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Silent Bells
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見渡す限りどこまでも続く草一本生えてない荒野。
青い空には大きな白い天体が浮かんでいる。
そんな絵を描いている裕也に、
「もうやめなよ」
幼馴染みの理沙が言った。
「ホントにそれが描きたい絵なの?」
詰問調で訊ねてくる理沙を裕也は睨み付けた。
裕也は子供の頃から絵ばかり描いていた。
「ゆう君、一緒に遊ぼ」
理沙がそう声を掛けてくる度に、
「これ、描いたらね」
裕也はスケッチブックから顔を上げずに答えていた。
理沙は他の友達がいる時は遊びに行ってしまったが、一人の時はその場に残って裕也が描いてるところを眺めていた。
黙って絵を描いているところなど見ていて何が楽しいのか分からなかったが理沙が一緒にいるのは嫌ではなかった。
小学校の時の休み時間、
「お前、絵ばっか描いてて楽しいのかよ」
クラスメイトが茶化すように言った。
「うん」
顔も上げずに答えた裕也に鼻白んだクラスメイトはどこかへ行ってしまった。
「せっかく仙台に来たのにスケッチ? 観光すればいいのに」
母が呆れたように言った。
「わざわざ来たからだよ。滅多に来られないんだから」
「滅多に来ないのは家で絵ばかり描いてるからでしょ」
母はそう言うと諦め顔で父と松島へ出掛けていった。
松島も綺麗だと聞くが、今はこの景色を描き止めたかった。
時間があったら松島にも行って描こうと思っていたが結局その絵だけで時間切れになってしまった。
荒涼とした大地と空に浮かぶ月より大きな白い天体。
それは物心ついた時からよく見る夢の中の光景だった。
白い星を見る度によく分からない衝動に突き動かされて描き続けてきた。
焦げ茶色の大地と白い星、たまに白い星の側に、月と同じか少し小さいくらいの天体が見えることがある。
絵を見た人達からは「中二病」と笑われた。
しかし夢を見る度に「描かなければ」という使命感に駆られて止められないのだ。
理沙は裕也の夢の絵を嫌っているようでいつも眉を顰めていた。
「何を描こうと僕の勝手だろ」
裕也が素っ気なくそう言うと、
「普通の絵はこんなに綺麗なのに……」
理沙が裕也の描いた冬の仙台の風景画を見てぽつりと呟いた。
「綺麗じゃなくて悪かったな!」
かっとなって怒鳴り付けた。
絵を否定することは裕也を否定することだ。
裏切られた。
それが正直な気持ちだった。
確かに夢の世界はどこまで行っても草一本生えていない荒れた大地だ。
そんな光景のどこがいいのかと聞かれても答えられない。
ただ伝えたい。
誰に? と訊ねられても分からない。
ただ白い星を見上げる度に感情が溢れ出してきて、それを伝えたくなるのだ。
正体不明の誰かに。
理沙は裕也の剣幕に怯んだ表情を見せると踵を返して去っていった。
それが高校二年のクリスマスイブの日だった。
中学の時の同級生達とクリスマスパーティをしようと誘いに来て裕也が絵を理由に断って口論になったのだ。
理沙とは高校が違ったからそれきり会わなくなった。
裕也は美大の三年生になっていた。
大学の文化祭の日、自分の絵の前で立ち止まっているカップルがいた。
あの星の絵を眺めるのは中二を患っている者か、バカにしてせせら笑う者のどちらかだ。
さり気なくカップルの表情を見える位置に移動してみた。
中二っぽい感じはしないがバカにしている表情でもない。
やけに真面目な顔で見ているのが印象に残った。
数日後の夕方、大学の門を出ると人だかりが出来ていた。
歌声が聴こえてくる。
大学の前で路上ライブなんて珍しいな。
知らない言語の不思議なメロディだったが何故か惹き付けられて思わず足を止めて聴き入ってしまった。
クリスマスの朝、連日徹夜で描いていた課題の絵が仕上がると、ベッドに倒れ込むように横になった。
次の瞬間には眠りに落ちていた。
いつものようにあの星の夢を見た。
だが今日はいつもと違った。
どこからか歌声が聴こえてくる。
大学の前で聴いたあの歌だ。
澄んだソプラノの歌声が風のように流れていく。
荒涼とした大地に空から銀色のものが無数に降ってきている。
まるで雪のようだ。
それは本来なら人間の目には見えないほど微細な有機物。
それがゆっくりと落ちて地上に降り積もる。
大気は降り注ぐ有機物――生命の源――で満ちていた。
突如、轟音がして空の片隅が明るく光った。
火球だ。
地響きと共に地面が揺れた。
その間にも空を次々と流星が流れていく。
この星の大地はどこも乾いて草一本生えていない。
水がほとんど無いのだ。
今ある水だけでは生命を育む事は出来ない。
だが隕石は破滅だけではなく生命に必要な水ももたらす。
隕石の表面の酸素原子と恒星から吹き付けられる高エネルギーの水素イオンが反応して水になるのだ。
それが隕石として落ちてくる事で惑星上に水が溜まっていく。
隕石によって少しずつ増えていった水が海になった時、これらの有機物は生命となり、やがてこの星も地球と同じように緑豊かな惑星になる。
裕也は白い星を見上げた。
そうだ、想いを伝えたかった相手はあの白い星だ。
あの星へ、この星の想いを伝えなければいけない。
その使命感だけでこの風景を描き続けてきた。
けれど……。
あの星はとっくの昔にこの星の想いを知っている。
歌が教えてくれた。
知らない言葉なのに何故かそれが分かった。
もう、この景色を描く必要はない。
好きに描いていいんだ。
絵で想いを伝えるべき相手はあの星ではない。
裕也は目を覚ました。
窓の外を見ると西の低い空は淡い橙黄色をしていた。
そこから上に向かって徐々に赤が濃くなり紫を経て青墨の夜空へと変わっていく。
この星にはこんなに綺麗な色が溢れてたんだな……。
『普通の絵はこんなに綺麗なのに……』
あの時の言葉はそう言う事だったのだ。
あの星の呪縛に捕らわれて何も見えてなかった。
謝ろう。
裕也は仕舞ってあった理沙の肖像画を取り出した。
唯一裕也が描いた人物画だ。
理沙と会わなくなってしばらく経ってから描いたものである。
受け取ってくれるだろうか。
それ以前に口を利いてもらえるだろうか。
裕也は首を振った。
許してくれなくても仕方ない。
まずは謝らなければ許してもらうことも出来ないのだ。
絵を抱えると理沙の家に向かって歩き出した。
完
青い空には大きな白い天体が浮かんでいる。
そんな絵を描いている裕也に、
「もうやめなよ」
幼馴染みの理沙が言った。
「ホントにそれが描きたい絵なの?」
詰問調で訊ねてくる理沙を裕也は睨み付けた。
裕也は子供の頃から絵ばかり描いていた。
「ゆう君、一緒に遊ぼ」
理沙がそう声を掛けてくる度に、
「これ、描いたらね」
裕也はスケッチブックから顔を上げずに答えていた。
理沙は他の友達がいる時は遊びに行ってしまったが、一人の時はその場に残って裕也が描いてるところを眺めていた。
黙って絵を描いているところなど見ていて何が楽しいのか分からなかったが理沙が一緒にいるのは嫌ではなかった。
小学校の時の休み時間、
「お前、絵ばっか描いてて楽しいのかよ」
クラスメイトが茶化すように言った。
「うん」
顔も上げずに答えた裕也に鼻白んだクラスメイトはどこかへ行ってしまった。
「せっかく仙台に来たのにスケッチ? 観光すればいいのに」
母が呆れたように言った。
「わざわざ来たからだよ。滅多に来られないんだから」
「滅多に来ないのは家で絵ばかり描いてるからでしょ」
母はそう言うと諦め顔で父と松島へ出掛けていった。
松島も綺麗だと聞くが、今はこの景色を描き止めたかった。
時間があったら松島にも行って描こうと思っていたが結局その絵だけで時間切れになってしまった。
荒涼とした大地と空に浮かぶ月より大きな白い天体。
それは物心ついた時からよく見る夢の中の光景だった。
白い星を見る度によく分からない衝動に突き動かされて描き続けてきた。
焦げ茶色の大地と白い星、たまに白い星の側に、月と同じか少し小さいくらいの天体が見えることがある。
絵を見た人達からは「中二病」と笑われた。
しかし夢を見る度に「描かなければ」という使命感に駆られて止められないのだ。
理沙は裕也の夢の絵を嫌っているようでいつも眉を顰めていた。
「何を描こうと僕の勝手だろ」
裕也が素っ気なくそう言うと、
「普通の絵はこんなに綺麗なのに……」
理沙が裕也の描いた冬の仙台の風景画を見てぽつりと呟いた。
「綺麗じゃなくて悪かったな!」
かっとなって怒鳴り付けた。
絵を否定することは裕也を否定することだ。
裏切られた。
それが正直な気持ちだった。
確かに夢の世界はどこまで行っても草一本生えていない荒れた大地だ。
そんな光景のどこがいいのかと聞かれても答えられない。
ただ伝えたい。
誰に? と訊ねられても分からない。
ただ白い星を見上げる度に感情が溢れ出してきて、それを伝えたくなるのだ。
正体不明の誰かに。
理沙は裕也の剣幕に怯んだ表情を見せると踵を返して去っていった。
それが高校二年のクリスマスイブの日だった。
中学の時の同級生達とクリスマスパーティをしようと誘いに来て裕也が絵を理由に断って口論になったのだ。
理沙とは高校が違ったからそれきり会わなくなった。
裕也は美大の三年生になっていた。
大学の文化祭の日、自分の絵の前で立ち止まっているカップルがいた。
あの星の絵を眺めるのは中二を患っている者か、バカにしてせせら笑う者のどちらかだ。
さり気なくカップルの表情を見える位置に移動してみた。
中二っぽい感じはしないがバカにしている表情でもない。
やけに真面目な顔で見ているのが印象に残った。
数日後の夕方、大学の門を出ると人だかりが出来ていた。
歌声が聴こえてくる。
大学の前で路上ライブなんて珍しいな。
知らない言語の不思議なメロディだったが何故か惹き付けられて思わず足を止めて聴き入ってしまった。
クリスマスの朝、連日徹夜で描いていた課題の絵が仕上がると、ベッドに倒れ込むように横になった。
次の瞬間には眠りに落ちていた。
いつものようにあの星の夢を見た。
だが今日はいつもと違った。
どこからか歌声が聴こえてくる。
大学の前で聴いたあの歌だ。
澄んだソプラノの歌声が風のように流れていく。
荒涼とした大地に空から銀色のものが無数に降ってきている。
まるで雪のようだ。
それは本来なら人間の目には見えないほど微細な有機物。
それがゆっくりと落ちて地上に降り積もる。
大気は降り注ぐ有機物――生命の源――で満ちていた。
突如、轟音がして空の片隅が明るく光った。
火球だ。
地響きと共に地面が揺れた。
その間にも空を次々と流星が流れていく。
この星の大地はどこも乾いて草一本生えていない。
水がほとんど無いのだ。
今ある水だけでは生命を育む事は出来ない。
だが隕石は破滅だけではなく生命に必要な水ももたらす。
隕石の表面の酸素原子と恒星から吹き付けられる高エネルギーの水素イオンが反応して水になるのだ。
それが隕石として落ちてくる事で惑星上に水が溜まっていく。
隕石によって少しずつ増えていった水が海になった時、これらの有機物は生命となり、やがてこの星も地球と同じように緑豊かな惑星になる。
裕也は白い星を見上げた。
そうだ、想いを伝えたかった相手はあの白い星だ。
あの星へ、この星の想いを伝えなければいけない。
その使命感だけでこの風景を描き続けてきた。
けれど……。
あの星はとっくの昔にこの星の想いを知っている。
歌が教えてくれた。
知らない言葉なのに何故かそれが分かった。
もう、この景色を描く必要はない。
好きに描いていいんだ。
絵で想いを伝えるべき相手はあの星ではない。
裕也は目を覚ました。
窓の外を見ると西の低い空は淡い橙黄色をしていた。
そこから上に向かって徐々に赤が濃くなり紫を経て青墨の夜空へと変わっていく。
この星にはこんなに綺麗な色が溢れてたんだな……。
『普通の絵はこんなに綺麗なのに……』
あの時の言葉はそう言う事だったのだ。
あの星の呪縛に捕らわれて何も見えてなかった。
謝ろう。
裕也は仕舞ってあった理沙の肖像画を取り出した。
唯一裕也が描いた人物画だ。
理沙と会わなくなってしばらく経ってから描いたものである。
受け取ってくれるだろうか。
それ以前に口を利いてもらえるだろうか。
裕也は首を振った。
許してくれなくても仕方ない。
まずは謝らなければ許してもらうことも出来ないのだ。
絵を抱えると理沙の家に向かって歩き出した。
完
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