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15 鄒渢雪
鄒家の本家は天水の、淡山という険峻の中腹にある。山には、麓の湖へ流れ込む清水が流れていた。
本家に戻ると雪游は冰淵と解決した事件を報告書にまとめ上げ、渢雪へ提出した。その後、清水を引き込んだ潔斎場で衣服を脱いでいた。
「冷たいんだよなぁ……」
清水は清いから身を清めるにはうってつけだが、熱してもいない川の水はただの水よりずっと冷たい。これに下着姿で入浴するのだからたまらない。どうせ同じ水を湧かして風呂にも入るのだから、それで勘弁して欲しいけれど、渢雪や汐柳には「甘えてはいけない」と言われるだろうけれど。
雪游が潔斎するのは、陰気を浴びたからだ。
冰淵が祓ってくれたとはいえ、浴びたのは事実。だから念のためというわけだった。
そろそろ春本番になるとはいえ、外気もまだ冷たい。浴び終わったら温かい湯を求めに厨房へ行ってみようと溜息を吐いた。
「晴れててよかった……」
せめて良いところを見つけると、桶を使って足許から水をかけていく。最後に頭から何度かかけると、ようやく岩や大石に囲まれた清水に浸かっていく。これも鍛練だ。
気や呼吸を鎮め、心を凪がせて少しずつ身を沈める。冷たいものは冷たい。
気を張って、目を閉じる。冷たさしか感じなかったのに、集中していくたびに周囲の様子などのほうがわかるようになった。
木々を渡る風の音、揺れる葉の音、小鳥の鳴き声、羽ばたき、水が潔斎場へ流れ、潔斎場から流れていく水音。心も落ち着いていくような感覚。
「……よし」
目を開くと立ち上がり、脱衣所へと戻る。衣服を整えて炊事場へ行くと、白湯をもらい一息つく。
すると、年少の門弟がやってきた。
「渢雪総領がお呼び? 私室のほうへ行けばいいんだね。ありがとう」
急いで飲み干してしまうと渢雪の私室へ急ぐ。渢雪や冰淵の私室は屋敷の奥のほうだ。作法として走らないようにしたが気は逸った。
渢雪が私室に呼んでくれたということは、私的な話ということだろう。年が明けてからしばらく経つが、彼に最後に呼ばれたのは昨年のうちではなかっただろうか。
「渢雪総領。雪游参りました」
「入りなさい」
促され、作法通りに入室する。
渢雪は文机で書を読んでいたようだったが、雪游を見ると栞を挟み、文机に伏せた。雪游は渢雪が座っている広い小上がりへ行く。少し迷ってそのまま立っていると、渢雪が小さく笑った。
「いつもみたいに上がっていいんだよ、雪游」
渢雪が冰淵と違うのは、やはり微笑みの仕方と雰囲気だろう。鄒家春君と評されるように、たしかに彼は春の日だまりを思わせる、暖かでホッとするような雰囲気がある。
対して弟の冰淵は鄒家冬君と評されるような、人の背を正すような厳格さと冷ややかさはあった。決してそれだけではないと鄒家の者ならわかっているが。
雪游は渢雪の言葉に頬を掻く。
「一応成人してるんだから、いつまでも子どもみたいなのはダメかと思ったんだ」
「私や冰淵の前で気兼ねは不要だよ」
「……わかった」
この師兄は成人前と変わらず雪游を可愛がってくれるつもりがあるようだ。嬉しくもあるが、それはいつまでも子ども扱いなのではないだろうかと複雑な気持ちにもなる。
成人扱いされていないと、怒るところだっただろうか。
甘んじて受けてしまうから子ども扱いされるのでは? と気付くが、双子に甘やかされるのが嫌いではないから仕方がないし、双子もきっと雪游のその気持ちをわかっているのだから性質が悪かった。
「それで渢雪兄さま、お話って何だった?」
「先日、新昌から帰って以来、おまえがずっと潔斎を続けていると聞いたよ」
「あ……うん」
「何かあったのかい?」
隠していないのだから当たり前だが、朝食前後の早い時間に行っているのに、気付いている者はいるものだ。
問われて、答えを少し悩む。言葉を探しているような雪游を見て、渢雪はさらに言葉を足してくれる。
「おまえの分と冰淵の分と、報告書はふたつもらっているし、読ませてもらった。……陰気を浴びたことが気になる、というところかな」
文机の正面に座った雪游は頷いた。
「けれど、それだけなら、冰淵がきれいに祓ったのだろう? 雪游は他に気になることがあるんじゃないかな?」
「…………」
それこそ話すわけにはいかない理由だ。が、ふと気付く。
冰淵からも報告書ということは、まさか。
血の気が引くような感覚。だが、冰淵の性格から考えると、詳細でないにしてもどのように雪游を襲った陰気を祓ったかは報告しているのではないだろうか。
「その……渢雪兄さま、冰淵兄さまはなんて……報告を……?」
「冰淵にしては珍しく、『可及的速やかな方法で祓った』という抽象的な文章だったよ。……まあ、それで大体察せてしまうけれど」
「…………」
今度は顔から火が出そうなほど熱くなってきた。落ち着かず、俯いて指を組んでは解く。けれど渢雪はそういうところをつついたり掘ったりはしてこなかった。
「実はね、雪游。冰淵も毎日潔斎しているんだよ」
「えっ?」
「冰淵は夜明け頃にしているみたいだから、知らなかったんだろう?」
「はい……全然」
「ふたりとも、案外同じ理由で潔斎しているのかもしれないね」
「同じ理由? って、どういうこと?」
渢雪は何か知っているのだろうか。それなら教えてほしい。けれど雪游に甘い総領も、この時ばかりは教えてくれなかった。
「そこは自分で考えなさい。さ、もういいよ。これからも潔斎するのなら、風邪を引かないようにね」
「……はい」
頷くと、渢雪に見送られて部屋を出た。
冰淵も同じ気持ちだなんてことが、はたしてありえるだろうか。渢雪がこういう時にそんな冗談を言う人ではないとわかっているし、双子だから雪游より冰淵のことをわかっている部分もあるとは思うけれど。
けれど自分が潔斎をしているのは、大半が浅ましい想いを祓いたくてやっていることだ。
それが同じであるはずがない。
きっと、渢雪の考えすぎだろう。
冰淵は優しく、道士としても一流で、他家では彼の怜悧さに遠巻きにする者もいるが、敬う者が多い。人品ともに立派で、きっと鄒家を繁栄させていく人になるだろう。後輩からの信頼も厚い。多少冷ややかな印象を与える人だが、道士としても優れていて高潔だと、誰もが知っている。
そんな人が、筆頭とはいえ分家の、おまけに同性の、おまけにまだ未熟な道士を好いてくれているなどということが、あるだろうか。
――あってほしいと思うと同時に、ありえないとも思う。どこまでも、自分はきっと弟分だろうから。
渢雪は安心させようと思って言ってくれているのだろうと思っておこう。結論付けたが、自然と溜息は零れた。
本家に戻ると雪游は冰淵と解決した事件を報告書にまとめ上げ、渢雪へ提出した。その後、清水を引き込んだ潔斎場で衣服を脱いでいた。
「冷たいんだよなぁ……」
清水は清いから身を清めるにはうってつけだが、熱してもいない川の水はただの水よりずっと冷たい。これに下着姿で入浴するのだからたまらない。どうせ同じ水を湧かして風呂にも入るのだから、それで勘弁して欲しいけれど、渢雪や汐柳には「甘えてはいけない」と言われるだろうけれど。
雪游が潔斎するのは、陰気を浴びたからだ。
冰淵が祓ってくれたとはいえ、浴びたのは事実。だから念のためというわけだった。
そろそろ春本番になるとはいえ、外気もまだ冷たい。浴び終わったら温かい湯を求めに厨房へ行ってみようと溜息を吐いた。
「晴れててよかった……」
せめて良いところを見つけると、桶を使って足許から水をかけていく。最後に頭から何度かかけると、ようやく岩や大石に囲まれた清水に浸かっていく。これも鍛練だ。
気や呼吸を鎮め、心を凪がせて少しずつ身を沈める。冷たいものは冷たい。
気を張って、目を閉じる。冷たさしか感じなかったのに、集中していくたびに周囲の様子などのほうがわかるようになった。
木々を渡る風の音、揺れる葉の音、小鳥の鳴き声、羽ばたき、水が潔斎場へ流れ、潔斎場から流れていく水音。心も落ち着いていくような感覚。
「……よし」
目を開くと立ち上がり、脱衣所へと戻る。衣服を整えて炊事場へ行くと、白湯をもらい一息つく。
すると、年少の門弟がやってきた。
「渢雪総領がお呼び? 私室のほうへ行けばいいんだね。ありがとう」
急いで飲み干してしまうと渢雪の私室へ急ぐ。渢雪や冰淵の私室は屋敷の奥のほうだ。作法として走らないようにしたが気は逸った。
渢雪が私室に呼んでくれたということは、私的な話ということだろう。年が明けてからしばらく経つが、彼に最後に呼ばれたのは昨年のうちではなかっただろうか。
「渢雪総領。雪游参りました」
「入りなさい」
促され、作法通りに入室する。
渢雪は文机で書を読んでいたようだったが、雪游を見ると栞を挟み、文机に伏せた。雪游は渢雪が座っている広い小上がりへ行く。少し迷ってそのまま立っていると、渢雪が小さく笑った。
「いつもみたいに上がっていいんだよ、雪游」
渢雪が冰淵と違うのは、やはり微笑みの仕方と雰囲気だろう。鄒家春君と評されるように、たしかに彼は春の日だまりを思わせる、暖かでホッとするような雰囲気がある。
対して弟の冰淵は鄒家冬君と評されるような、人の背を正すような厳格さと冷ややかさはあった。決してそれだけではないと鄒家の者ならわかっているが。
雪游は渢雪の言葉に頬を掻く。
「一応成人してるんだから、いつまでも子どもみたいなのはダメかと思ったんだ」
「私や冰淵の前で気兼ねは不要だよ」
「……わかった」
この師兄は成人前と変わらず雪游を可愛がってくれるつもりがあるようだ。嬉しくもあるが、それはいつまでも子ども扱いなのではないだろうかと複雑な気持ちにもなる。
成人扱いされていないと、怒るところだっただろうか。
甘んじて受けてしまうから子ども扱いされるのでは? と気付くが、双子に甘やかされるのが嫌いではないから仕方がないし、双子もきっと雪游のその気持ちをわかっているのだから性質が悪かった。
「それで渢雪兄さま、お話って何だった?」
「先日、新昌から帰って以来、おまえがずっと潔斎を続けていると聞いたよ」
「あ……うん」
「何かあったのかい?」
隠していないのだから当たり前だが、朝食前後の早い時間に行っているのに、気付いている者はいるものだ。
問われて、答えを少し悩む。言葉を探しているような雪游を見て、渢雪はさらに言葉を足してくれる。
「おまえの分と冰淵の分と、報告書はふたつもらっているし、読ませてもらった。……陰気を浴びたことが気になる、というところかな」
文机の正面に座った雪游は頷いた。
「けれど、それだけなら、冰淵がきれいに祓ったのだろう? 雪游は他に気になることがあるんじゃないかな?」
「…………」
それこそ話すわけにはいかない理由だ。が、ふと気付く。
冰淵からも報告書ということは、まさか。
血の気が引くような感覚。だが、冰淵の性格から考えると、詳細でないにしてもどのように雪游を襲った陰気を祓ったかは報告しているのではないだろうか。
「その……渢雪兄さま、冰淵兄さまはなんて……報告を……?」
「冰淵にしては珍しく、『可及的速やかな方法で祓った』という抽象的な文章だったよ。……まあ、それで大体察せてしまうけれど」
「…………」
今度は顔から火が出そうなほど熱くなってきた。落ち着かず、俯いて指を組んでは解く。けれど渢雪はそういうところをつついたり掘ったりはしてこなかった。
「実はね、雪游。冰淵も毎日潔斎しているんだよ」
「えっ?」
「冰淵は夜明け頃にしているみたいだから、知らなかったんだろう?」
「はい……全然」
「ふたりとも、案外同じ理由で潔斎しているのかもしれないね」
「同じ理由? って、どういうこと?」
渢雪は何か知っているのだろうか。それなら教えてほしい。けれど雪游に甘い総領も、この時ばかりは教えてくれなかった。
「そこは自分で考えなさい。さ、もういいよ。これからも潔斎するのなら、風邪を引かないようにね」
「……はい」
頷くと、渢雪に見送られて部屋を出た。
冰淵も同じ気持ちだなんてことが、はたしてありえるだろうか。渢雪がこういう時にそんな冗談を言う人ではないとわかっているし、双子だから雪游より冰淵のことをわかっている部分もあるとは思うけれど。
けれど自分が潔斎をしているのは、大半が浅ましい想いを祓いたくてやっていることだ。
それが同じであるはずがない。
きっと、渢雪の考えすぎだろう。
冰淵は優しく、道士としても一流で、他家では彼の怜悧さに遠巻きにする者もいるが、敬う者が多い。人品ともに立派で、きっと鄒家を繁栄させていく人になるだろう。後輩からの信頼も厚い。多少冷ややかな印象を与える人だが、道士としても優れていて高潔だと、誰もが知っている。
そんな人が、筆頭とはいえ分家の、おまけに同性の、おまけにまだ未熟な道士を好いてくれているなどということが、あるだろうか。
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