ある旅の剣士の最後

olria

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命を持って断ち切るものは

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ただ死ぬ場所を求めていた。
子供のころに父が戦争に駆り出され死に、母は流行り病で亡くなった。孤児となった僕は成長するまでは町で雑事をしながら過ごし、旅の剣士や引退した傭兵のところへ行っては剣術を教わった。
駄賃を貰って宿屋の馬小屋で眠る日々。旅の剣士がまた旅に出ようとした時、僕はついていくことに決めた。人の命なんて時が来ればあっけなく散ってしまうようなもの。決めるべき時が来たら決めて、それで終わるならそれが僕の運命で会ったということなのだろう。
旅を経験して世界の広さを知った。海を渡り、知らない言葉を学び、違う形で生活をしていてもそれが成り立つことを見た。信じるものが違ってでも、人々は年々と続くそこでの暮らしを当たり前のようにこなす。何処にでも咲く花のように、人の人生もまた野に咲いた花のようであった。
出会いと別れを経験した。旅の剣士である僕の師匠も、雇いの傭兵の仕事をしている最中に死んだ。僕が生まれ住んでいた町から出て五年目の出来事であった。
たったの五年であっても、あの五年は僕にとってかけがえのない経験だったのだ。彼は多くを語る人ではなかった。夜になると星が降る空の下で静かに座っては何も言わずにじっと暗闇の向こう側を見ていた。彼は子供のころに病気で片方の目の視力を失ったという。それ以来、闇の中から気配を感じるようになったんだとか。人の気配とかではなく、世界の意思と言ったものが語り掛けてくる時があるのだと。
ここに行けばいいだろう、あそこに向かって進めばいいだろう、それをしたら君は死んでしまうだろう、そう言った類のもので、彼はそれを今まで充実に従ってきて、僕を拾ったのも闇の向こうから見える気配が僕を拾うことを進めたからなんだとか。
僕にはよくわからない感覚で、それでも彼がそうするならきっとそれこそが彼が見ていた世界であったのだろう。その美しさは彼しか知れず、その儚さもまた彼しか知らない。
彼が剣に胸を貫かれた時、自分が死ぬことを知っていたであろうか。その仕事を受けたのは小さな村でのことで、普段なら何も話すこともなく過ぎてゆくのを、僕たちは人々に話を聞くことにしたのである。なぜこの村はこんなにも沈鬱な雰囲気をしているのかと。
村人たちは最初は渋ったが、師匠である彼が引く気がなさそうなことを見ると諦めてぽつぽつと話し始めた。ある夫婦に子供が出来たが、病にかかって二人とも亡くなった。村の片隅に住んでいた、ヤギの乳を売る老婆のところにその子供も預けられ、ヤギの乳を代わりに飲みながら成長した少年だったが、村人は彼が流行り病でも何でもないのに親が病になって死んだことを恐れてまともに相手にしようとしなかった。そんな彼をたった一人愛してくれた老婆も寿命だったんだろうか、死んでしまった。
少年が丁度大人になる年の出来事だった。それから一年が過ぎて、少年は相変わらず村人たちから避けられていた。少年は老婆に続きヤギの乳を売っていたが、言葉を交わすことも少なかった。そんな少年はもう一人の男として婚姻が出来る年齢にまでなった。けど村の少女たちは誰もが彼と近付くのを恐れた。しかしたった一人の少女がそんな彼と懇意にしていた。彼女は村で一番美しい少女で、少年を避ける村の雰囲気をものともせず接していた。二人は自然と恋に落ちた。彼女の親は彼女が少年のところへ行くのを許せなかった。
そして去年、戦争が起きてその村にも徴兵があった。決められた人数を村で出すことになっていた。少年は村長と少女の子供に話した。自分がもし戦争に行って戻ることが出来たなら、村の一員として受け入れて欲しいと。そして彼女との婚姻を許してほしいと。村長は渋々納得して、少女の親もそれで良しとその時には言っていた。しかし少年が一年ほどに及ぶ戦争から戻ったころには、彼女はもう村の誰かと婚姻を結んでいたという。少年は男となった。もう我慢できなかった。自分がなぜこんな目に合わねばならないのか。老婆がなくなった時も、村人は何もしてくれなかった。
男も広い世界を見たのだろう、自分がどれだけ間違った環境で育ったのかを自覚できるようになったのだ。そして男は怒りに狂い、かつて愛を囁いた少女とその夫となった男を殺害し、その親と村長まで殺してしまった。彼は山にこもり、村人たちが山菜を取りに来たら殺すようになった。
領主のところへ嘆願に行ったが、領主は自業自得じゃないかと男の討伐を断った。師匠は村人たちから幾分かのお金を支払ってくれるのであれば、その男を殺してやると言った。
師匠の腕はすごい。その時に僕は彼が男に負けるなどと考えだにしなかった。そして師匠と僕は二人で山を登った。男は小さな祠の前に簡易的な小屋を作って住んでいた。奇襲をすることもなく、師匠は坦々に小屋の前で告げた。
「そなたを討伐しに来たものだ。」寝ていた男は飛び起きて、枕元にあった剣を抜いては出て来た。
「何者だ。」
「村の人から頼まれたんだ。」
「よそ者の君には関係ないことだと思うが。」
「よそ者、か。だがそっちもまた、よそ者として今まで暮らしていたであろう。それを忘れて、今更村にしがみつくこともあるまい。」
「忘れらるものか。それを忘れられるものか。恨みを、痛みを、忘れられるものか。」男の目には涙の跡があった。瞳はらんらんと燃えていて、もう今更引き戻せるなんて出来やしないことは一目見ればわかることで。師匠だってわかっていたはずだけど、語ることを選んだのは彼の気持ちを確認するためだったんだろう。
「なら、散っていくか。」
「ああ、だがそれは俺ではない。それは君と、その後ろにいる、その少年のほうだ。」
「彼は関係ない。ただの従者だ。」
「それでもついてきたんだろう。」
「なら彼を下がらせよう。」
「弓矢を撃たれたらたまったもんじゃない。」
「何も持ってはいないさ。」
「どうだか。」師匠は僕に目配せをした。師匠の意思に逆らう気になれなかった僕は少し遠くまで離れた。
そして二人の決闘が始まり、刹那の間に決着がついた。
両方が両方の胸を剣で貫いていたのである。
僕は二人に向かって走った。
「なぜ彼の言葉を受けたんですか。僕が一緒ならここまでになることはなかったはずです。」
「誰かは、怨嗟を命を用いても、断ち切るべきだからだ…。」
師匠が振るった剣で胸を貫かれた男は、口から血を吐きながら涙を流していたのだ。
「俺は…、きっと、地獄に落ちるだろう…。たくさんの人を、殺してしまったんだから…。」
「それは、こちらも一緒だ…。せめて地獄への道のりを、同行しよう…。」
師匠はそう言ってから少し笑って、死んでいった。僕は下山し、村人たちに起きたことを伝え、確認に行って、二人の墓地を作った。
そして僕は師匠の代わりにお金をもらい、旅を再開して、また幾年かが過ぎた。一人での旅もそれはそれで新鮮だった。前より強くもなっているし、顔も成長してすっかりと大人の男性とみられるようになった。
どこかで定住することも選べたはずだ。しかしなぜか僕は旅をつづけた。僕には師匠のように闇の向こうから話しかけてくる何かがあるわけでもない。いつ死ぬかもわからぬ旅路の中で、僕は胸を焼き焦がすかのような虚無感と毎日を向き合っていた。見て来た世界は美しかった。様々な人々と出会った。
しかし師匠の生き様を知っているのは僕だけ。僕が死んだら、誰かが僕のことを覚えてくれるんだろうか。師匠が僕の同行を許したのも、誰かに覚えてもらいたかったからかもしれない。
それで一体何年振りのことになるのだろうか。僕は自分が生まれ住んでいた町に戻り、前に知っていた人たちとたくさんの言葉を交わした。彼らは僕の師匠となる旅の剣士が死んだので、僕もまたここに戻っては伴侶を得てそのままここで生きるだとばかり思っていた。
皆が寝静まった深夜、僕は町を出て旅を再開した。平和な町だった。小さな港町で、人々は皆して純朴で優しかった。たくさんの死を見て、自らもその死の原因となって斬るべき人々を斬ってきた。今更戻るなんて出来ない。旅の剣士である師匠も同じことを思っていたのだろうか。僕も旅の剣士となった。町を転々とし、傭兵の仕事をする。時には用心棒を、時には山賊の討伐を。
人を斬る感覚に慣れてしまうと、心もまた、死ぬ場所を求める。いつまでもこのような人生を続けるわけにはいかないと。
それでも僕はまだ若かったのであろう。人々が互いに傷つけあうことの限界線を知っているふりをしても実際は知らずにいたのであろう。
ある女性と出会った。彼女はたくさんの人を殺したという。彼女の友人が身分違いの恋をして駆け落ちをしようとし、事前に計画を察知されたので防がれた。それだけで終われば、ただ叶えられなかったどこにでもあるような恋の物語となったはず。しかしそうはならず、彼女の両親は彼女とその相手である男を無残に殺したという。火あぶりにしたんだと。
友人である女性は、その両親と二人の関係を密告した両親に使える使用人たちを次々と殺した。彼女は腕の立つ傭兵で、二人は幼馴染だったんだとか。そうやって皆が死んだ後、彼女はその街を離れた。しかし領収一家が殺害され、使用人諸共全滅なんて話は王の耳にも届いたようで。容疑者として特定された彼女は、懸賞金をかけられ、追い回されるはめに。
ただ彼女は本当に強く、賞金を狙ってくる人たちを次々と返り討ちにした。その中には名のある傭兵もあったという。僕は治安の悪いことで有名なとある街にある夜の酒場で彼女と出会った。そして話を聞いて思った。
僕の死ぬ場所として相応しいかもしれないと。
彼女はなんてこともないように僕に話していた。一晩の相手を求めていて、僕はお眼鏡にかなったようだ。僕は彼女と一晩を過ごした。彼女は美しく、また情熱的だった。僕も負けずと食らいついた。そして次の日、僕は先に起きてから宿の代金を支払って、道の真ん中で彼女を待った。
昼下がりになって彼女は現れた。
「また会ったね。やりたりなかった?」
「ああ、まだこれが残っている。」僕は腰から剣を抜き、正面から彼女を見つめた。
「それは残念。あんたみたいないい男を殺すなんて勿体ないことをしたくはなかったんだけど。」
「大丈夫。僕はこう見えて強い。」
「それは見ればわかる。」彼女は深くかぶった帽子の下に笑みを浮かべ、剣を抜いて瞬時に間合いを詰めて来た。僕はそれをいなし、避け、気をうかがう。
「なんだ、思ったよりずっと腰抜けじゃないか。」彼女の豪胆な言葉に僕は苦笑した。
別に僕は逃げ腰なわけではない。僕が教わった剣術は、相手が自分のリズムだと思っていた感覚の隙をつくこと。彼女にはそれが限りなく少ない。勝てそうにないわけではない。ただその隙を見出すまで時間がかかるだけ。
そしてまた数秒程の攻防が続いた。隙なんて見当たらない。確かに、これは死ぬ場所として適しているかもしれない。
だから僕は踏み込んだ。彼女の剣が向かうところへ。彼女は予想だにしなかったのだろう、それまで慎重だったはずなのに、自分から間合いに飛び込んでくるだなんて。その隙をつくのである。しかし彼女にそんな隙なんてきっと些細なこと。彼女の剣が僕の胸に刺さった時、僕は薄ら笑みを浮かべて彼女の懐の中からその目を見つめていた。
その目に見えたのは、僕の後ろで弓を構えていた人たちと、僕の背中に刺さった矢。
「先に、地獄で待っている。」
彼女は僕を抱きしめた。
「いいや、死ぬときは一緒さ。」
たくさんの矢が僕たちを向けて放たれた。最後に目にした彼女の表情は何か吹っ切れていて、自分の死を受け入れているように見えたのである。
「ありがとう。」と彼女は僕の耳元で囁いた。僕がなにを思って彼女に近づいたのか、彼女もきっと気が付いたんだろう。
怨嗟を命を持って断ち切る。
彼女がもし僕と前の夜に出会えなかったら、彼女はもっと早くにこの町を出て行ったはず。そうしたら次は国境だ。人を斬ったなら、斬られるのもまた道理で、それが終わることはない。誰かがそれを止めない限り。
僕はそんな彼女を愛していたのか。寂しそうな眼を見て美しいと思ったのは事実だ。一人で死なせたくなかったのもまた事実。
しかし愛していたのかまではわからない。一晩だけの関係。体を激しく求め合っても、心まで繋がれたのかはわからない。彼女は何を思っていたんだろうか。
僕は人の温もりを感じながら死ぬのも悪くないと思ったのだ。だから笑った。僕はこの人生に満足した。悔いはない。
しかし僕に最高の最後を与えてくれた君にもしも悔いがあるのならば、その時は僕が付き合おう。僕は消えてゆく意識の中、そんな願いを込めながら彼女を思った。
きっと二人でだと寂しくないはずだから。悲劇的な結末に向かう前に、互いで止められるはずだから。
この美しくも残酷な世界でまた生まれたら、
きっと…。




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