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第五章

第五章 第三話

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四月二十三日 木曜日

 放課後、俺達は再び絵の前に来ていた。
 今日は祖母ちゃんと海伯だけではなく、白狐ともう一人、同行者が一緒だった。
 見た目は女子大生風だが化生である。
 昨日のうちに海伯が白狐に話しに行ってくれて、白狐が江戸時代に狩野派の絵師の弟子入だった化生を呼んでくれたのだ。

 彼女は荷物の中から絵の道具を出すと絵に手綱を描き込んだ。
 絵には詳しくないが違和感はない。
 少なくとも油性ペンではないからイタズラ描きとは思われないだろう。
 文化庁に元の絵の写真が残っているから、それと比較すれば手綱が描き足されている事はバレてしまうと思うが指紋を採られたところで化生だから民間データベースを調べられても問題ない。

「これで出てこなくなるとは思うが、万が一まだ出てくるようなら燃やしてしまえ」
 白狐が言った。
「文化財を!?」
 俺が驚いて声を上げると、
「行方不明なのだろ。だったら永久に行方不明という事にしておけば良い」
 関東大震災や空襲で都内の文化財はかなり焼失してるからこの絵もその時に燃えた事にしてしまえ、というのだ。

 乱暴な……。

 とはいえ、絵の上手い者が手綱を描いても出てきてしまうようなら他に方法がない。
 おそらく油性ペンの手綱でもダメだろう。

四月二十四日 金曜日

「昨日は暴れ馬は出てないよな?」
 朝の登校途中、俺は秀と雪桜に訊ねた。
「被害者には馬が見えないから断言は出来ないけど、死んだりケガをしたりした人はいなかったみたいだよ」
「ネットとかにも特に投稿はなかったけど……」
 雪桜が途中で言葉を切った。

 元々今回の事はネットにもほとんど出ていなかった。
 人間でも自転車や車など見えている物がぶつかったなら報道はされなくてもSNSへの投稿がある場合が多い。
 衝突事故というのは報道されるよりも遙かに件数が多いがニュースになるものは少ない。
 だがSNSでは、ぶつかってきた人が逃げてしまった、などという場合は被害者がそれを投稿するし、そう言う投稿は注目が集まる事が多いから目にする機会が多い。

 問題は〝見えないもの〟にぶつかられた場合だ。
 周囲に人がいるから誰かにぶつかられたのだと考えたとしても、ケガをしたり死んだりするほどの勢いとなると歩いている人を疑ったりしないだろう。
 だが走り去っていく人がいなければ、そして周囲に他の人も倒れているなら『何かがぶつかった』、そしてそれは『歩行者ではなさそうだ』と言う事しか分からない。

 何にぶつかったのか分からず、原因と思われるもの――突風など――も特に無いとなると、投稿には『どうしてだか分からないけど転んだ』程度の事しか書けないし、車やバイクなどにぶつかられたのではないなら読み流されて終わるから話題にはならない。
 そういえば妖奇征討軍には馬が見えたのだろうか。

 あれが虎の絵だったらあの絵の虎が人をみ殺したのは絵の中の虎ということに出来たのに……。

 路地の横に差し掛かった時、狸がいた。
 どうやら道端に捨てられたレジ袋の中の弁当をあさっていたようだ。
 狸は俺と目が合うと軽く頭を下げてから弁当に注意を戻した。

 動物タヌキ会釈えしゃく

 一瞬首を傾げてから妖奇征討軍に退治されそうになっていた狸だと気付いた。
 まだ無事だったと分かって一安心だ。

 休み時間、夕辺は暴れ馬が出なかったかどうか確かめるために、俺も秀もほとんど話をしないままクラスメイト達の噂に耳を傾けていた。

「それ、家出でしょ」
「近道のために公園を通り抜けようとすると消えるのよ」
「一人や二人じゃないんだって」
「その公園に入った人は出てこないって聞いたよ」
「神隠しってやつ?」
 女子の噂話を聞いていた秀と俺は顔を見合わせた。

 次の休み時間、秀と俺は連れだって雪桜と高樹のクラスに行った。
 雪桜は他の女子生徒と話をしていたので声は掛けなかった。

「実は俺もその話を聞いたからそっちに行こうと思ってたんだ」
 高樹が言った。
「まだ馬がどうなったかも分からないのに今度は神隠しか……」
 俺は溜息をいた。
「やっぱ俺達が行かなきゃなんないのか?」
 俺は高樹に訊ねた。
 出来れば化生退治などしたくないのだが。

「他に当てはあるか?」
「妖奇征討軍は?」
 あいつらは化生退治がしたくてわざわざ呼び寄せているくらいだ。
 というか、あいつらの儀式のせいで現れた可能性が高いのだから連中に任せられないだろうか。
「見えれば退治も出来るだろうが……」
「無理か……」

 連中は河童の死体にも気付かなかったくらいだから神隠しの化生も見えないだろう。
 俺は肩を落とした。

 祖母ちゃんは力が強い化生ほど姿を消す力も強くなると言っていた。
 あいつらが桜の木にいた人喰いを倒せたのは不忍池のぬしの手助けがあったからだという話だし、捕まるまで見えなかったというのでは公園の化生も、いざ喰われる、と言う段になるまで気付かないだろう。
 しかも今回は不忍池の主の助けは当てに出来ない。
 不忍池の主が助けてくれたのは上野公園という縄張り内だったからだ。

 今夜は化生退治になるのか……。

 俺達が帰り支度をしている時、山田がやってきた。

「今日こそ教えてもらうわよ」
 山田は俺の横を見下ろしながら言った。
 そこには東雲と繊月丸がいる。
 山田には黒い影に見えているのだろう。
 俺は秀と顔を見合わせた。

「じゃあ、いてきてくれ」
 俺達は山田を連れて教室を出た。
 そこで、待っていた雪桜と目があった。

 雪桜は山田を見ると、一瞬不愉快そうな表情が浮べた。
 だが、それはすぐに消えた。
 雪桜が山田に嫉妬していると言うことはあり得るだろうか。
 もしそうだとしたら、それは脈があると言うことだろうか。

 少し遅れてやってきた高樹は山田を見ると意外そうな顔をした。
 山田がいたせいか歩いている間、話は弾まなかった。
 中央公園には祖母ちゃんと海伯がいた。

「あ、こんにちは」
 山田が挨拶すると、
「ちっす」
 海伯が応えた。

 知り合いだったのか……。
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