音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

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第三幕 抗う者たち

眩惑のバスルーム

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 こうなったらもう、風呂に入って、速攻で寝てしまおう。

 黙呪兵と戦ってる間にどこかへやってしまってた俺のバックパックは、ハルさんが拾ってきてくれたようで、ちゃんと部屋に置いてあった。着替えだとか、洗面用具だとかもちゃんと入ってる。

 とりあえず俺が先に入らせてもらおう。バスタブに湯を入れ、バスルームの中で服を脱いで脱衣カゴに放り込む。ガラス張りだから丸見えで恥ずかしいけど、そんなこと言ってられない。ニコもむこうを向いててくれるだろう。

 ……と思ったらガッツリ見られてるんですけど。しかもガラスの前でかぶりつきで。



 タオルで前を隠し、顔を出してニコに声をかける。

「ニコ、恥ずかしいからそんなに見ないでよ」

「ソウタ、身体がすごい傷だらけよ。痛くないの? 大丈夫なの?」

 ああ、何でそんなに見るのかと思ったらこの傷を見てるのか。あのライオンが放った乱風刃でできた傷だ。

「ちょっとピリピリするけど、もう血も止まってるし、大丈夫だよ」

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。だからベッドの方に行っててよ」

「うん……」



 しかし浴槽の中に入ってホッと一息入れ、部屋の方を見たら、またニコがガラスに張り付いている。

「ニコ、あの、恥ずかしいんで向こうに行っててくれない?」

「うん。でもソウタ、本当にその傷、大丈夫?」

「大丈夫だよ」

 そんなことを何度か繰り返すが、どうしてもニコは向こうに行ってくれない。身体を洗いたいのだが、美少女にジッと観察されながらじゃバスタブから出ることもできない。とても人に見せるようなマッチョな身体ではないしな。



「ニコ、あの……何でそんなに見るの?」

 ニコはしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。

「……怖いの」

 えっ、何が?

「ちょっと目を離したらまたソウタがどこか行ってしまうじゃないかって、もっと傷だらけになっちゃうんじゃないかって、怖いの」

 ああ、そうか。

 ずっと一緒に行動してたのが、ちょっと別行動した途端にあんなことになったからな。でも裸でどっかに行ったりはしないって。

「それに、その傷が痛そうで、私まで身体が痛く感じるの……ねえ、双癒歌で治療してもいい?」

 えっ? 今、ここで?

「うん。だって服着ちゃったら傷がどこか分からなくなるもん」

 いや、でも、こんなお風呂でやらなくても、お風呂出てからでいいんじゃ?

「裸でお風呂出たら寒いじゃん。いいから、いいから、私に任せて」

 って、浴室の中に入って来ちゃったよ、この子!



「はい、まず背中からね。はい、むこう向いて立って、こっちに背中を向けて」

 うう、仕方ない。言う通りにしよう。俺はバスタブの中で立ち上がり、彼女に背中を向けた。前をタオルで隠しているが、お尻が丸出しだ。か、かっこ悪い。恥ずかしい。

 彼女は俺の裸の背中をぺたぺた触っている。な、何だ?

「可哀想……こんなに傷だらけになって」

 ああ、傷を見てるのか。

「血潮よ、血潮よ、集まりて集まりて、傷を塞ぎ、痛みを癒したまえ~♪」

 ニコの可愛い歌声が浴室の中に響いた。その途端、ふっと背中が軽くなるような不思議な感覚がした。



 その後も何度かニコの歌声が響いた。あちこち傷ができてるんだろう。

「ふふ、ソウタのお尻って、小さくてカッコ良いね」

 はああ!? や、やめてくれよ。見ないでくれよ。

「はいはい、いいから、いいから、むこう向いてて。だってお尻にも傷があるんだもん」

 お尻まで治療されてしまった。何だか恥ずかしいのを通り越して変な気分になってきたぞ。

「はい、今度は前向いて」

 えええ!? 冗談だろ?

「ほら、胸にも傷があるでしょ。こっち向いて、ほら」

 無理矢理前を向かされてしまった。

 うっ! タオルで必死に前を隠す。だってさっきから何か変な気分で、微妙な状態になってしまってて、こんなの女の子に絶対見せられない。普通の状態でも見せられないけど。



 ニコはそんな俺の心中など知らぬ顔で、胸の傷に癒歌をかけてくれている。傷は綺麗になるが、俺の胸の鼓動は治まらない。実はお腹にも傷ができてるんだよな。ここにも癒歌をするとか言うんじゃなかろうか。

「はい、次はお腹ね。そのタオルをどけて」

 いや、無理だから! ここだけは勘弁して。お願い、ニコ!

「えええ……分かった。じゃあ、足の傷に行くね」

 この子はいったい、このタオルの下に何があるのか分かってるんだろうか。『交尾』の意味に気付いた時には真っ赤になってたから、性の知識も少しぐらいはあるだろう。でもそれにしてはあまりにも屈託がないというか、無邪気過ぎて冷や冷やする。



 ニコは俺の足や腕の傷にもまんべんなく癒歌を施してくれた。

「ありがとう、ニコ」

「ううん、私もホッとした」

「じゃあ、身体を洗うから外に出ておいてよ」

「うーん……そこのガラスの所にいてもいい?」

「いいけど、むこうを向いててくれる?」

「それだと不安になるの……ああ、そうだ。私が『ソウタ?』って呼んだら返事してくれる? それだったらむこう向いてても大丈夫」

「いいよ、分かった」

「ソウタ?」

「はーい」

「ソウタ?」

「はいはい」

「ソウタ?」

「ほほい」

 他ならぬニコのためだ。点呼みたいだが面倒くさがらずに何度でも返事しよう。ニコが傷を治してくれたおかげでごしごし身体を洗っても痛くないしな。



 何度も何度も名前を呼ばれて返事してを繰り返しながら俺のお風呂タイムは終わった。お湯を入れ直してニコと交代だ。

 彼女が髪をほどいたり、着替えを用意したりしてる間に俺は部屋の奥の方に移動しておく。ニコが俺の裸を見るぐらいならまだ良いが、俺が彼女の身体を見るわけにはいかない。

 しかし、

「ソウタ、ソウタ」

 呼ばれてしまう。

「お願い、近くにいて」

 お願いされてしまう。

 まあ、いいか。このガラスの横で浴室と反対を向いて座ってよう。これなら彼女の身体が視界に入ることもない。



 それでも彼女が服を脱ぐ時の衣擦れの音が聞こえると、もうそれだけで胸がドキドキする。

 とびきりの美少女が今、俺の背後数メートルのところで全裸になっている……そんなことを考えてはいかん、いかん。考えちゃダメだって。

 水音が響く。ああ、バスタブに浸かってるな、ああ、シャワーを出してるな、いちいち背後の様子を想像してしまう。ああ、もう、雑念だらけだ。お経でも唱えようか。

 しかしその時、また彼女が俺を呼んだ。

「ソウタ、ソウタ」

「はいはい」

 また不安になって声をかけたのだと思って、返事だけする。

「ソウタ、ねえ、ソウタってば」

 あれ、点呼じゃないんだ。何だ、何の用事だ? 仕方なく顔を横向けたまま、浴室に首を突っ込む。

「何?」

「急にお湯が出なくなったの。蛇口を回してもぐるぐる回るだけで、これどうなってるのかな。ソウタ、見てくれない?」

 ああ、そういえばさっきも蛇口の調子は悪かったな。上から力を入れて押し下げるように回さないとちゃんとお湯が出ないみたいだった。

「えっと、それは、やり方があるんだよ」

 浴室の中に俺を呼ぶということは、ちゃんとタオルで身体を隠してるはずだよな。そう思って俺は顔を背けるのを止め、普通に中に入って行った。



 !!!

 びっくりマークが2本では足りなかった。心臓がズキッと痛むぐらい大きく収縮した。

 彼女は裸のままこちらに背を向け蛇口の方に腰を屈めている。つまり俺のすぐ目の前に、彼女の可愛いお尻が突き出されていた。

「ソウタ、これ、ほら、ぐるぐる回っちゃうの」

 ニコは全く普通の調子で話しかけてくる。これひょっとして、例のアレか? 身体を隠すのを忘れてるっていうやつか? 気付いた瞬間に「キャー! 見ないで! 出て行って!」って、お湯かけられるやつ。

 裸であることを指摘した方がいいのか、それともそのままラッキーに乗じてしまった方がいいのか。迷いながらも俺は中に入って行った。とりあえず顔を背けてたら言い訳はできる。

「これは、こうやって押しながら回すんだよ。ほら」

 彼女の身体が視界に入らないよう必死に顔をそらしたまま、俺は蛇口を回して見せた。無事にじゃーっとお湯が出てきた。

「ああ、良かった。ありがとう、ソウタ」

「いえいえ、どういたしまして」



 心臓がズキズキして息苦しい。もう早くここを退散しよう。俺は顔をねじ曲げたまま引き返そうとしたが、

「あ、ちょっと待って!」

 ニコに腕をつかまれてしまった。

「さっき気がつかなかったけど、ここにも傷がある」

 そう言われてついうっかり自分の腕を見た。確かに右腕の内側に傷があるが……その腕の数十センチ先に彼女の身体もあった。

 俺の視界に、水滴を浮かべた白い肌や、意外に豊かな胸や、可愛く凹んだおへそや、その他もろもろが飛び込んできてしまった。慌てて顔をそらしたが、脳裏に彼女の裸体の映像がしっかり焼き付いてしまった。

「だだだ大丈夫だから!」

 彼女を振り切って浴室から飛び出そうとしたが、彼女はがっちり俺の腕をつかんで放してくれない。

「ダメよ。ちゃんと治療してしまわないと」

「いいからいいから、後でいいから」

「だめ」

 押し問答をするうち、俺は頭がくらくらしてきた。心臓はさっきから爆発しそうな勢いで走り続けている。目の前に火花が飛び始めた。頭に血が上りきってしまったのかもしれない。一瞬視界が暗くなって、俺はその場でかくっと膝をついた。

 うつむいた俺の顔から何かの液体がぼたぼたっと浴室の床に落ちた。狭くなった視界に真っ赤な鮮血が映っている。

 ああ、鼻血か。興奮し過ぎで鼻血が噴き出たんだ。カッコ悪いな。

「きゃっ! 大丈夫!?」

「あ、ああ、大丈夫。ちょっと鼻血が出ただけだから」

「鼻血? えっ? すごい血が出てるよ」

 ニコはバスタブから飛び出してきた。もちろん生まれたまんまの姿だ。その格好で俺の横に座り込んでこちらをのぞき込んでくる。いや、もう、そんな姿を見たらもっと鼻血出てしまうから!

「大丈夫、大丈夫、ちょっと外に出て横になっとくよ」

「だめよ! どんどん血が出てるわ。今すぐここに横になって! 癒歌をかけるわ」

 聞いてくれない。

「ちょっと濡れてるけど、はい、ここに横になって。ここに頭を乗っけて」

 俺は強引に浴室の床に寝かせられてしまい、全裸の美少女に膝枕をしてもらう格好になった。彼女は可愛い声で歌い出す。

 今、目を開けると彼女の胸と超至近距離でご対面することになる。いっそ目を開けてしまおうかという誘惑に駆られるが、そんなことをすればまた鼻血が噴出するに決まってるので、俺は必死で目をつぶり続けた。

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