所詮は人間なんてただの動物

olria

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こんなことになると知っていたら、強がることもなかったかもしれない

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 年の差カップルに対して理解できないと常々に思っていた。私の父が年の離れた女性と再婚したこともその理由の一つ。結婚をただ共同生活をするためのものだというのなら、それは生活に関する感覚で物事を判断しているに過ぎないと言えるだろう、今時の社会では考え方や趣向の違いは割と大きな部分をしめているから。例えば好きな映画のジャンルが違うと同じ映画を一緒のソファーで座ってみようとなんて思わない。リビングは一つだから、好きじゃない映画を見ているのが同居人だと思うだけでなんで私には権利が回って来ずその人だけが見ているのか気にしないはずがない。
それだけじゃない。考え方は時代が進むごとに進化してく行く。経済の成長より思想の成長の方が顕著なのは、少しでも現代の歴史を勉強してみればわかることだ。昔はなかった平等な環境が今になって出来ているのは過去の世代では受け入れられていたものが現在の世代では受け入れられないから。
逆にそれが出来たら、その人は一体どのような思考回路をしているんだろう。経験すらしてないじゃないの。過去と今の政治的な状況やら文化的状況が違うのは明らかなのに、過去の文化と政治に完全に無関心で自分だけが考え方を発展させてきたってことじゃないの?それってただの自閉症じゃない?別に自閉症が悪いというわけではない。自閉症の人の感覚が違うのは別に不思議でも何でもない。私だって自閉症なのだ、人のことは言えないから。けどそうでもないんでしょう?お金持ちで、お金持ちだから美人で若い奥さんを?
普通にガキでしょう?そう思わないわけ?私は今この年になる前からも、自分がたどってきた道のりを考えると、思考が成熟するまで様々なことを経験し、ただ時間が過ぎたことによって脳が勝手に結論を付けたことだってあると思うけど、どちらにせよ過去と今の自分との格差は肌で感じずにはいられない。思考だけじゃない、趣向すら変えてしまい、もはや過去の自分がどのような存在だったのかさえ根っこの部分での感覚も含め丸ごと変わってしまった気がしてならない。それは別に私が特別に自分にまつわるドラマチックな経験をしたから、と言うのも確かにあるとは思う。そんな経験なしでは人は簡単に変えられないものだから。ドラマじゃなくただの酷使とか、運悪く悪い出来事に見舞われるとかだと、よどみは強くなるかも知れないけど、それだけで変わるはずはない。本能に近い行動を、より単調な形で取るようになるだけ。文明と言う名の野生で野生が過ぎる生活をしているせい。
だからそれは変化のトリガーにはなれない。変化のきっかけなんて、後になって振り返ってみると些細なことの蓄積と自分を囲む環境の変動が重なって出来るもので、それに少しの運命のいたずらと同時代の人間が同じく感じる時代精神のようなものが集団無意識レベルで作用している感じ。
ここで神様や霊などの超自然的な何かを感じる人もいるかもしれない。私だってそう言った経験の一つや二つはある。
とにかく、何が言いたいのかと言うと、年を取ることはただ時間を無為に過ごすだけでとどまらず、ある程度複雑さを持った人生を生きることを是とするような人間であるのならば、それにどんな思いを抱くのであれ、変化は訪れるしそれだけにとどまらず蓄積された人生経験の重さは的確にもその経験の分だけ人を形作る。そしてその形状はそれを経験してない側からは理解されるようなものではなく、故に同年代から大きく外れた人を相手にすると何か噛み合わない感覚を思わずにはいられないのである。
要するに、年の差と関係なく互いが好きでいられるのって、こんな感覚を経験してないってことじゃないのかと言う話を私は自分の目の前に座っている男性にしていたわけだ。
彼はトランスジェンダーで、女性の体が耐えられずテストステロンを服用して体つきや声はもう完全に男性。胸も手術で除去したそうな。私の感想はと言うと、保険が適用出来ないのって普通に理不尽じゃないかってことくらい。彼からしたら生きるか死ぬかの問題に近かったと。なんで彼を相手にしているのか、それは私がカウンセラーだからだ。彼は私にカウンセリングを受けに来たのである。
私のカウンセリングのテクニックは自分の意識の入る余地を排除するフランスではやっている投影をメインにした精神分析テクニックとポジティブフィードバックを混ぜた私独自の方法論で、周りからはよくそんなことが出来るのだと言われる。日本だとカウンセリングなんて信頼しあって助言をするくらいにとどまっているけど、逆に助言だけでとどまらせて自分の意識を割り込みすぎるのは間違ってると思ってしまうんだけど。
私が神経質で自閉症が強いからなのかもしれないが。
「今日は夢で、蛾が蜘蛛に囚われてて…、暗かったんですけど。」クライエントが言う。夢を分析するのは、クライエントが自覚していない自らの無意識に接近する基本的な方法の一つである。クライアントの年齢もかなり若いのだ。私はもう32歳になるけど、クライアントは21歳。かなりイケメンであるけど、私の心は動じない。別に結婚しているからとか、私が同性愛者だからだとかじゃなく、プロとしてクライアントの精神の形を読み解くことだけ考えてると見た目なんてどうでもよくなるから。
「蛾を思う時何を思い浮かべますか?」私は質問をする。これもまた連想を誘導する基本的な方法の一つである。
「蛾は…、夜に飛び回る。変化する?」
「変化と言うと、どういった変化でしょうか。」
「まあ、普通に、さなぎから、大きな羽で飛び回るようになってて。」
「夜に飛び回るんですよね。」
「はい。」
「夜について想像してください。真っ暗な夜に何を思い浮かべますか。」
「真っ暗な夜には、自分のことしか考えられず、ある意味開放的で…。」
「夜は開放的になると。開放的な夜を飛び回るのは、変化を思わせる蛾ですね?」
「そうだと思います。」
「それを、蜘蛛に囚われてしまったと。」
「……」ここで何も言わないのは自分の現在の状況と夢を繋げているから。変化をしたがる自分が蜘蛛を象徴する何か、それはクライエントなら自覚している何かしらの原因なんだろう。クライエントがそれを自覚したら、一つの分析が終了する。
「悪いことが起きると、時に世界は酷く残酷に見えたりします。けどそれだけで終わらない、終わらせたくないものとして感じているはずです。」
「はい。」クライエントが肯定を示す。この時不安がよぎる時もあるけど、私の言葉に心が動かされないわけではないか、ただカウンセラー相手にそう見せているだけじゃないか。それでも何かしらの言葉を投げないと方向性は決まらない。これもまた私の責任なのである。
「その時は自分の心が示す方向に従ってみてください。それが一番の近道になるはずですからね。」
こう締めくくって今日のカウンセリングは終了。色々話を聞いて、連想をさせたりして30分ほどかかった。少しだけ疲れるけど、これもまた仕事。
「今日はこれまでにしましょう。」私は笑顔でそう言って、彼が席を立つことを待っていたんだけど。
「先生は、結構若いと思いますけど、普段はどう過ごしていますか?」
「私は普段好きなことをやって過ごしていますよ。気になりますか?」
「はい、それはもう。」
「なぜでしょうか。」
「先生って、結構美人だと思ったから。」
「私の見た目が邪魔になるならほかのカウンセラーを紹介します。」
「それは嫌です。」たまにあることだ。カウンセリングをやってるとクライアントが私的な関係を求めてくる場合がある。その時はきっぱり断るほうが倫理的にもいい。だってこっちは相手の精神を自らすらも自覚していない部分さえも把握しているのである。私以外の人は知らないけど、アメリカとかだと3年だったか、時間をおいてカウンセラーをカウンセリングしてくれるカウンセラーの許可を貰ったらデートをすることが出来るらしいが。
「なぜ嫌なんですか?」
「先生がいいからです。」
「私に魅力を感じてしまうとあなたの心の動きを私から客観的に見ることが出来なくなるのですよ。それはよくないことです。あなたのお金と時間が無駄になります。」
「じゃあ、なんか、なんか先生ともっと相談するとか。」
「私とですか。」
「はい、先生と仲良くなるのはダメですか。」
「良くないですね。」
彼は涙目で私を見つめてくる。困った。別に彼が嫌いなわけじゃないけど、よくないことはよくない。と言うか、私は普通に彼を子供としか見えない。性格は優しいし不条理に憤慨する正義感のある性格は好感が持てる。
だけど、やはり幼いのだ。そんな相手と恋愛をする理由がわからない。未成年者じゃないだけましかもしれないけど、そういう問題じゃない。法律じゃなく職業倫理の問題。
「距離を近づけるのはあなたの心の問題が解決した後でも遅くありません。今は自分の問題だけに意識を向けたほうがいいと思いますよ。」
そう言ったら彼は嬉しそうな顔をしていて、どうしたものかと悩んでしまったのである。
それを誰かに言うには、真面に精神分析が出来る人はこのあたりにはいないし。私は家にもどって私は別にショタコンとか年下が好きとかじゃないし、クライアントと性的な関係になったら彼だけじゃなく私までもが頭の中がめちゃくちゃになりそうで。
その日は悶々とした気分を抱えたまま昔の映画を見ながら過ごした。論文を読んだり学会での最新の話とかを読むのもそれなりに楽しいけど、昼間ならともかく夜にまでそんなことをしたくはないから。
それでも足りなかったから、私はゲイの友人を呼んで少し愚痴をこぼした。カクテルの美味しいバーに行って、飲みながら話をする。女一人だと礼儀知らずの破廉恥な男がたまにしつこく付きまとったりするので、こんな時それなりにガタイがいい男性が隣にいると助かるのである。と言うかしつこく付きまとう男は刑事法でどうにかしたほうがいいんじゃないかと思うけど。社会がまともに回らなくなるだろう、なぜ誰も止めない。移民を真剣に考えたほうがいいのか。北欧とか、オランダあたり。そっちは男女の政治的発言権や職場での関係も殆ど同じで、夜に一人で出歩いても一人でお酒を飲んでていても、人間性をどっかにおいてきてクズのような行動しか出来ない、勝手に体を触って来るような連中はいないようなので。
「京子っててっきり無性愛者かと思ったんだけど、違ったのかな。」流れる前髪をかき上げて田上君がそう言う。同い年だけど昔から私は彼の苗字を君付けで呼んでて、彼は私を名前で呼んでいるすっかり慣れた。親友になっても。高校からの腐れ縁みたいなものだけど、結構心地いい関係。
「そんなことない。普通に性欲だってあるし。」
「同性相手じゃなく異性相手に?」
「私はゲイじゃないよ。別に同性ともそう言った関係になっても構わないとは思うけど、そう言うのをオープンにしているところに行かないとそんな人って滅多に出会えないものだからさ。」
「パン?」
「バイだと思う。多分。性器が二つ以上ついている人と性行為をしたいだなんて思わないから。」
「けど消極なんだよね。」
「そりゃね。積極的になるには私は自分の時間が他人と折り合わせることで削られるなんて耐えられないのよく知ってるでしょう?」
「僕は都合がいいか。そんな毎回愚痴を言いたい時だけ呼んでさ。」彼はそう言うけど、本当に嫌いなら呼んでも来ないだろうに。彼がカミングアウトせずに、他のゲイの思春期の少年みたいに暗くて陰気に過ごしている時、私は彼に積極的に話しかけていたのだ。別に下心があったとかじゃない。私は積極的に陰キャとして生きていたわけで、自閉症をひけらかして人と関わらないようにしているほどだったから、彼はそれに比べて自分が望んでそう生きているわけじゃない。
そんな彼と同じクラスになって、放っておけなかったこともある。
ただの善意での人助けじゃなくて、打算もあったのだ。私だっていくら自閉症でも話し相手は必要だから。その相手に最適だったのである。それなりに知的で、沈黙を苦に思わない。理想的、まではいかなくても、人生においての得難い親友ポジション。カウンセラーになったこともあるから彼の相談にもよく乗るのだ。最近は新しく出来た彼氏との関係がうまく行っているようなので問題なさそうだが。別にオカマではない。見た目は人と違ったりすることなんてないし、普通に格好いい。田上君の新しい彼氏は細めの体形で、女装が好きらしいが、オカマの口調でもなく不自然なメイクや女性の口調で話したりもしない。ゲイが女装して喜ぶと思うのはただの偏見。BL?それはあれだ。家父長制で女性としてのポジションに実存的なレベルで危機感を抱いていて、自分を男性ポジションに置き換えるやつ。だからBLが好きな子って、結構保守的だったりする。フェミニンな自分を弱いと断じているから。実際にそういう弱さを体験もしているだろうとも思う。社会が結構窮屈なわけだし。日本は西洋に追いつくために軍国主義を進めて、その影響が未だに社会の大部分を形作ってる。軍の主役は男性で、女性が軽視されるのは当然のことだろう、それが企業戦士などと、薄給で厳しく自分の時間を削ることを強要されるとか、社会全体が澱んでいるからそんな社会の雰囲気をもろに受けているBLが好きな女子が腐ってると言われるのも納得。
本物のゲイなんて知りもしない、バカで被害者な子達。そんな彼女たちに比べたら私は恵まれている方だろう、父親は社長で、母親は若い看護婦。実の母親は死んだけど。自殺だった。私がカウンセラーの道に進んだのも母親の自殺が衝撃的過ぎて、心理学の本をたくさん読み自分をどう治癒すればいいのかを探ったのが原因と言える。
「お酒おごってるわけじゃん。」私は苦笑いを浮かべる田上君を見ながらカクテルグラスを揺らして言う。ミントフラッペの鮮やかな緑色を目で楽しんで、一口飲んだ。この爽やかな味がたまらないのである。
「これくらい自分でも払えるよ。互いにいい歳じゃん。結構稼いでいるの、これでも。」
「私たちと同い年でもニートの人とか結構いると思うけど。それとあれ。不動産持ってて家賃だけもらって生活している連中。あれ普通に社会の寄生虫だと思うんだけど。」
「年金生活と大差ないんじゃない?」
「どうだか。金銭感覚狂いそう。何もしてないのに勝手にお金が入って来るわけじゃん?」
「僕も大人になって金銭感覚が変わってはいるけど、似たようなもんじゃない?京子って昔からそこらへんニヒルな価値観のままなんだよね。」
「ただの事実だし。ニヒルじゃありません。」
「そう言うことにしておこう。それで、何かあったのか。」
「何も?」
「何もないなら帰るよ。」
「それはいけない。」
「じゃあ言って。」
「わかった。えっとね」私は若いクライアントにアプローチされて困っていると言った。彼はしばらく無言で自分のカクテル、ブラッディ・マリーをじっと見てて、私は窓の外を眺めた。5階にいて、夜景がそれなりに綺麗。と言ってもビルの明かりは残業とかしているんだろうけど。
「その子が好きになった?」
「別に?」
「じゃあなにで悩んでるの?大学を卒業してから誰とも付き合ったことがないことが今更気になり始めたとか?」
「それはない。私は一人で満足。」
「じゃあ性的に魅力を感じてる?」
「それは否定できないかな。」
「ただの下心か。」
「でも気にならない?私のような人を好きになれる人が私に果たしてどのような形で性欲をぶつけてくるのかとかさ。」
「京子ってさ、別に自分がひねくれているのを人に見せびらかしているような性格じゃないよね。」
「私の本当の性格を知ったら逃げるとでも言いたいわけ?」
「けど実際そうでしょう?誰だってそうじゃん。」
「仕事での顔と普段の顔が違うって?」
「そうそう、ただのあこがれみたいなもんじゃない?少年の心って純粋だからさ。」
「少年って年齢じゃないでしょう、21だよ。大学卒業する年齢だよ。」
「大学卒業って22歳じゃなかったっけ。」
「だとしても普通に大人。」
「それを君が言う?カウンセラーなわけでしょう?偏見なんて限りなく排除するんじゃないの?」
「そうだけど、そうだけど…。」
「何が不満なわけ?」
「別に不満とかないし。」
「いい男でも紹介して欲しい?言っとくけどこっちはゲイの知り合いしかいないよ。ヘテロの連中はカミングアウトしてないからまともな付き合いじゃないので人柄なんて知らない。」そう、ノーマルなんて自分がまるで基準のようなことは言わずにヘテロって言っている。私がそうさせた。なんで勝手に自分が規準みたいに、人間の脳ミソの複雑さは勉強しているうちに嫌と言うほど知った。ノーマルとアブノーマルなんて、定義するには脳に対して今の人は知らないのが多すぎる。例えば腸内フローラが性格にも影響を与えるとかね。
「別に欲求不満じゃないから。」
「よく眠くなったりしない?」
セックスをしない生活を続けると女性ならよく眠くなるらしいが、私はコーヒーをたくさん飲んでいるので大丈夫。
「それ私が教えたやつ。」
「弟子が師匠を超える時もある。」
「いつ私の弟子になったの。」
「いいじゃん別に、僕が弟子でも。ねぇ?師匠。」
「やめて。歯がゆいから。えっとね、私も自覚はしているの。性的魅力と言うか、普通にいい人だから、付き合ってみたら絶対楽しい気はするわけ。私のアドバイスにも従順?と言ったらおかしなニュアンスだけど。」
「京子ってやっぱSだよね。」
「それあまりいい規準じゃないって前にも言ったし。」
「けど根拠はあるわけじゃん。」
「サディズムもマゾヒズムも特定の状況で発現しやすいことはあっても逆にサディズムとマゾヒズムがその条件によって決められるだけの物じゃないから、人を判断する基準にすると絶対多くエラーが出るわけ。」
「前にも言ったね。」
多分社会の性格的な凹凸を決めて噛み合わせてはうまく回せようという民間で勝手に始めた政治的企画なようなもんだと思うけど。それも極めて恣意的で、稚拙な企画。誰が考えたのやら。きっと実際の心理学なんて勉強したことは一度もないんだろう。
「まあ、支配的な傾向があることは否定しない。」
「僕は女王様のしもべ一号ってわけか。」
「誰が女王だ。」
笑顔で私を見つめてくる田上君。
「話をちょっと戻してさ。仮にだけど、今からでもカウンセラーとしての関係をやめて付き合い始めたらどうなるの?」
「それはもう大変なことになるよ。一般的な関係は互いの無意識なんて知らないわけじゃん。こっちは知ってるわけ。」
「けど京子って結構僕の無意識的な願望とか当てるじゃん。」
「それは感。ただの感。」
「それと職業的な、なんだっけ。分析している関係?クライエントとの関係に何か違いでもあるの?」
「ありますよ。だって何も言わないわけじゃん、そっちからは。私が要求しているわけでもないし。お金ももらってない。」
「それって具体的にどうなの。どんな影響があるの。そんなに致命的なものなの?事例とかある?なんか大変なことになりました、とかの話あるの?」
「あるよ。」
「どんな話?」
「えっとね、アメリカでは3年間、カウンセラーにカウンセラーがカウンセリングをしているんだけど、クライエントとカウンセラーの関係をよくよく見て把握して、問題ないと判断するまでは付き合うことなんて出来ないわけ。」
「なんで?」
「田上君は親が本当の親がないとするじゃん。それで親とふぁっく出来るの?」
「なんで英語?まあ、出来ないね。」
「そう、それですよ。」
「そう言うレベル?」
「似たようなものなの。」
「教師と教え子は結婚するって話あるじゃん。」
「それもどうかしていると私は思ってるんだけど。」
「意外と保守的なんだよね、京子って。」
「逆だよ。人と人の間にパワーゲームがあっちゃいけないと思ってるわけ。せめて付き合う場面では、対等であるべき。けど教師と教え子だと最初からパワーゲームで教師側が勝ってるわけじゃん。権威を押し付けることが出来るよね。ここで負けてる立場の教え子がそれを自覚してないか、それでもいいと思って譲ってるから関係が成立しているの。」
「なるほどね、社会の仕組みって結構えぐいよね、考えてみると。」
「そうそう、パワーゲームがあるわけ。自覚していて振るってる人がどれくらいいるのかは知らんけど。それで、私がカウンセラーとしての立場があるわけじゃん?んでクライアントはカウンセラーに自らの内側をひけらかしにしてると。もうこの時点ではパワーバランスはこっちに傾いているわけ。」私はオリーブに刺さっている爪楊枝からオリーブを抜いて食べた後、爪楊枝をカクテルの上にのせて説明した。バランスがこっち側に傾いてると。
「でもそもそも関係の可能性を念頭に置いている時点で気があるってことじゃん。」
「それは、そうだけど。」
「日本ではカウンセラーのカウンセラーはいないの?」
「いない。ほかは知らないけど、個人的に求める人はいるとは思うけど、私はカウンセラーに行ったことなんて相談初めて最初期以来いない。普通に私より下手だし。」
「そうなの?」
「そうだよ。夢の分析とか幼年期の話とかせずに連想と現在に考えることだけ聞いてくるわけ。あんなんでいいと思ってるの。そんな無能でいいの?自殺率上がるよ?」
「じゃあ京子が本でも書けばいいじゃん。こうしたほうがいいって。」
「面倒。無理。」
田上君が苦笑してからカクテルを飲んだ。私もつられて飲む。美味しい。
「でもさ、京子が自分の願望と言うか、欲望を我慢するとそっちでまた歪にゆがんだりしない?あんたの方が問題でしょうが、みたいな。」
「ああ、そうかも。と言うかこれってカウンセリングのうちに入ってる気がする。私にもいたよ。カウンセラー。」私が田上君を指さすと。
「人を指ささないでもらえますか、京子さん。」
「はい、すみません。」
「まあいいけどさ。」
「お金取らないの?」
「間に合ってる。僕の方が多分稼いでると思うよ。」
「そんな稼げるの?建築士って。」
「それはもう。」
「やっぱ不動産ってずるいよね。どうにかしたほうがいい。」
「僕にはそう言った問題では何もできないけどね。それより君のことです。僕は君がそう悩むくらいなら踏み込んでみたほうがいいと思うけど。別にトランスジェンダーだからダメとかじゃないでしょう?」
「まあね。」
「じゃあいいじゃん。」
「いいのかな、これで。」
「いいんじゃない?」
「そんな他人事みたいに。」
「そりゃ他人事ですよ。」
私たちは笑いあう。
そして次のカウンセリングの日がやってきた。一通り普段通りの分析とフィードバックを終えて少し本音を混じって話すことに。
「カウンセリングに明確な終わりはないことを知っていましたか。」
「え、知りませんでした。」と彼は驚いた顔をした。実際に驚いているだろう、こっちを凝視している。
「人の心は迷路なようなものですから、何事もなくても必ず迷ってしまうのです。それに糸を垂らし、アリアドネのように導くのが私たちカウンセラーの仕事と言えます。悩みがなくても、心に病を抱えているわけではなくても、迷路で迷う状態は人間の基本的な条件です。だから私が…、私が終わらせることも、クライアントであるあなたが終わらせることも実は可能なのです。いつのタイミングでも。」自分の顔が赤くなるのを自覚せざるを得なかった。
「いいんですか。」彼の問題はそこまで深刻な状態ではない。初めてここに来た時は様々なトラウマを抱えていて、それはもう大変だったんだけど。もう二年目で、彼も他の人を見る余裕も出来てて、自分の将来を決めつつあったのだ。
「むしろこっちこそ、えっと、私は結構あなたより年を取っていると思いますけど。」
「それのどこがいけないんですか。」
「趣味とか合わないと面白くないんじゃないですか。」
「僕も心理学は好きです。」
「それは私の仕事ですけど。」
「けど、先生って、可愛いし。」
そう言って彼が近づいてきて、唇が重なった。一体何年ぶりの口づけなんだろう。心地よさに頭の中が真っ白になる。
「わ、私は、ちょっと、この後もまだカウンセリングがありますので……。」
「いつ終わるんですか。」
「17時頃です。」今は14時だから、まだ3時間も残ってる。
「じゃあそれまで待ってます。」
「どこでですか?」
「近くの喫茶店で。」
「えっと、それはお金がかかると思うので、この内側に私の書斎があるんですけど、お手洗いもあるので、待っててくれますか。念のために、えっと。中にヘッドフォンがあるので、他のクライアントとの相談内容は聞かないでください。倫理的によくないですし。」
私が彼をうかがいながらそう言うと彼はにやりと笑った。こいつ、私が想像していたよりずっと積極的なのかもしれない。
知っているように思ってても、本当は何も知らなかったかもしれない。彼が私以外の、社会で人前でするような表情なんて。
最後のカウンセリングが終わり、書斎を開けると彼が私を引き寄せて抱きしめてから口づけを落とした。
ああ、これは抵抗できない。
年齢による経験の差より、性欲の方が先に来るのかもしれないと、結局人間なんてただの動物なのかな、なんて思いながらその日は久々にたくさん感じたのである。
妊娠をする心配がないし、女性の立場の弱さなんて経験して知ってる彼は終始一貫で優しく、心地よかった。
私が求めていたのはこういうものだったのかと、彼の胸に頭を載せて眠りにつく前に思ったのである。


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