45 / 47
哀傷
しおりを挟む
「弾正台が弾劾できるのは官人だけ――」
貴晴が言った。
女御は官人ではない。
「――その官人も左大臣までです」
貴晴が言葉を続ける。
左大臣より上の太政大臣や摂政、関白は弾劾できない。
妃は左大臣どころか太政大臣や摂政、関白よりも上である。
女御は妃の中で最も身分が高い。
一番身分が高いのは皇后だが、その皇后も女御の中から立てられるのだ。
女御というのはそれくらい身分が高い。
「女御よりも身分が高ければ問題がないであろう」
と言った帝に、
「それは帝くらいでしょう」
貴晴が言葉を返す。
流罪にされても仕方がないくらい無礼な物言いだがどうせつつじの君と結ばれることが出来なかったら出家しようと思っていたのだ。
つつじの君の入内は決定してしまっているようだし……。
流された先で出家しよう……。
死罪がないからどれだけ重い罪でも流罪なのだ。
罪の重さに応じて流される先が遠くなると言うだけで。
どんな鄙びたところだろうと寺くらいあるだろう。
貴晴は都に執着はないから鄙びた地で歌を詠みながら暮らすのも苦にならない。
「春宮もだ。次の帝だからな。だから、そなたを弾正台に補したのだ」
「ご冗談でしょう」
「織子は春宮が即位する前に内裏に戻ることになる。女御をそのままにしておいたら心配ではないか」
「卑怯でしょう! 私からつつじの君を取り上げておいて……!」
内親王は親王か四世までの王にしか嫁げない。
例外的に臣籍降嫁することはあるが公卿の中でも特に身分が高い貴族――摂関家の大臣の息子でもない限りあり得ない。
「取り上げてはいない。春宮への入内は決まったが相手が今の春宮とは……」
「主上!」
思わず声を荒げると祖父が咎めるような視線を向けてきた。
「お伺いしても?」
貴晴はなんとか声を抑えて訊ねた。
「構わぬ。話せ」
「なぜ私を春宮に? 春宮に母である女御を弾劾させるのは忍びないとか、他の貴族の手から守りたいとかいうことでしたら……」
「……女御は皆、貴族が送り込んできた妃だ。更衣も、尚侍も御匣殿も……」
『女御と更衣はともかく、尚侍と御匣殿は女官(使用人)なのだから当たり前でしょう』と言いたいのをかろうじて堪えた。
尚侍と御匣殿は妃みたいなものとして扱われる、というか、少なくとも娘を出仕させる親は帝の手が着いて子供が出来るのを期待しているが本来は帝の世話をする女官なのである。
「朕が自ら選べた者は誰もいない」
帝の言葉に、
私の母のことも自ら望んだわけではないとでも言うつもりか!
貴晴はそう怒鳴り付けそうになるのを必死で堪えた。
実際、手を付けても女官にすらせず、身籠もったと知るや父に押し付けたのはそういう事なのだろう。
帝にとって母は選んだうちにも入らない取るに足らない女だったのだ。
「せめて春宮だけは自ら選びたいのだ」
「そんな理由で!?」
「貴晴! 言葉が過ぎるぞ!」
祖父から叱責が飛ぶ。
貴晴は頭痛を覚えた。
選ぶと言っても親王宣下されている皇子で存命中なのは一人だけ。
その親王が嫌だとなれば残るは外で作った隠し子しかいない。
まさか、そんなしょうもない理由だったなんて……。
頭痛どころの騒ぎではない――。
眩暈がする……。
「春宮に何か問題があるわけでもなく、私が春宮よりも秀でているというわけでもなく……」
「お前にはなんの実績もないだろう。歌が少々得意というだけで」
祖父が言った。
悪かったな……。
本当のことだから反論のしようがないのだが――。
言い訳になるが十八で突出した実績を作るのは誰にでも出来ることではない。
それでも、大きな仕事を任せてもらえるような職掌(仕事)ならなんとかなるかもしれないが、貴晴は一応貴族を名乗れる程度だから官職があったとしても下働きみたいな仕事しか与えられないだろう。
それで十八歳までに突出した実績を作れるほど有能だなどとは自惚れていない。
今回の弾正台が初めてした仕事だから、別の仕事を与えられていたら何かすごい才能を発揮して途轍もない実績を作る、という可能性もなくはないだろうが……。
まぁないな……。
内裏から帰る途中の牛車の中は沈黙に包まれていた。
隆亮は、貴晴に何かあったと察してくれたのか、いつもの軽口を叩かず黙っている。
貴晴が溜息を吐いた時、牛車が止まった。
前簾の隙間から覗くと前に青い糸毛車が止まっている。
追い越すわけにはいかないので貴晴の牛車も止まったらしい。
糸毛車というのは四位以上の檳榔毛の車よりも更に身分が高い者が乗る牛車で、身分によって車体の色が違う。
青糸毛は皇后と春宮だが、妃でも更衣や尚侍などは紫糸毛だ。
今、皇后はいない。
春宮が乗っている可能性がなくもないが……。
「早く麻呂を連れてきなさい!」
車の中から女性が大声を上げ、随身らしい官人達が猫を追い掛けて走り回っている。
麻呂……?
だとしたら、あの牛車に乗っているのは女御か……!?
貴晴が言った。
女御は官人ではない。
「――その官人も左大臣までです」
貴晴が言葉を続ける。
左大臣より上の太政大臣や摂政、関白は弾劾できない。
妃は左大臣どころか太政大臣や摂政、関白よりも上である。
女御は妃の中で最も身分が高い。
一番身分が高いのは皇后だが、その皇后も女御の中から立てられるのだ。
女御というのはそれくらい身分が高い。
「女御よりも身分が高ければ問題がないであろう」
と言った帝に、
「それは帝くらいでしょう」
貴晴が言葉を返す。
流罪にされても仕方がないくらい無礼な物言いだがどうせつつじの君と結ばれることが出来なかったら出家しようと思っていたのだ。
つつじの君の入内は決定してしまっているようだし……。
流された先で出家しよう……。
死罪がないからどれだけ重い罪でも流罪なのだ。
罪の重さに応じて流される先が遠くなると言うだけで。
どんな鄙びたところだろうと寺くらいあるだろう。
貴晴は都に執着はないから鄙びた地で歌を詠みながら暮らすのも苦にならない。
「春宮もだ。次の帝だからな。だから、そなたを弾正台に補したのだ」
「ご冗談でしょう」
「織子は春宮が即位する前に内裏に戻ることになる。女御をそのままにしておいたら心配ではないか」
「卑怯でしょう! 私からつつじの君を取り上げておいて……!」
内親王は親王か四世までの王にしか嫁げない。
例外的に臣籍降嫁することはあるが公卿の中でも特に身分が高い貴族――摂関家の大臣の息子でもない限りあり得ない。
「取り上げてはいない。春宮への入内は決まったが相手が今の春宮とは……」
「主上!」
思わず声を荒げると祖父が咎めるような視線を向けてきた。
「お伺いしても?」
貴晴はなんとか声を抑えて訊ねた。
「構わぬ。話せ」
「なぜ私を春宮に? 春宮に母である女御を弾劾させるのは忍びないとか、他の貴族の手から守りたいとかいうことでしたら……」
「……女御は皆、貴族が送り込んできた妃だ。更衣も、尚侍も御匣殿も……」
『女御と更衣はともかく、尚侍と御匣殿は女官(使用人)なのだから当たり前でしょう』と言いたいのをかろうじて堪えた。
尚侍と御匣殿は妃みたいなものとして扱われる、というか、少なくとも娘を出仕させる親は帝の手が着いて子供が出来るのを期待しているが本来は帝の世話をする女官なのである。
「朕が自ら選べた者は誰もいない」
帝の言葉に、
私の母のことも自ら望んだわけではないとでも言うつもりか!
貴晴はそう怒鳴り付けそうになるのを必死で堪えた。
実際、手を付けても女官にすらせず、身籠もったと知るや父に押し付けたのはそういう事なのだろう。
帝にとって母は選んだうちにも入らない取るに足らない女だったのだ。
「せめて春宮だけは自ら選びたいのだ」
「そんな理由で!?」
「貴晴! 言葉が過ぎるぞ!」
祖父から叱責が飛ぶ。
貴晴は頭痛を覚えた。
選ぶと言っても親王宣下されている皇子で存命中なのは一人だけ。
その親王が嫌だとなれば残るは外で作った隠し子しかいない。
まさか、そんなしょうもない理由だったなんて……。
頭痛どころの騒ぎではない――。
眩暈がする……。
「春宮に何か問題があるわけでもなく、私が春宮よりも秀でているというわけでもなく……」
「お前にはなんの実績もないだろう。歌が少々得意というだけで」
祖父が言った。
悪かったな……。
本当のことだから反論のしようがないのだが――。
言い訳になるが十八で突出した実績を作るのは誰にでも出来ることではない。
それでも、大きな仕事を任せてもらえるような職掌(仕事)ならなんとかなるかもしれないが、貴晴は一応貴族を名乗れる程度だから官職があったとしても下働きみたいな仕事しか与えられないだろう。
それで十八歳までに突出した実績を作れるほど有能だなどとは自惚れていない。
今回の弾正台が初めてした仕事だから、別の仕事を与えられていたら何かすごい才能を発揮して途轍もない実績を作る、という可能性もなくはないだろうが……。
まぁないな……。
内裏から帰る途中の牛車の中は沈黙に包まれていた。
隆亮は、貴晴に何かあったと察してくれたのか、いつもの軽口を叩かず黙っている。
貴晴が溜息を吐いた時、牛車が止まった。
前簾の隙間から覗くと前に青い糸毛車が止まっている。
追い越すわけにはいかないので貴晴の牛車も止まったらしい。
糸毛車というのは四位以上の檳榔毛の車よりも更に身分が高い者が乗る牛車で、身分によって車体の色が違う。
青糸毛は皇后と春宮だが、妃でも更衣や尚侍などは紫糸毛だ。
今、皇后はいない。
春宮が乗っている可能性がなくもないが……。
「早く麻呂を連れてきなさい!」
車の中から女性が大声を上げ、随身らしい官人達が猫を追い掛けて走り回っている。
麻呂……?
だとしたら、あの牛車に乗っているのは女御か……!?
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?
akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。
今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。
家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。
だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる