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リリスの口づけ
しおりを挟む私の親は退屈な人たちである。世の中には様々な種類の退屈があって、殆どはただの諦念から来ていると思っている。
何かが叶う可能性を諦めて、今ある現実を受け入れる。それが大人になることだと人は良く言うけど、私にとってそんな現実なんて、入りたくない汚れたお湯のように見えた。
だから暇な時は夜にお散歩をする。何かを発見するかもしれない、何かに攻撃されるかもしれない。
女の子だから危ないなんてことはなくはないんだろうけど、ここは都内でも比較的に治安はいい方なんだって。
マンションや住宅もたてられてからそこまで時間は経ってないし綺麗で、高いし、道も綺麗で、川も流れてて。
そんな道を歩いても、何も起こらない。夜の11時。高校生になったとしても宇宙的にはほんの一瞬だから、月も太陽もそのまま。
4月の涼しい夜風が頬を撫でる。大人たちなら仕事を終えて居酒屋にでも行っているのかな。私の父は不動産会社で働いてて、母は女性向けラジオ番組のプロデューサー。
退屈で特別なことなんて何もない価値観を持っているけど、同時に夜遅くまで戻らない時が多くて。
私が遊んで回ってたらどうするつもりだったんだろう。多分、どうにもならないと諦めたり、私がもっとうまく立ち回ることを期待してたけど出来なかったことに失望するかもしれない。
悪い人たちではない。親の愛なんて、意図的ではないにせよ不在が続くと感じられないものだから、何を考えているかなんて私にはよくわからない。
勉強は得意なほうだと思う。やることがないから勉強でもしよう、なんて乗りで時間をつぶしていたらあっという間に高い成績を出すようになって。
周りの子はそれくらいしか見えるものがないから、それなりに評価がよかったり、トラブルを起こさないから教師たちからも信頼されていることを、何となく感じる時は多い。
でも私はそもそもこの日常が好きではない。ほかに選択肢が与えられてないからと、この状況を仕方なく受け入れているだけ。
人に比較することもなく、ただ自分で自分を客観的に見ようとずっと頑張ってるけど、それが出来ないもどかしさを感じる日々。
そんな日々が何となくだけど、ずっと続くかも知れないなんて思っていたのは、私の希望的観測に過ぎなかったのか。
それとも私が最近になって経験している、不思議で不思議でたまらない状況すらもまた、何となく続く日常の続きに過ぎないのか。
その日の夜もいつものように、学校から戻って、部屋で勉強を終えて、お風呂に入って、ネットサーフィンをして、夜のお散歩を始めた。
普段は音楽プレーヤーに適当にセットした好きな曲を聴きながら歩くんだけど、充電を忘れちゃって、そのまま家を出た。
お散歩と言っても毎回同じルートをたどっているわけではない。同じブロックを何回もグルブル周ったり、公園を何周もしたり、川沿いにそって歩いたり。途中で自販機で飲み物を買ってベンチに座ったり猫と目があったり。
それなりに豊富なバリエーションは退屈しない。新しい発見もあるし、普通に楽しい。趣味はお散歩なんて言ったら、のんびりするようなものかと勘違いされるけど、これは決められた日常から離れて、自分だけがわかる空気を吸って、色んなことを考える行為であるのだ。
中々理解されてもらえないから、もしかして同じことを考えている人が隣にいてくれたらどうなんだろうなんて、考える時もそれなりに多かったけど。
何かが起こるとしたら、そんなに悪いことではないんじゃないかって、勝手に思っていたことは否定しない。
だから人が殺される場面を目撃したのはただの目の錯覚だと思いたかった。ほら、ここはそれなりにお金を持っている人たちが住んでいる街だから、どこからか性能のいいプロジェクターから映像が窓越しに偶然にも漏れちゃって、それがたまたま怪力の女性が殺人をしている場面、なんて。
都合のいい想像を巡らせてみたけど。
その場所には街路灯からの光が建物の影で届いてなくて。そして私は夜目が効く。私が期待していた何かが起こる、と言うのは決してこういうものではなかった。ファンタジーとかじゃなくて、例えばカップルの痴話げんかとか、歌を練習する綺麗な女性を目撃するとか、もっと都合のいいことだと、私と同じ女の子が好きな可愛い女の子と出会って、親のいない私の家に連れ込んであんなことやこんなことをするとか、そういうことしか考えてない。
ちなみに痴話げんかも公園で歌を練習する綺麗な女性も見たことある。それなりに有意義な経験だった。
私が期待していたのは断じて殺人ではないのだ。
何とか見なかったことにして通り過ぎることは出来ないかと思うも、それが出来ないことは見ていればわかる。
だって、目があったし。それはもうバッチリと。結構美人…、と言うか、噂で聞いたことある。すぐ隣にある、下町のような雰囲気のする街にある学校に、金髪でハーフの転校生が来た話。
それもとびきりの美少女らしく、ちょうどあの制服と同じで、金髪で…。
「何見てるの?」
声も綺麗だった。けど少しだけ、誰に向かってのこともなく、ただの性格からしてきつそうな苛立たしさが入っているような雰囲気がした。
彼女は30代ほどに見える男性の頭を掴んでは夜になって店を閉めたランジェリーショップの壁にぶつけていて、私が見ていてもおかみなく続けた結果、頭がつぶれて中身が飛び出て来た。私は思わずしゃがみ込んで吐いてしまう。逃げるべきだと危機感に襲われて、心臓がバクバクして体中から嫌な汗が噴き出してくる。逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ…。暗闇の中からでもまるで獣のような光を発していた彼女の眼光。
少ししてから彼女が男性を殺害し終えて、私に向かって歩いてきた。鬱蒼とした森を連想させる深緑色の瞳が私を射抜いて、私はうずくまったまま彼女を見上げる。背がかなり高い。私は157センチほどだけど、彼女は173センチはあるんじゃないかな。手足は華奢だけど、何となく力強さを感じる。常人とは作りが違う気さえする。白人だからじゃなく、筋肉も密度が人間のそれを超えているから、動物園にある檻の中からそもまま出てきてしまいました、種族名ホモサピエンスです、なんて自己紹介でも始めそうである。
「なんでこんな時間に君のような子が歩き回っているんだか知らんが。もう少し気を付けたほうがいいんじゃないかと思うんだけどさ。」
彼女がどこか寂しそうな笑顔でそう言ってきて、どう反応すればいいかわからなかったけど、走馬灯がよぎったわけではなくて、どこかの海外ドラマで見たシーンを思い出した。
無差別な銃撃で、銃撃犯と二人きりに向き合って彼女が言っていたことを、まるで今この瞬間に見ているかのように鮮明に思い出したのである。人として見られたら、人間性の欠片でもあるなら簡単に殺されることはないだろうって。
「わ、私の名前は青木静葉です……。16歳で、誕生日は11月6日…、この町で生まれました…。この町がずっと好きで、今まで夜のお散歩も好きでやってて…、何か特別なことが起きるかもしれないなんて期待しちゃってるただの馬鹿な女子高生です、あなたと同じ女子高生で…、けど私は女性が好きで、同性愛者だから周りから浮いていて…。今まで誰とも付き合ったこともないんです…。死ぬ前に誰かと付き合ってみたいんです…。許してください…。誰にも言いません…。」
私は吐いてか恐怖でか涙を流しながら彼女を見上げながらそこまで言ったけど、彼女は止まることなく私の近くまで来ては、
首を噛まれたのである。
「あぁ……っが…」痛みが全身を駆け巡る。牙に毒でも仕込まれていたのかもしれない。体が震える。徐々に冷たくなるような感覚がする。このままだと死んでしまう。死んでしまったらどうなる?いつかは死ぬんでしょう?処女のままで死ぬでしょう?誰とも付き合ったことのないまま死ぬんでしょう?何も残さずに死ぬんでしょう?
彼女の口の感触が離れ、私は道端にそのまま転がって、喉をかきむしった。
命が尽きてしまうんでしょう?心も消えて、気持ちも消えて、考えも消えて、思いも消えて、残るのは生きていた事実だけ。それすらも遠くて冷たい監獄の中に閉じ込められ、誰かに尋ねられることもなく無限の中に埋葬され。
電気が体を巡る。電気が記憶を呼び起こす。
「あはは、よかった。君には吸血鬼因子があったのね。」少女はいたずらっぽく笑いながら、なんてこともないかのようにそう言った。まるでそんなことも知らないだんてあり得ないような口ぶり。
知っていたらこんなに苦労することもなかったはずだというかのようで、無性に怒りが湧いてくる。それでも何もできずに痛みに耐えることしか出来ない。死がここまで痛みを伴うものだなんて聞いてない。死んだらそれで終わりじゃないの。なんで死んだ後にもこれほどの苦しみを味合わないと行けないの。自分の爪が伸ばして、胸を貫く。爪なんてこんなに伸びるものだったなんて知らなかった。だけど痛みはなくならない。それどころか何も感じない。この痛みは体のものではないかもしれない。脳が勘違いしているだけ?
「君は生まれ変わろうとしているだけだよ。死のうとしても無駄。幻肢痛のようなもの。体を全部なくしたんだから、痛みを感じないはずがないでしょう?」
何を言っているんだろう。体はここに残っていて、私は、心臓はもう動いてなくて、それでも体の感覚ははっきりと自覚できる。
私の冷たくなった体は世界から今にでも弾かれそうになっている。死の境界線を越えてしまっているではないの。私の脳は活動を止めて、体を動かしているのは死人になりきれない魂。そう、血を求めてやまない魂。
「そう、それがあなたの魂なの。輪廻の中で一回でも吸血鬼になったことがあるのなら、吸血鬼因子を魂が持つことになって、一回でも血を吸ったら覚醒するわけ。それか、私のように魔に繋がるものに毒を注入されたら、目覚めてしまう。もう基には戻れない。吸血鬼因子を持った人間は瞑想をすることが出来ない。神に愛されることが出来ない。世界と深く関わることが出来ない。どれだけ才能に恵まれようと、どれだけ力を欲しようと。呪いなの。たくさんの人を殺して血を吸ったはずだから。これまで苦しかったはず。誰からも愛されない人生、誰からも見てもらえない人生、そういうのがずっと輪廻の中で続いてきて、怒りをぶつけたらぶつけたでまた人から呪いになって君自身の魂に降り注がれて、それで次の人生もまた苦しくなって、我慢してても結局は一人。辛かったのよね?辛さをどうにかしたかったのよね?けど、無理だった。そうでしょう?一度でも血を味わったらそうなるしかない。だって、私たち闇に属するものは、この世の輪廻なんぞに囚われるべきではないから。それとも、あのただっぴろくて方も秩序もなく力だけがすべての魔界にでも行くの?それは嫌でしょう?だから私も召喚に答えたわけよ。ああ、君は慣れるまでそのままでいいから。私もここでこんな形で仲間と出会えるだなんて思ってなかったから。それもとびっきり素晴らしくて強い仲間ね。あなた一体これまで何人を殺してきたの?何人の血を吸って来たの?もう転生しているから覚えてないんでしょうけど。その魂の暗さは魔界内でも滅多に見られない、言うなれば魔王軍の幹部クラスのようなものなの。私?私が魔王ね。だからあなたはこれから私の部下になるわけ。それでいいでしょう?あなたに力を与えたのは私ってことになるからさ。望んでない?あの寂しい暮らしに戻りたかったの?女の子と付き合ってみた方の?私が代わりになってあげるよ。ああ、いいって。無理に動こうとしないで。今は答えなくていいの。ただ待つだけでいいの。新たな形を受け入れられるまで待つだけでいいの。そう、吸血鬼因子って徐々に覚醒するものなの。今のように急激に覚醒するのは例外の中の例外。だから今は休むの。心配しないで。誰も通らないから。あなたのような注意力にかけていて、神様に愛されないものでない限りはね。そんな人が一つの街に二人もいるわけないでしょう?そうなったらその町はすぐにでも災禍が起きて大変なことになるんだから。理不尽だって?そうだよ。理不尽だよ。この世は理不尽に設計されて、理不尽に動かされているの。そうでないとこんなに馬鹿げた形をしているわけないでしょう?ただの肉の袋に精神を詰め込むわけないでしょう?それはこの世界が理不尽に満ちているからなの。あならもその犠牲者ってことなの。だから私の手を取って。そうすると巨大で不条理で残酷で無関心で混とんとしていて、意味もない痛みに溢れた理不尽から、快楽にまみれて、どこまでも好き勝手に出来る理不尽に変えられるの。悪魔の契約なんかじゃない。あなたも悪魔、私も悪魔。吸血鬼因子を持つ人間なんて、永遠に救われないんだから今からにでも悪魔になってしまえばいい。もっと深いところまで堕落してしまえばいい。人のことなんて忘れて自分の気持ちに正直になってしまえばいい。」
そんなこと、出来るわけが……、ないの……?彼女が言っていることなんて信じられない。今まで培ってきた認識とか、世界観を人からの言葉で簡単に変えられるわけがない。友達がなかったわけでもないし、家族との仲は、よくわからないけど虐待をされたことなんてないし。ネグレクトと考えなくもないけど、誰だって多かれ少なかれ経験するものじゃないの。
「君は今そんなはずがないと否定しようとしているだろうけど、それはこうも考えられる。もっと良くなるべきはずだった、もっとうまく行くはずだった、だけどそうはなってない。それはなぜ?神様に嫌われているから、神様に捨てられているから、神様は君のことなんてどうも思ってないから、君自身もどうにかなりたいと思ったところでそれが叶わない夢であることを自覚しているから。どこから気が付いているから。生まれた瞬間から定められたものなんだから。君の輪廻に救いはない。だって、死んでも死んでも死んでも生き返っても、生まれなおしても、生まれることからまたやり直しても、また最初からやり直しても、何も与えられない、神様は決して君を選ぼうとしない。君がどれだけ自分の身を削ろうとも。そんな世界なんてどうでもいいと思わない?さあ、私の手を取って。そろそろ動けるようになったはず。ああ、あの死体?」
彼女は指をパチンと鳴らす。そうすると跡形もなく消えてしまった。
「あなたって、どうやってこんな世界を生きているの?」私はゆっくり起き上がってそう聞いた。
「とても簡単なこと。何も気にしなければいい。何ものにも心をあげなければいい。何物にも縛られなければいい。どこまでも好きにすればいいの。人のことなんて聞くものじゃない。社会なんて考えるものじゃない。回りなんてどうでもいいの。命は自分のために使うもの、息をしているのは私を活かすため、他人のためじゃない。そうでしょう?」
それは酷く自分勝手な考え方で、それでもそれこそがずっと最初から自分にあるべきのもので、それでも手に入れることが出来なくてあがいて、あがいて、あがいて。
残ったのは小さくなって傍観者となって人と関わることを諦めて過ごす日々。
「私を殺したりしない?」
「もう死んでるのにどうやって?」
「魔界にでも連れて行ってくれるの?」
「君がそう望むのなら。」
「私って、アンデッド?鏡に映らなくなってる?」
「それは鏡の後ろに昔は銀を塗ってたから。今のは水銀だから平気。」
「銀は弱点なの?」
「神は銀を自在に扱える権能があるの。君はもう神に嫌われるだけにとどまらず、神の敵となってしまった。じゃあこの世で自分の権限が届く範囲のものからでも君を遠ざけて起きたわけなんでしょう?」
「十字架とかは?」
「問題ない。それにあなたはキリスト教の文化なんて信じちゃいないでしょう?あの馬鹿げた復活の話なんかを信じたりはしないんでしょう?女をどこまでもバカにする宗教なんて信じる価値なんてないでしょう?女を者扱いする連中だよ?殺した方がまし。そうでしょう?」
「今からでも殺しに行けるの?」
私がそう言うと彼女はニンマリと笑みを浮かべた。
「それでこそ、悪魔の成すべきもの。」
私もつられて笑った。私たちは夜の空を走った。大気を踏みしめると飛べるように走られる。体は羽のように軽い。
「名前はなんて言うの?」彼女に質問をする。
「私?」
「あなた以外に誰がいるの?」
「神様とか?」
「見られてるの?」
「見てるんじゃない?」
「気持ち悪いね。」
「そう、気持ち悪いの。だからたまには魔界に戻らないとね。」
「それで、名前。」
「うん。リリスだよ。」
「メソポタミアの女神じゃないの?」
「そうだよ。」
「なのに悪魔になったの?」
「キリスト教では悪魔扱いされてるじゃん?」
「それでなの?」
「ううん。この世界の神様が嫌いで魔界に行ったら堕落した神とみなされるようになったの。それで悪魔になっちゃった。」
「なるほどね。それとなんで金髪?」
「それは今の世の中が白人を敬うようにしているから、白人の顔立ちにしちゃっただけ。」
「けど日本だと外人とか言われる。」
「だから迷ってたんだよね。けど今のままでいいかな。君がいるし。」
「私も名前で呼んで、リリス。」
「今の名前で?」
「あなたが付けてくれた方がいいかも。」
「じゃあ、君はこれから…」
私はそれで名前を得て、悪魔となったのである。どこまでも我儘出自分勝手な悪魔に。
応援ありがとうございます!
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