鄒家道士恋物語 憧れていた師兄に溺愛されていました?!~恋の自覚は体から~

オジカヅキ・オボロ

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43 劉紫焔と白寒澤04

「おまっ……紫焔! 後で覚えてろ!!」

 心の準備が、と思う暇もなく、体が静かに沈んでいく。諦めて深く息を吐き出し、もっと強く吸い込むと、すぐに頭も池面の下になった。
 道士としての好奇心がないわけではない。
 訓練しているから、水中でも少なくとも五分や十分は息がもつ。その間に水中を観察することにした。

 手で水を掻くと、本当に水中にいるのか怪しいほど水の抵抗がない。つまり、掻いても掻いても手応えがなく、だから泳げずに溺れるのだとわかった。けれど落ちていく速度は緩やかに感じられて、この落差はなんだろうと不思議になる。

 ぐるりと周囲を見回すと、池というより井戸のようだと気付いた。これは池に深さがあるせいだ。下を見ても、底が見えそうなのに見えない。とすると、そこに妖物がいるということになるか。けれど水の中では符が使えない。武器でもなければ戦うのは難しいだろうが、水中であることを考えるとそれもやはり上策ではない。楽器も音が響かないからダメだろう。
 従陰を使っての攻撃も、当然行った道士がいるだろう。けれど池が変わらないということは、失敗したということ。

「……?」

 ずん、と体が重くなった気がした。上方を見ると池面からはかなり離れているように見える。五分以上は沈んでいるだろうか。
 そろそろ上がらないと息がもたないが、多少もがく真似事をしてみても、状況が変わる様子はない。かえって体の重みや息苦しさが増したぐらいか。聞こえる音もない。

 これは本当にまずいのでは。

 思ったのは、頭上から注ぐ陽の光に反して、足許の池底がまだ暗さを保ち、まったく見えないせいと、体に感じる重圧が増えてきたせいだ。不安を感じても仕方がない。
 そうして次に、今雪游は自重だけで沈んでいるわけではないということに気付いた。

「……これは……ほんとのほんとにまずいかも……」

 沈んでいるというより、引き込まれている。何に、なんて考えなくてもわかる。池底の何かにだ。
 圧が増した。引き込まれる強さが増しているということでもある。
 雪游は今、丸腰だ。符はもちろん、剣や楽器も持っていない。だから何かと対峙した時、対抗できる手段を持ち合わせていないということになる。
 身に感じる圧迫が増した。同時に引き込まれる力がさらに強くなる。対抗できる限りのことはしているが、果たしてどこまで有効だろう。

「……ッ、……オレの、窮奇……!」

 水中でも窮奇は有効だろうか。
 翼のある黒虎を脳裏に強く、縋るように思い浮かべる。同時に、息が限界だと気付く。このままでは溺れ死ぬのは確定だ。冗談ではない!

「……?」

 ふと、体が軽くなったのを感じた。今の今まで体は落ちていく感覚があったが、今度は上昇していく感覚がある。おまけに襟首を掴まれているような。
 背後を振り返れば、黒い獣の姿があることに気付いた。

「……!」

 ざば、と池面から出ると途端に噎せる。水が少し入ってしまったらしい。
 黒い獣、雪游の窮奇はそのまま池から少し離れた地面に下ろしてくれた。咄嗟に、熊のような大きな体に抱きつく。

「ありがとう! 黒桜、ちょっと待っててくれるか?」

 頭を擦り寄せてきていた窮奇が、名前を呼ばれるとふいと離れようとする。慌てて大きな体を抱きしめた。

「待て待て待て、行かないでくれって。名前を呼んだのが気に食わなかったのか?」

 低く喉を鳴らすのは肯定の意味だろうか。

「そいつに名前を付けたらどうだ?」

 離れたところにいた紫焔と冰淵がやってきた。冰淵の顔を見るとわけもなくホッとする。

「え? でも名前……」
「黒桜ってのは、金華猫のほうの名前だって思ってるかもしれないだろ」
「えっ?」

 黒虎を振り返ると、じっと雪游を見つめてきている。

「……そうなのか?」

 大きな頭を擦り付けてくる仕草は猫と変わりないが、この大虎は自身と猫を別の個体だと考えているのだろうか。

「そっか。じゃあ、ちょっと待って」

 名前がほしいという主張は今までなかったが、名前を付けてほしいと要求されたなら、応えねばならない。彼を従陰にしているのは雪游だからだ。
 あれでもない、これでもない、とあれこれ考えを巡らせる。そうしてようやく、しっくりくる名前を思いつくことができた。

梓涵しかん! は、どうだ?」

 魔を退ける効果があると言われる梓と、鄒家の者らしく水に由来のある字義を組み合わせた名前。邪悪なら何でも食べるはずの窮奇には、似合いの名前ではないだろうか。
 窮奇の反応を伺う。雪游の顔に顔を寄せると――頬を大きな舌でべろりと舐めた。

「わ……! なに? 気に入った? いい名前だろ?」

 首に抱きつくと、わしゃわしゃと頭や首を撫でてやる。つやつやの毛並みは、撫でていて気持ちいい。
 雪游の後ろのほうで紫焔が声をかけてくる。

「名前を呼んだら必要な時にちゃんと出てきてくれるのかも確認しておけよ」

 そのための荒行だった。思い出すと、黒虎の金目をじっと見つめる。

「オレが呼んだら来てくれる?」

 また顔を舐められる。たぶん了承の意味だろう。そうして、黒虎が一点を見ていることに気付いた。視線を辿ると冰淵だ。

「梓涵、冰淵兄さまがどうかした? ……あ」

 のそのそと彼の前まで行くと、梓涵はじっと見つめ返している冰淵の顔を舐めた。それから目の前で伏せの姿勢を取る。

「これは……? どういうことだ?」

 紫焔は戸惑うが、雪游はわかった気がした。

「兄さま、撫でてあげてよ」
「…………」

 こんな大虎の妖物が犬のように人に撫でてもらいたがることなんてあるのだろうか。冰淵の戸惑った視線は一瞬だけ雪游に投げられたが、すぐに梓涵へ戻すと彼の頭や頬を撫でた。喉を鳴らす音が聞こえたような気がする。

「……ねえ、オレの従陰なんだよね? なんで兄さまのほうに懐いてるように見えるんだろう」
「そりゃあおまえ……人徳ってやつじゃねえか……?」
「反論の余地もないこと言うの禁止」
「理不尽……」

 くしゃみをひとつした雪游が慌てて着替えると、金華猫の姿に戻った梓涵を連れて三人は鄒家へと戻った。
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