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第二章

第二章 第五話

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「ごめんね。ここからは秘密の特訓だから」
 秀はそう言うと屋上から他の生徒達を閉め出した。

「大森、ナイフかカッターを持ってきてくれ。無ければ尖ったものなら何でもいい」
「分かった」
 俺が屋上から出ると、まだ未練がましく残っていた生徒達が、
「何の映画を撮ってるんだ?」
「役者は足りてるか?」
「私、出てもいいわよ」
 口々にそう言ってきた。

 それを適当にあしらって教室に急ぐ。
 ナイフかカッターと言っても俺はそんなもの学校へ持ってきていない。
 高校では図工の時間などないし、小学校の時もハサミくらいしか使わなかった。

 秀の鞄も調べたがやはり持ってきていない。
 自分が持ってきていたらそう言うだろうから高樹の荷物にも無いだろう。
 雪桜はどうだろう?
 しかしD組まで見に行ってる暇はない。
 急がないと高樹の手に負えなくなるかもしれない。
 俺はボールペンを持つと屋上へ急いだ。

「これでいいか?」
「ああ」
 高樹は俺からボールペンを受け取ると化生の左胸の辺りにした。
 化物は咆哮ほうこうを上げるとちりになって消えた。

「やった!」
 秀が声を上げた。
 高樹は自分がやった事に呆然としながら自分の手の中のボールペンを見ていた。

「よくやったな!」
 俺は高樹の背中を叩いた。
「何があったの?」
 その問いに雪桜には化生けしょうが見えない事を思い出した。
 俺は雪桜に今起きた事を説明した。

「へぇ、すごいね」
 雪桜が感心したように言った。
「…………」
 高樹は自分のしたことに動揺しているようだ。
 まぁ普通の人間にはこんな事は出来ないからな。
 おそらく俺が刺しても化物は倒せなかっただろう。
 高樹も同じ事を考えたらしい。
 何とも言えない表情を俺に向ける。

「とりあえず、帰るか」
 俺は言った。
「もうしばらくここにいた方がいいよ」
 秀が俺をめる。
「私達、お芝居の練習してることになってるから」
 雪桜が言い添えた。
「そう言えばそうだったな」
 俺はその場に座り込んだ。
「今まであんなの出たことなかったよな」
「確かにないな」
「綾さんに聞いてみれば何か分かるんじゃないかな」
 秀が言った。
「そうだな。今日の帰りに聞いてみるか」
 高樹が同意する。
「あ、すまん、俺、今日は伊藤を家に連れてく約束してるんだ。お前らだけでいいか?」
「いいぜ」
 俺達が化生が出た理由を推測している間に予鈴が鳴った。

「大森君、ホントにごめんね」
 伊藤はこれで何回目かになる謝罪の言葉を口にした。
 秀達と別れてからずっと謝り通しだった。
「気にすんなって。それより、伊藤……」
「拓真でいいよ」
「拓真は小早川と親しかったのか?」
「何度か猫の話をしたくらいだよ」

 やはり猫の話か……。

 まぁ、こいつが猫以外の話をしているところなど想像が付かないが。
 ただ、拓真の残念そうな表情と、葬式にまで行ったことを考えるとどうやら小早川が好きだったようだ。

 そういえば誰かが小早川は人気にんきあったって言ってたな……。

 俺の家は狭い敷地いっぱいに建つ二階建ての家で、家の壁と塀の間は十センチくらいしか開いてない。
 隣の家の壁――塀ではない――とも三十センチ程度しかない。
 火事になったらこの辺り一帯の家は一蓮托生だ。

「お邪魔します」
 拓真は礼儀正しく言うと靴を揃えて玄関に上がった。

 ミケは居間にいた。
 窓のすぐ側に迫っていてる塀をへだてた隣に建つ、二階建ての家の上から差し込んでいる夕陽を浴びて丸くなっていた。

「お帰りなさい。あら、お友達?」
 母さんが言った。
 今日も無事だったようだ。

「伊藤拓真君だよ」
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
 拓真がそう言ってお辞儀する。

「拓真はミケを見に来たんだ」
「まぁ、猫、好きなの?」
 母さんが嬉しそうに言った。
「はい!」
「そう、ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
 拓真が頭を下げる。
 母さんは台所へ引っ込んだ。

「おい、客だ。起きろ」
 俺はミケを揺すった。
「大森君、いいよ。可哀想だから」
『うるさいわね』
 ミケが顔を上げて文句を言った。
「わぁ、可愛いね。すごく綺麗な顔立ちしてる!」
「そうか?」

 俺には猫の顔は全部同じに見えるんだが……。

「うん、猫はこの世で一番綺麗な動物だよね。だから猫が神様の使いだったり、神様そのものだったりするところがあるくらいだし。エジプトの猫の顔した神様とか有名でしょ。あの神様は――」

 拓真、猫の話になった途端饒舌じょうぜつになるな……。

『ふぅん、分かってるじゃない。あんたも見習いなさいよ』
「うるさい! 生意気言うな、バカ猫!」
「大森君……」
 拓真が驚いたような表情で俺を見た。
 俺は我に返って口をつぐむ。
 つい、拓真の前で猫と話してしまった。
「あ、いや、これは……」
「猫の言葉分かるの?」
「いや、分かるって言うか……」
「すごいね」
 尊敬の眼差まなざしで俺を見た。
 伊藤は化生などは見えない普通の人間なのに猫の言葉が分かる俺のことを奇異きいだと思わないらしい。
 猫の言葉と言っても普通の猫の鳴き声は分からないのだが。

 まぁいいか。

 雪桜だって見えないし聞こえないが信じてくれている。
 そうこうしているうちに姉ちゃんが帰ってきた。

「ただいま。あら、お客さん?」
「ミケを見に来たのよ」
 母さんが答える。
「まぁ! 猫、好きなの?」
 姉さんが、母さんとそっくりな表情で嬉しそうに言った。
「はい!」
「そう、ゆっくりしていってね」
 姉ちゃんは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
 拓真が頭を下げた。

「いつでも来ていいのよ。孝司がいなくても気にしないで遊びに来なさいね、ミケのお客さんなら歓迎するから」
「はい」
 そこへ母さんが拓真にジュースを持ってきた。
 そのままそこに座り込んでミケを撫で始める。
 姉ちゃんも、着替えにも行かずにその場に座った。
 ミケは黙って丸くなっているが悪い気はしていないようだ。

 母さんと姉ちゃんは、拓真と猫の話で盛り上がり始めた。
 拓真が自分のスマホで撮った猫の写真を母さんと姉ちゃんに見せる。

 枚数がカンストしてる……。
 どんだけ撮ってんだよ……。

 俺は拓真の相手を姉ちゃん達に任せて二階にある自分の部屋へ上がった。
 拓真と母さん達は意気投合したようだから、これからは俺が連れてこなくても勝手に来るだろう。

 あ、そう言えば明日にでも捨てに行くつもりだったんだっけ……。
 まぁ、捨てたら「逃げた」とでも言えばいいか……。

 どうせ一度小早川の家から逃げているのだ。
 脱走癖のある猫という事で通せるだろう。

 悪いな、拓真。
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