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36 想い01
夕餉を終え、沐浴とその後の勉強はそこそこに切り上げると、薄緑の襟の上衣を着て袍を肩にかけ、自室を出た。髪は首許で軽く結ったきりだ。
人前に出る格好ではないから、きっと総領、師兄や師叔に見付かれば叱られるだろう。だから誰に見つかるのも良くないはずだ。あたりを気にしつつ冰淵の部屋を訪れる。幸い、誰の目にも触れなかった。
「冰淵兄さま。……雪游です」
室内へかけた声は震えていたかもしれない。入りなさいと返されて、扉を開ける手は間違いなく震えていた。
扉を閉めると、さらに部屋の中へ入るのを躊躇した。けれど冰淵がこちらをじっと見つめてきていることに気付くと、思い切って傍へ行く。
部屋の中、灯りはほとんどない。蝋燭の明かりがひとつ窓辺にあったが、それだけだ。室内が整然と片付いているため、何かに足を取られることはなかった。
彼は窓辺に座っている。窓の外、月を眺めていたようだった。
「何か見ていたの?」
「月を。……おいで」
差し伸べられた手を取ると小上がりに上がり、円座に座って冰淵の隣で窓の外を見上げた。薄黄色の半月が、空にぽかりと浮いている。月の形のせいもあり、まるで船が大海を渡っているようだ。
小さい頃、冰淵の膝に座って月を見上げるのが好きだったことを思い出す。
「月の傍にあるひときわ明るい星は、月が好きで追いかけているんだよって教えてくれたのは渢雪兄さまだっけ。冰淵兄さまも真面目な顔で頷くから、しばらくずっと信じてたんだ」
「……そんなこともあった」
ふ、と冰淵の表情が緩む。外ではなかなか見せない柔らかな表情が好きだ。
「…………」
何か話していないと鼓動が激しすぎて伝わってしまうのではないか。恐れても、冰淵は気にしている様子はない。ただ静かに、穏やかに月を眺めているだけのように思えた。だから少しの間、雪游もこの房室へ呼ばれた理由を、目的を忘れてしまう。
夜気が涼を孕み、ひゅうと吹き込んでくる。それに誘われたように、冰淵の手が雪游へ伸びた。
「……あ」
腕を引かれ、体勢を崩しかけたところで意外と逞しい腕、胸に抱き留められる。
「あたたかい」
冰淵の呟き。同時に包むように抱きしめられた。
「おまえはいつもあたたかい」
「冰淵兄さまだってあたたかいよ。手はひんやりしてることが多いけど……?」
抱きしめてくれていた腕をひとつ解かせて、手を取る。いつものひんやりとした温度ではないことに気が付いた。
「……?」
もう一度抱きしめられる。そうして気付いた。伝わってくる鼓動の速さが、自分と同じくらい速く、強いということに。
「兄さまも、心臓が忙しない」
「……緊張も喜びもある」
「緊張? 兄さまが?」
最も縁遠い人だと思っていた。声には意外が滲んだが、叱られはしない。
「誰でも、好きな相手と初めて触れ合う時には緊張するものだろう。……以前のものは、祓いだったので数には入れたくないが。あれきりだと思っていたから……」
「…………その言い方だと、兄さまもオレに触れたかったみたいに聞こえるけど……?」
そんなことがあるだろうか。疑問は、雪游が頷いたことで肯定されてしまった。
「……少なくとも、あの時よりは前から」
「いつから?!」
自分など、あの件がきっかけで自覚するようになったというのに。意外を隠さずに言えば、冰淵に頭を撫でられた。
「もうわからない。だが、ずっと好きだったのは間違いない」
「ずっと……」
その言葉から、少なくとも成人するより前から好いてくれていたのだとわかる。静かな空気と表情の下に、そんな想いを隠していたなんて。
「好きだったが、苦しくもあった。初めて会った時から、おまえはただ真っ直ぐ、私を慕ってくれていたから。そういうところが好きなのだから、仕方ないが」
だから告げる気もなかったし、成人してからは同じ道士として見守り導くつもりでいたのだと心情を吐露してくれる。
冰淵と初めて出会ったのは、雪游が二歳で本家で行われた新年の祝賀だったと聞いている。祝賀は本家で行われ、分家の者たちが一堂に顔を合わせる数少ない機会だ。
母からは「おまえは誰にも愛想を振りまいていたから安心していたが、本家の双子に面倒をお願いして、戻ってきた時に渢雪さまに抱っこされていたのはともかく、冰淵さまの髪を掴んで放さなかったし、帰り際には泣きわめいて大変だった。置いて帰ろうかと思ったほどだ」と愚痴をこぼされたし、父には「大物になりそうだ」と総領に笑われて冷や汗をかいたと言われるし、実の兄ふたりには「分家の恥は捨てて帰ったほうがいい」など、散々な言われようをされていた。
そんな出会いにもかかわらず、双子は未だに雪游を可愛がってくれる。奇跡か物好きとしか言いようがない。
人前に出る格好ではないから、きっと総領、師兄や師叔に見付かれば叱られるだろう。だから誰に見つかるのも良くないはずだ。あたりを気にしつつ冰淵の部屋を訪れる。幸い、誰の目にも触れなかった。
「冰淵兄さま。……雪游です」
室内へかけた声は震えていたかもしれない。入りなさいと返されて、扉を開ける手は間違いなく震えていた。
扉を閉めると、さらに部屋の中へ入るのを躊躇した。けれど冰淵がこちらをじっと見つめてきていることに気付くと、思い切って傍へ行く。
部屋の中、灯りはほとんどない。蝋燭の明かりがひとつ窓辺にあったが、それだけだ。室内が整然と片付いているため、何かに足を取られることはなかった。
彼は窓辺に座っている。窓の外、月を眺めていたようだった。
「何か見ていたの?」
「月を。……おいで」
差し伸べられた手を取ると小上がりに上がり、円座に座って冰淵の隣で窓の外を見上げた。薄黄色の半月が、空にぽかりと浮いている。月の形のせいもあり、まるで船が大海を渡っているようだ。
小さい頃、冰淵の膝に座って月を見上げるのが好きだったことを思い出す。
「月の傍にあるひときわ明るい星は、月が好きで追いかけているんだよって教えてくれたのは渢雪兄さまだっけ。冰淵兄さまも真面目な顔で頷くから、しばらくずっと信じてたんだ」
「……そんなこともあった」
ふ、と冰淵の表情が緩む。外ではなかなか見せない柔らかな表情が好きだ。
「…………」
何か話していないと鼓動が激しすぎて伝わってしまうのではないか。恐れても、冰淵は気にしている様子はない。ただ静かに、穏やかに月を眺めているだけのように思えた。だから少しの間、雪游もこの房室へ呼ばれた理由を、目的を忘れてしまう。
夜気が涼を孕み、ひゅうと吹き込んでくる。それに誘われたように、冰淵の手が雪游へ伸びた。
「……あ」
腕を引かれ、体勢を崩しかけたところで意外と逞しい腕、胸に抱き留められる。
「あたたかい」
冰淵の呟き。同時に包むように抱きしめられた。
「おまえはいつもあたたかい」
「冰淵兄さまだってあたたかいよ。手はひんやりしてることが多いけど……?」
抱きしめてくれていた腕をひとつ解かせて、手を取る。いつものひんやりとした温度ではないことに気が付いた。
「……?」
もう一度抱きしめられる。そうして気付いた。伝わってくる鼓動の速さが、自分と同じくらい速く、強いということに。
「兄さまも、心臓が忙しない」
「……緊張も喜びもある」
「緊張? 兄さまが?」
最も縁遠い人だと思っていた。声には意外が滲んだが、叱られはしない。
「誰でも、好きな相手と初めて触れ合う時には緊張するものだろう。……以前のものは、祓いだったので数には入れたくないが。あれきりだと思っていたから……」
「…………その言い方だと、兄さまもオレに触れたかったみたいに聞こえるけど……?」
そんなことがあるだろうか。疑問は、雪游が頷いたことで肯定されてしまった。
「……少なくとも、あの時よりは前から」
「いつから?!」
自分など、あの件がきっかけで自覚するようになったというのに。意外を隠さずに言えば、冰淵に頭を撫でられた。
「もうわからない。だが、ずっと好きだったのは間違いない」
「ずっと……」
その言葉から、少なくとも成人するより前から好いてくれていたのだとわかる。静かな空気と表情の下に、そんな想いを隠していたなんて。
「好きだったが、苦しくもあった。初めて会った時から、おまえはただ真っ直ぐ、私を慕ってくれていたから。そういうところが好きなのだから、仕方ないが」
だから告げる気もなかったし、成人してからは同じ道士として見守り導くつもりでいたのだと心情を吐露してくれる。
冰淵と初めて出会ったのは、雪游が二歳で本家で行われた新年の祝賀だったと聞いている。祝賀は本家で行われ、分家の者たちが一堂に顔を合わせる数少ない機会だ。
母からは「おまえは誰にも愛想を振りまいていたから安心していたが、本家の双子に面倒をお願いして、戻ってきた時に渢雪さまに抱っこされていたのはともかく、冰淵さまの髪を掴んで放さなかったし、帰り際には泣きわめいて大変だった。置いて帰ろうかと思ったほどだ」と愚痴をこぼされたし、父には「大物になりそうだ」と総領に笑われて冷や汗をかいたと言われるし、実の兄ふたりには「分家の恥は捨てて帰ったほうがいい」など、散々な言われようをされていた。
そんな出会いにもかかわらず、双子は未だに雪游を可愛がってくれる。奇跡か物好きとしか言いようがない。
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