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42 劉紫焔と白寒澤03
特訓の内容は、至って単純だった。
午前は冰淵との合奏の練習、午後からが窮奇を自在に出せるようにする特訓。
午後は手始めに、集中力を上げる訓練から始まった。道士になる時もなってからも行われている修行のひとつだが、それをより強力にしたものだ。
十行仙のうち、極限に精神統一することであらゆるものが現れて見えるようになる照行仙と、術力を鍛える道行仙、自身と外界との陰陽の気を整えて身を保つ精行仙の三つを徹底的に鍛えることになる。
「けっこう厳しい特訓だと思うんだよね……」
雪游は呼び出した黒虎の金華猫の頭と喉を撫でてやりながらぼやく。今は夕食と長々とした入浴を終え、牀に寝転んでいる。束の間の休息だ。
日中、照行仙と精行仙は同時に学べるからと、まず滝に打たれた。そろそろ夏になるとはいえ、川の水は冷たいのだから滝の水だって冷たいに決まっていた。それが膨大な水圧を伴って降ってきて身を打つのだから堪らない。
強制的に何も考えない――というより、何も考えられない状況に身を置き、無の状態を把握することも目的なのだと言われた。
それが終われば自発的に雑念を取り払えるようになるまで結跏趺坐の状態で瞑想を続ける。雑念に囚われたと見れば紫焔や冰淵に警策で肩を叩かれる。紫焔はさすがに遠慮無く叩いてくれたし、冰淵も常より厳しく叩いてくれたと思う。
これは滝行のお陰か、普段よりはずっと深いところで集中はできた。
けれど、なかなか窮奇の黒桜は出てきてくれない。
「……大きいおまえはご機嫌斜めかな?」
呟き、目を閉じる。すぐに眠れそうだと思った後は、本当に寝入ってしまった。
さらに二日後、紫焔は業を煮やしたのか、あるいは手っ取り早い方法を採ろうと考えたのか、「雪游が強制的に身の危険を感じる状況に置く」と言いだした。
もちろん冰淵は反対した。何しろ雪游が「身の危険を感じる状況」に「強制的に」置かれるのだ。だから結局この方法を採用したのも、ものすごく渋々だったことは薄らと眉間に皺が入っていることでわかる。
「危険を感じる状況……って、例えばどんな状況だよ?」
「泰山の北にある山に、静池という池があるのは知っているか?」
「知らない」
素直に首を振ると紫焔は説明を続けてくれるが、いい説明ではない。
「この池は別名『上がらずの池』と呼ばれていて」
「……なんとなくわかった」
もういい、と手で話を止めさせた。紫焔は「まあそんなわけで」と話を切り替える。
「この池に落ちてもらう」
「落ちるのはいいけど、オレ泳げるよ?」
「そう考えるヤツは多い。だがあの池から上がったってヤツをほとんど知らないな」
長く生きている紫焔が「ほとんど」知らないということは、本当にいないも同然なのではないか。嫌な予感しかしない。
「そんなに?」
「百人いたら九十九人か百人はまず上がれない。千人いても同じようなもんだろうな」
「…………どんな池なんだよ……」
「ただの池や湖なら、浮けるだろう? 船も浮かべられる。だが静池は船も浮かべられない。どういう理屈かは知らんが、そのまま沈んでしまう」
「うわあ……」
「一説によると、池の底にとんでもなく陰気が強い妖物が住み着いていて、そいつが静池に入った者を引き込んで逃さないのだとか」
「…………」
絶対嫌だ、というのは顔に出ていたに違いないが、紫焔がそんなことを忖度してくれるはずもなかった。
午前の合奏の練習と昼食を食べ終えるとすぐ、三人で静池に向かった。
「妖物のせいなら、倒してしまえばいいんじゃないのか?」
「どうやって?」
「池の外に出てくるように誘う……とか」
「難しいな。過去何度も実験されたが、成功した試しは一度もない。ちなみに池の底はとんでもなく深いから息も続かない。一度縄を付けた道士が仲間と試しに潜ってみたらしいが、引き上げられたのは縄だけ……って話もある」
「……そんなところにオレを入れようって?!」
「まあ一応縄をつけてやらなくもないから」
「引き上げられたのは縄だけとか嫌なんだけど?!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいると、冰淵に頭をぽんぽんと撫でられた。慌てて口を噤む。騒ぐなど鄒家の道士らしくなかった。けれどこの場合は大目に見てほしい。
そうして冰淵は雪游の手を取る。
「万一の時には、私の従陰がおまえを助ける」
「兄さまの従陰が……、……なら大丈夫かな……」
「おまえは本当にお兄さまの言うことなら信じるんだな……」
「信頼の積み重ねがあるからな」
何しろ自分の記憶のない赤子の頃から今まで、二十年もの信頼が重なっている。冰淵を信じられないなら、この世の何も信じられない。
「……まあいい。すぐ試すぞ」
紫焔の言葉に頷くと、池の傍まで行く。
池の水は清く、底まで見通せそうなのに底が見えない。こんなに綺麗な池なら様々な生き物が周囲にも溢れていそうなのに、何の気配も感じられないのはいっそ不気味だった。
風が吹いて漣立つ池面を見ても、不安しかない。頼りになるのは冰淵の従陰だけだろうか。どんな従陰とは聞いていないが、きっと水に強い従陰なのだろう。
「端からでは自力で上がる可能性もなくはない」
「えっ」
後ろから紫焔に中衣の首許を掴まれると、そのまま彼は池の中程まで宙を行き、そこで雪游を掴んでいた手を放した。
午前は冰淵との合奏の練習、午後からが窮奇を自在に出せるようにする特訓。
午後は手始めに、集中力を上げる訓練から始まった。道士になる時もなってからも行われている修行のひとつだが、それをより強力にしたものだ。
十行仙のうち、極限に精神統一することであらゆるものが現れて見えるようになる照行仙と、術力を鍛える道行仙、自身と外界との陰陽の気を整えて身を保つ精行仙の三つを徹底的に鍛えることになる。
「けっこう厳しい特訓だと思うんだよね……」
雪游は呼び出した黒虎の金華猫の頭と喉を撫でてやりながらぼやく。今は夕食と長々とした入浴を終え、牀に寝転んでいる。束の間の休息だ。
日中、照行仙と精行仙は同時に学べるからと、まず滝に打たれた。そろそろ夏になるとはいえ、川の水は冷たいのだから滝の水だって冷たいに決まっていた。それが膨大な水圧を伴って降ってきて身を打つのだから堪らない。
強制的に何も考えない――というより、何も考えられない状況に身を置き、無の状態を把握することも目的なのだと言われた。
それが終われば自発的に雑念を取り払えるようになるまで結跏趺坐の状態で瞑想を続ける。雑念に囚われたと見れば紫焔や冰淵に警策で肩を叩かれる。紫焔はさすがに遠慮無く叩いてくれたし、冰淵も常より厳しく叩いてくれたと思う。
これは滝行のお陰か、普段よりはずっと深いところで集中はできた。
けれど、なかなか窮奇の黒桜は出てきてくれない。
「……大きいおまえはご機嫌斜めかな?」
呟き、目を閉じる。すぐに眠れそうだと思った後は、本当に寝入ってしまった。
さらに二日後、紫焔は業を煮やしたのか、あるいは手っ取り早い方法を採ろうと考えたのか、「雪游が強制的に身の危険を感じる状況に置く」と言いだした。
もちろん冰淵は反対した。何しろ雪游が「身の危険を感じる状況」に「強制的に」置かれるのだ。だから結局この方法を採用したのも、ものすごく渋々だったことは薄らと眉間に皺が入っていることでわかる。
「危険を感じる状況……って、例えばどんな状況だよ?」
「泰山の北にある山に、静池という池があるのは知っているか?」
「知らない」
素直に首を振ると紫焔は説明を続けてくれるが、いい説明ではない。
「この池は別名『上がらずの池』と呼ばれていて」
「……なんとなくわかった」
もういい、と手で話を止めさせた。紫焔は「まあそんなわけで」と話を切り替える。
「この池に落ちてもらう」
「落ちるのはいいけど、オレ泳げるよ?」
「そう考えるヤツは多い。だがあの池から上がったってヤツをほとんど知らないな」
長く生きている紫焔が「ほとんど」知らないということは、本当にいないも同然なのではないか。嫌な予感しかしない。
「そんなに?」
「百人いたら九十九人か百人はまず上がれない。千人いても同じようなもんだろうな」
「…………どんな池なんだよ……」
「ただの池や湖なら、浮けるだろう? 船も浮かべられる。だが静池は船も浮かべられない。どういう理屈かは知らんが、そのまま沈んでしまう」
「うわあ……」
「一説によると、池の底にとんでもなく陰気が強い妖物が住み着いていて、そいつが静池に入った者を引き込んで逃さないのだとか」
「…………」
絶対嫌だ、というのは顔に出ていたに違いないが、紫焔がそんなことを忖度してくれるはずもなかった。
午前の合奏の練習と昼食を食べ終えるとすぐ、三人で静池に向かった。
「妖物のせいなら、倒してしまえばいいんじゃないのか?」
「どうやって?」
「池の外に出てくるように誘う……とか」
「難しいな。過去何度も実験されたが、成功した試しは一度もない。ちなみに池の底はとんでもなく深いから息も続かない。一度縄を付けた道士が仲間と試しに潜ってみたらしいが、引き上げられたのは縄だけ……って話もある」
「……そんなところにオレを入れようって?!」
「まあ一応縄をつけてやらなくもないから」
「引き上げられたのは縄だけとか嫌なんだけど?!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいると、冰淵に頭をぽんぽんと撫でられた。慌てて口を噤む。騒ぐなど鄒家の道士らしくなかった。けれどこの場合は大目に見てほしい。
そうして冰淵は雪游の手を取る。
「万一の時には、私の従陰がおまえを助ける」
「兄さまの従陰が……、……なら大丈夫かな……」
「おまえは本当にお兄さまの言うことなら信じるんだな……」
「信頼の積み重ねがあるからな」
何しろ自分の記憶のない赤子の頃から今まで、二十年もの信頼が重なっている。冰淵を信じられないなら、この世の何も信じられない。
「……まあいい。すぐ試すぞ」
紫焔の言葉に頷くと、池の傍まで行く。
池の水は清く、底まで見通せそうなのに底が見えない。こんなに綺麗な池なら様々な生き物が周囲にも溢れていそうなのに、何の気配も感じられないのはいっそ不気味だった。
風が吹いて漣立つ池面を見ても、不安しかない。頼りになるのは冰淵の従陰だけだろうか。どんな従陰とは聞いていないが、きっと水に強い従陰なのだろう。
「端からでは自力で上がる可能性もなくはない」
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