されている。
だがーー。
「瞳が濁ってるわね」
「ーーっ!?」
桜花を引き寄せた鎌を握ったまま、ハナカマキリは彼女の隣を抜けるように足を運ぶ。
静かに、優美に、しかして視界から消え去るような疾さで。
冷たさすら感じる凶刃は撫でるように桜花の身体をなぞり、そしてそれは突如としてハナカマキリに引かれる。
結果は考えるまでもない。腰から上下に両断だ。
「…………」
否。
桜の花弁が散り、桜花は鎌の内側から姿を消していた。
手元まで鎌が引かれると同時に、先程まで立っていた場所にそのまま姿を現した。
桜の花に化かされたのは錯覚だという事には気付いている。
だが、常に獲物を求め、生きるか死ぬかの戦いに身を置き続けるハナカマキリが安い幻術になど掛かるはずもない。
いや、そもそもこの女からは妖としての力も陰陽師の気も感じられないのだ。
今まで見てきたのは、全て鍛練によって培われた、言ってしまえば人の身で成し得る技ばかり。
「強いのね。ええ。本当に、もしかしたら私よりも……」
「この身は人のまま。しかし、私の技は千の歳月恩讐によって研がれ磨かれた物……ただの暴威では、刃の一つも欠けさせられないでしょう」
「ふふ、ふふふふふ……嗚呼、きっとこのまま続けたら……いいえ。貴女が本気を出してくれたならば斬られて死んでしまうのは私ね。分かるもの。貴女は今の駆引きを、命のやり取りとすら思っていないって」
「……ですから、刃を下ろしてください。私はただ、聞きたいことがあるだけなんです」
手にした大鎌が白い花弁となって空に舞う。
本気で、この場は退こうかと考えもした。
だが、脳裏にオオムラサキの顔が過った。
ーー勝てる相手にだけ事を起こすでもなく、でも、誰が相手でも仕掛けるでもない。自分が戦うべき物がちゃんと見えているーー
では、ハナカマキリにとって戦うべき物とは?
「花の色香に惑わされるのは蝶の役目なのだろうけども」
やんわりと広げられた両の腕。
その手中には二本の白い鎌が形作られ握られた。
私は求道者ではない。
私はただの妖だ。
そう理解しているというのに、たまたま出会っただけのこの剣士に挑んでみたくてたまらないのだ。
ハナカマキリの様子を見て、桜花の顔から表情が消えた。
ただ小さく頷いて、片手で器用に腰の鞘へと刀を一度しまう。
「どうしても……やるのですか……」
「ええ。私ね、なんだか迷ってしまっているみたいなの。何でかしら……この町に来るまで、いいえ。ある妖の在り方を見るまではこんな事考えもしなかったのに……」
「不器用なのですね」
「そうかも。でも。貴女も人の事は言えないんじゃない?」
「え?」
「千年って言葉を信じるかは別として、貴女の身のこなしは一朝一夕で身に付くものじゃない。でも、しばらく命のやり取りとはご無沙汰だったんじゃないかしら」
思い当たる節があったのか、彼女の真っ赤な目が見開かれる。
「他者の命を散らすことに躊躇いが見えるわ……。きっと、何かの理由で戦う事を強いられて、この町に……彩篠宮に呼ばれたのね」
無言の桜花と、何処か恍惚としたハナカマキリ。
互いに迷いを抱えた者同士だというのに、その有り様は対極だ。
「でも、私はそれを知ってて殺し合いを仕掛けるの」
「まるで獣ですね」
「いいえ……虫よ」
二対の鎌を力なく提げたまま、炎が揺らぐようにゆっくりと桜花との距離を詰める。
あと一歩でハナカマキリの鎌が届く間合いにまで近付いた瞬間だった。
アスファルトの地面が一直線に裂かれたのは。
髪を揺らす残り風は、それが桜花の刀によって引かれた物であることを物語るも、その所作の一切が視認できない。
「加減を誤って殺してしまっても、恨まないでくださいね」
「そうしたら桜斑咲か八備翔人という人物を探すといいわ。私よりは親切に話を聞いてくれるはずだから」
互いの足元を中心に花弁が舞う。
いや、花弁に見えるのは錯覚か。
あれは、不可視と言って差し支えない超高速の剣閃と鎌閃がぶつかり合い、松葉の如く散る火花。あるいは、その剣閃鎌閃その物だ。
二対の鎌は的確に急所を狙いながらも、片側に意識を向けたならばそのままもう片側で首を狩り取らんばかりの殺意に満ちている。
それだけではない。
鎌の形状は、刀のような物で受けたならば、そのまま絡め取り、姿勢を崩してしまえる物。
取り回しにくさ、本来武器ではない事を考えても、決定打を仕掛けに行けない間合いで打ち合うならば、分はハナカマキリにあるだろう。
だが、対する桜花は焦りの一つも見せないまま、刃に刃を滑り当てるようにして攻撃を凌ぎ、即座に打ち放す事で武器を取られることすら防ぎ続けた。
「ふっ……!」
最中に僅かな隙があったのだろう。
ハナカマキリには分からなかったが、桜花が小さく息を吐いて半歩だけ踏み込むのを見る限り、彼女はそれに気付いたらしい。
だが、みすみす取らせはしない。
間合いを詰めんとする桜花の行く手を塞ぐように、左の鎌を振り下ろす。
読めていたと言わんばかりに桜花は刀を大きく振り抜き、動作の出掛かりでそれを打ち防ぐ。
刀は後方へと流れ、桜花の姿勢は前傾に。
ともすれば腕を欠いた左肩はがら空きだ。
誘いである事は一目瞭然。
「情熱的なのね」
こうまで魅力的な御誘いならば、手を取り踊るが淑女の嗜みか。
ハナカマキリの菫色の瞳には、死閃が見えている。
左の肩から右の腰まで、肉を裂き、骨を断ち、間にある人が生きるに必用な臓腑の悉くを潰すための線が。
片手の鎌の柄を短く持ち変え、描いた動きをなぞれるように手を運ぶ。
踏み込んだのは死地である事を身を以て知るが良い。
「ーーーー」
「ーーーー」
鈍く光る鎌が描いた線の通りに走った。
予定外があったとすれば、その線の中に桜花が居なかった事だろう。
ハナカマキリの初動に合わせて、彼女は後方の刀を地面に刺して強引に身を引いたのだ。
「咲かせます」
そして地面を抉り斬りながら、正面、ハナカマキリの胴を狙って一閃する。
すかさずハナカマキリは、手にした鎌をまるでもう要らないものであると言うかのように取り零す。
横から凪がれた一撃は、落ちた鎌を巻き込みながら進み、ハナカマキリはその鎌の峰に足を掛けて宙へと身体を逃がした。
桜花の頭上を逆さまになりながら跳び、その白い花のような手を彼女へ向ける。
「殺六鎌華」
まるで花でも開くように、桜花を中心として六本の鎌が現れた。
鏡のように研ぎ澄まされた刃は全てが内へ向き、得物の姿を写している。
ハナカマキリが開いた手を握ると、何かに引っ張られるように鎌が桜花へ目掛けて飛来する。
平面方向への退路は無い。
垂直方向への退路は頭上のハナカマキリが塞いでいる。
そして一本の刀では、同時に飛来する六本もの鎌への対処は手数不足だ。
「天剣……」
だが……そう、普通ならば手詰まりとも言える状況ではあるが、眼下の剣士は普通などではない。
妖術も陰陽術も無くとも、この女には剣術がある。
「絶凍ーー!」
桜花の言葉は静かに、しかし力強く。
同時に、彼女は地面へと刀を突き刺した。
あまりに卓越した業は、時に魔法とも見紛う。
直前に振り抜いた剣閃。
その折に刀が通りすがった地面から、まるで木のように氷が伸び、すべての鎌を枝に絡め取って、動きを止めてしまったのだ。
その場に生まれた氷の樹木に、ハナカマキリが静かに着地する。
「熱を斬った……?」
「驚きました。理解るのですね」
荒唐無稽な話ではあるが、まあ何せ、ハナカマキリ自身が時間を斬る業の使い手だからこそ、理解もできたのだろう。
しかし、あれも素戔嗚の力あっての物。
人の身で、鍛練だけで、この領域に足を掛けている事の方が理解できない。
もう一つ分からないとすれば、これ程の怪物が何故この街に来たのか。
それも、こんな時に。
「…………」
脳裏にノイズが走る。
何か、今自分の思考に引っ掛かった気がする。
何を。
一体、何に違和感を覚えたのか。
「いいえ。今考える事ではないわね」
小さく呟き、ハナカマキリは氷樹を蹴った。
桜花を中心とした六花は、ハナカマキリの跳躍を切っ掛けに、絡め取った鎌ごと脆く、儚く崩れて消える。
再び宙へと舞ったハナカマキリの手には、巨大な白い鎌が握られていた。
「大白鎌ーー」
上段より振りかぶる。
今は何よりこの、素性も分からぬ好敵手との闘争を愉しもう。
かつて喰らい、内に力の坩堝となっている素戔嗚を、今一度この身、この鎌へと纏う。
白い闘気が花弁の如く舞い浮かび、鎌を中心に小さな嵐となる。
やがて嵐には雷が生まれ、その風は外界にすら荒び始めた。
「荒之ーー!」
「七夕桜」
狂う荒神の力を解き放たんとした、まさにその瞬間だった。
桜花の姿が、視界から消えた。
そして、次に気配を感じた時には全てが終わっていた。
ハナカマキリは鎖骨から臍までを着物さら縦に裂かれ、白く艶かしい素肌を晒しながら、鎌を振ることなく地面に着地した。
遅れて、鮮血が吹き出る。
「ふふ、見えなかった……」
「…………」
「無粋な……事は言わないの……私は好きよ?」
「私は、嫌いです。人を斬る事が平気で、相手もそうだと思ってるような人は」
「ああ、そう……それが……あなたの初恋だったのね……ふふ、ふふふふ……」
苦しそうに笑いながら、ハナカマキリは膝をついた。
自ずから溢れる深紅の池。
その中央に咲いたは紅白の一輪花。
目から光が消え、息すら静かになるまで、艶やかな捕食者の小さな笑い声だけが続いていた。
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偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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