影の弾正台と秘密の姫

月夜野 すみれ

文字の大きさ
33 / 47

冬 二

しおりを挟む
「姫様、外へ!」
 侍女がそう言って織子を牛車の外に突き飛ばす。
 織子は牛車から転がり落ちた。
 目の前に地面が迫ってくる。

 ぶつかる!

 織子は目をつぶった。

 だが、いつまでたっても衝撃はない。
 誰かが受け止めてくれたのだ。
 目を開けようとした時、顔の上に御簾が落ちてきた。

 受け止めてくれた人が織子を地面に下ろす。

御簾それを取るなよ!」
 と言う男の人の声がした後、叫び声や金属がぶつかるような音が聞こえてきた。

 織子は恐ろしさに目をつぶった。

「伏せろ!」
 不意に遠くから声がした。

 誰かに地面に押し倒された。
 その誰かが上に被さっている。
 そして風を切る音がたくさん聞こえ、周りで男の人達の叫び声が上がる。

 何が起きているか分からないまま織子は怖くて泣き出した。

 織子が泣いていると、
「お小さいようですし、歌でも歌って差し上げては」
 と言う声が聞こえた。
 いつしか辺りは静かになっていた。

「歌ねぇ……」
 助けてくれた男の人がそう言ったかと思うと、
秋萩あきはぎに 鹿ぞな鳴きそ 妻を恋ふ 涙のつゆで 枝が折れなむ」
 と歌を詠んだ。

「違うだろ!」
 別の男の人の声がした。
「え……?」
「こういうときに歌って言ったら子守唄とかだろうが!」
「そこまで小さくないだろ」
「歌のやりとりするような年でもないだろ!」
「…………」

 な泣きそ……。

(泣かないで……)

「どうか、泣かないでおくれ」
 その人はそう言うと、こちらに身を乗り出して頭を撫でながら歌を詠んだ。

白浪しらなみの 織姫おりひめな泣きそ かささぎの 橋ぞ流るる あふる涙に」

(泣かないで、かささぎが架けた橋が流れてしまうよ)

 あれは……。

……様……」
 織子の身体の震えが止まった。

つゆ散らす 萩のゆらす 玉垂たまだれに おぼゆる人を うつらましかば」

(萩の枝に宿っている露が懐かしい人を写して見せてくれればいいのに)

 織子は思わず口にしていた。

 その時、
「ご無事ですか?」
 また別の男の人の声がした。

 一体何人いるのかしら……。

 織子が首を傾げる。
 牛車の中から覗いた時は建物もろくにない場所に見えたのに。

「ああ、助かった」
 助けてくれた人がそう答えたが、
「姫様?」
 と男の人が言った。

 織子は頭から御簾を取るとおそるおそる顔を上げた。
 見慣れた姿に安心する。
 この男性は知らないが、冠においかけ、衣裳は位襖いおうという武官が着用する束帯そくたいと言う出で立ちだった。
 位襖を着ているということは随身だ。

「ご無事ですか?」
 随身が再度声を掛けてくる。
 織子は頷いた。

「ではこちらへ」
 浅緋あさきあけの位襖を着ている随身がそう言うと、下馬した深緑の位襖の随身が近付いてきて織子を馬に乗せた。


「姫様……。姫様……」
 深夜、織子は侍女に起こされた。
「どうしたの?」
「お静かに」
 侍女が声を潜めて言った。

「このまま都へ入るのは危のうございます。いつ、昼間のようなことがあるともしれませぬ」
「でも、どうすれば……」
 行くあてなどない。
 都に織子が知っている人は誰もいない。

「姫様のご親戚のところへお向かいください」
「……私が行くことをご存じなの?」
「はい、お知らせしてあります。お送り致しますのでこちらへ……」
 織子は侍女に連れられて邸の外に出た。

 親戚の邸に着くとそこへ織子を連れてきた侍女はどこかへ行ってしまった。
 そして織子は母の妹の養女になった。


 朝――


 織子は目を覚ました。

 昨日、ヘビを見たから昔のことを思い出したのかしら……。

 織子が都に来る前に住んでいたところではヘビは神の使いとされていたのだ。



「浮かれてるな」
 隆亮が言った。
「大姫とつつじの君は別人だったんだ」
 貴晴は隆亮につつじの君と会った時の話をした。

「牛車を止めた?」
「ああ。ヘビが怖いのに神様の使いだからかないでくれって。優しいよな」
「それで、ぽーっとなってたのか」
 隆亮が笑う。

 なんとでも言え……。

 妻が二人もいる隆亮からしたら可笑おかしいのかもしれないが――。
 大姫は間違いなく歌会に出ていたと言うからつつじの君とは別人だと分かったのだ。

「あのヘビのお陰でつつじの君と再会出来たし、確かに神様の使いかもしれないな」
「つまり大姫が入内してもつつじの君がいるって事か」
「人聞きの悪い言い方をするな」
 貴晴はそう言ってから、
「つつじの君も姫って呼ばれてたが、大姫の妹なのか?」
 と続けた。

「さぁ?」
 隆亮はそう言って首を傾げた後、
「しかし、私が泊まりに来ると襲撃がないんだな」
 と言った。

 そういえば、ずっと襲撃がなくて来たのは隆亮がいなかった晩だ。

 こいつ戦うの好きだな……。
 そもそも知り合ったのも戦ってるところに入ってきたからだし……。

「歌を送ってきたのも謎だしな」
 貴晴が答える。
「歌?」
「襲撃予告をしてきたんだ」
 貴晴は歌を見せた。

〝望月の 沈む山の をぐるまの にしきの紋の 門はくかと〟

「…………」
 歌を見た隆亮が黙り込む。
「どうかしたか?」
 貴晴が訊ねた。

「これは予告じゃないんじゃないか?」
「え?」
「これは『錦』と『西』を掛けてるんじゃないか? で、丑の刻に西の門を開けろって意味じゃないのか? 多分、姫との逢引を手引きしている侍女に送ったんだろ」

『をぐるまの』は枕詞まくらことばで『にしき』、『わかれ』、『うし』は被枕ひまくら(枕詞の直後に来る言葉)なのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?

akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。 今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。 家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。 だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?

処理中です...