タイトルは最後に

月夜野 すみれ

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第2話

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「疲れた……」
 楸矢が心底疲れ切ったという表情で言った。
 雨宮あまみや椿矢しゅんやはそれを苦笑しながら見ていた。
 椿矢が付きっ切りで指導してようやく楸矢の憲法のレポートが仕上がったのだ。
 椿矢は大学で研究助手をしているので学生にレポートの書き方を教えるのは慣れていた。
「いつも頼っちゃってごめん」
 楸矢が謝った。
 椿矢が答えようとした時、幼い子供を連れた夫婦らしき男女が向かいから歩いてきた。
 両親と両手をつないだ子供が両足を持ち上げてぶら下がった。
 母親が笑いながら子供をたしなめた。
 それを見ていた楸矢が、
「あれ、あんたもった事ある?」
 と聞いた。
「あるんじゃないかな」
 椿矢は小さい時からかなり冷めた性格だったから、った事があるとしたら物心付くかどうかの頃くらいだろう。
「面白かった?」
「その時は面白いと思っただろうけど……」
 ちょっとしたおふざけだ。それも子供の。
 思い付いた時にってみる。
 そんなおふざけの時に何を考えたかなど一々覚えていない。
 った事があるかすら覚えてないくらいだ。
「子供ってああ言うの好き?」
「それは子供によるけど……そう言えば榎矢かやはよくってたな」
 榎矢と言うのは椿矢の弟である。
「そっか」
 楸矢はれ違った親子の背中を見ながらつぶやいた。

 椿矢はそんな楸矢を横目で見ていた。
 楸矢もだが、小夜も両親と死に別れたのが二歳の頃だから、ああいう事をした記憶は無いはずだ。
 小夜は居候いそうろうが申し訳ないからと霧生家で家事をしている。
 小夜が料理や弁当を作ってくれたり、楸矢が柊矢に叱られる度にかばってくれる事などを、
「きっとお母さんってこんな感じなんだろうなって思ってさ。小夜ちゃんのお陰でそう言うの、経験出来たんだよね」
 と目を輝かせて語っているのを聞いて楸矢がどれほど家族に憧れていたか痛感した。

 だが小夜にはその経験が出来ない。
 楸矢に「小夜ちゃんも家族だよ」と言われて嬉しそうにしていたらしいが、それだけだ。
 親とはこういうものなのか、と思えるような経験はした事が無いはずだし、この先も無いだろう。
 自分の子供に与える事は出来ても、小夜自身が享受きょうじゅする機会は一生ないに違いない。
 冷めた性格の椿矢でも知り合いがそう言う境遇だと聞くと同情の念がく。

 土曜の午後、清美は楸矢と中央公園を歩いていた。
「あれ、なんだろう」
 植え込みの中に置かれている白い鹿のような動物の置物を見た楸矢が言った。
「クリスマスに合わせてイルミネーションやるんですよ」
「へ~、そうなんだ。ならクリスマスに見に来ない?」
「え、パーティの後ですか? 片付けとかした後だと遅くなるんじゃ……」
 かといって楽しみにしているパーティをデートの為に早く切り上げさせるのも申し訳ない。
「それはイブだよ。クリスマスは二十五日でしょ」
 確かに……。
「じゃ、イブがパーティでクリスマスがデートですね!」
 清美が勇んで言うと、
「うん」
 楸矢が笑顔でうなずいた。

 裕也は描き上げた絵を眺めた。
 この絵は大学の文化祭に出す事になっている。
 荒涼こうりょうとした大地と空に浮かぶ月より大きな白い天体。
 それは物心ついた時からよく見る夢の中の光景だった。
 白い星を見る度によく分からない衝動しょうどうき動かされてき続けてきた。
 焦げ茶色の乾燥してひび割れた大地と白い星、たまに白い星とは別に、月と同じか少し小さいくらいの天体が見える事もある。
 絵を見た人達からは「中二病」と笑われた。
 しかし夢を見る度に「かなければ」という使命感にられてやめられないのだ。

 清美が登校すると小夜が声を掛けてきた。
「買い物?」
 清美が聞き返した。
 小夜から買い物に誘われたのだ。
「うん、クリスマスの飾りとかよく分からなくて……」
「誕生日とかと同じだよ」
 先月の楸矢の誕生日のパーティの時は一人で買いに行って飾り付けていた。
「違うとことか全く無いの?」
「後はリースくらいだと思うけど……」

 おそらく〝普通の家庭〟のクリスマスパーティがしたいのだろう。
 元々キリスト教のお祭りで、キリスト教徒ではない日本人は便乗している――と言うかケーキ店やファーストフード店、玩具メーカーなどの各業界が宣伝して大衆を乗せた――だけだから〝普通〟など無いのだが、全く経験が無いとそれすら分からないようだ。
 好きなようにすればいだけなのだが小夜は〝一般的な家庭〟のクリスマスパーティをしたいのだろう。
 そして、それは楸矢も同じはずだ。
 小夜の性格からして誰か(つまり清美)から「これでいい」と太鼓判たいこばんを押されないと不安なのだろう。
 自分の家でった事が無くても友達の家に遊びに行った事があれば分かりそうなものだが、いくら親友とは言え「小中学生の頃、友達いなかったの?」とは聞けない。
 まぁ聞くまでもなくなかったのだろうが。

 小中学校時代の友達の話、聞いた事ないし……。

 清美が小夜と知り合ったのは高校に入ってからだ。
 清美から積極的に話し掛けたから仲良くなったが、それまで小夜には友達がいなかったし、その後も特別親しくなった相手はいない。

「いいよ、楸矢さんも楽しみにしてるし」
「ありがと」
 小夜がホッとした表情になった。
 それから、
「清美のうちもクリスマスツリー、飾るよね?」
 と訊ねてきた。
「うん」
生木なまきじゃないよね?」
「なまき!?……あ、鉢植えって事?」
「ううん、った木」
「え?」
「柊矢さんが生木のツリーを注文しようとしたんだけど、伐った木って枯れるからクリスマス終わったら捨てちゃうでしょ。それは可哀想だから」

 伐った木のツリーなんて聞いた事ないけど……。
 まさか七夕の笹と間違えてるとか?

「それに、うちの前の道って狭いからトラックが入ってくるの大変だし」
「トラック!?」
「普通の車じゃ運べないでしょ」
 小夜の言葉に清美は絶句した。
 どうやら柊矢は海外の映画に出てくる天井まで届くような大きなツリーを注文しようとしたようだ。
 自宅で自分が用意するという経験が全く無かったため、映画に出てくる物しか思い浮かばなかったらしい。
 清美はアメリカのドラマで主人公が山に伐りに行ってるエピソードを思い出した。

 住んでるのが新宿じゃなかったら山にりに行ってたかもしれないんだ……。

 おじいさんはしば刈りに……。
 お爺さんじゃないけど。

「柊矢さんちの物置にツリーあるんじゃない?」
 霧生兄弟の両親が亡くなったのは柊矢が小学生の時だし、その両親の学生時代は既に平成になっていたのだから当然柊矢が生まれる前からクリスマスは祝っていただろう。
 柊矢達が気付いてないだけで家にツリーがあるはずだ。
 霧生家は一戸建てで小さいが納屋もあるから親が片付けた場所を知らないだけだろう。
「普通は仕舞しまっておいて十二月に出すものだよ。うちもそうだし」
「清美んちは先祖伝来のツリーがあるんだ!」
「いや、伝来じゃないよ。一般家庭が祝うようになったの戦後じゃん」
「でも清美のお祖父さんやお祖母さんも戦後生まれでしょ。三代なら伝来って言わない?」
「そりゃお祖父ちゃんが使ってたのもらってれば言うだろうけど、オーナメントならともかくツリーなんか子供に譲ったりしないよ」
「そっか。あげたら自分が飾れなくなっちゃうよね」

 そうじゃない……。
 これは一から教えないとダメだ……。

 清美は覚悟を決めた。
 楸矢とはクリスマスの晩にデート出来ることになったのだから、イブのパーティは楸矢と小夜が家族でのクリスマスを楽しめるように全力をくそう。
 ドラマに出てくるような天井に届く高さのツリーが霧生家のリビングに置かれているのもちょっと見てみたい気はするが……。
 まぁ、今年は〝一般的な〟クリスマスにしておこう。
 楸矢が、柊矢は小夜に「ゲロ甘」と言っていたから「小夜が喜ぶ」と言ってそそのかせばすぐに巨大なツリーを取り寄せるだろう。

 来年、柊矢さんに言ってみよっと。

「とりあえず、ツリーの事は柊矢さんに納屋を確認してもらってからで遅くないよ」
 新しく買うにしても箱から出して飾るのに一日も掛からない。
「うん、ありがと」
 小夜は素直に頷いた。
「お料理は七面鳥?」
「それは感謝祭。クリスマスはチキンだよ。後は適当にケーキやご馳走ちそう買ってる」
「え!? クリスマスのお料理って買うものなの!?」
「いや、単に面倒だからだよ。今は御節おせちだって買ううち多いし」
「じゃあ、特にこれって言うのはケーキとチキンくらい?」
「そうだね。チキンにしてもファーストフード店が定番化させただけだし」
 その店の本社があるアメリカでは食べないが。
 少なくともファーストフード店で買ったチキンは。
 ファーストフード店で売ってる料理は〝特別な食べ物ごちそう〟ではないからだ。
「だから作るうちもあるよ」
「そっか、じゃあクリスマスのレシピ調べてみる」
「あたしも手伝いたいから簡単なのにして」
「うん」
 小夜の言葉に清美はスマホを取り出すとクリスマス料理のレシピを検索し始めた。
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