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EP01「出会いと再会」

SCENE-015(Side S) >> 灰猫屋

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「不安にさせてごめんね」
 脱がせるときはあっという間だった服をゆっくりと着せ直してから。私を抱えたまま立ち上がったレナードが、カバーをかけられたままのベッドへごろりと横になる。

 私を慰めるというより、自分の方が慰めて欲しそうにレナードが擦り寄ってきたせいか、長椅子より余程それらしい場所で男の腕に囚われている事実は、さして気にならなかった。

 体を許すつもりがないなら節度のある距離感を保った方がお互いのためなのでは……と、思わなくもない。けれど、それを言ったところでレナードが素直に頷くとも思えないし、レナードが手を出してこないなら、このまま居心地の良い腕の中に居続けたいと思ってしまう現金な私もいて。
「不安というか……」
 擦り寄ってくるレナードの背中にやんわり腕を回すと、私を抱きしめる腕の力がぎゅうっ、と強くなった。
 ほんの少し苦しいくらいだった締め付けが僅かに緩んでも、長くしなやかな尻尾が、私を逃がすまいとでもするよう巻きついてくる。
「嫌な気分にさせた? どっちでもそんなに変わらないよ。御主人はフィオレで、獣人でもないんだから、俺たちのことがわからないのは当たり前。体目当てだと思われたのは、最初にができなかった俺の自業自得だし」

(それはそう)
 だけど本当は、真夜中の天幕で目覚めたあの時、形振り構わなければ、私にだって自分の身を守るくらいのことはできた。
 それをしなかった時点で、レナードのは成立している。
 だから本当は、昨夜の出来事について、レナードのことを非難したり、不満を抱いたりする資格が、私にはない。

「本当にごめんね。御主人が嫌がってるのに無理矢理なんて、もう絶対にしない。御主人のことを一番に考えるって約束する。だから、だから……」
 肝心なことを黙って被害者面している私に比べたら、こうして謝ってくれているレナードの方がよっぽど誠実だ。
「フィオレを見つけたベスティアの、あれが正常な行動……なんてことはないのよね?」
 この様子だと、私が許すと言ってもレナードは納得してくれないだろうから。私がレナードのことを許してもいい理由が欲しくて、尋ねると。
「うーん……」
 思いがけず、レナードが考え込むような素振りを見せたから、今度は別の意味で不安になってくる。
「下に黒狼のフィオレがいるのよね? もし誘拐強姦監禁事案だったら、さすがに見過ごせないんだけど……」
「あぁ、そっちの心配? それなら大丈夫だと思うよ。ジルベルトはまだ余裕があったはずだから」
「……って?」
 首を傾げた私の視界が、やんわりと顔を押しつけられたレナードの胸元で埋まる。
「たとえばの話だけど、そのベスティアが狂乱寸前……フィオレのいない状態が長すぎて、もうほとんどおかしくなってたとしたら…………最初だけは、大事なフィオレの体を傷付けないようにするのが精一杯で、心の方までは手が回らなかったりするかもね」
 冗談めかして言おうとしたのだろうけど、レナードの声は後悔に満ちていて、たとえ話と誤魔化すには無理があった。
「でも、どんな理由があったとしても、フィオレに無理強いするようなベスティアは最低の部類だから、御主人は俺に怒っていーよ」
 そう言われてはいそうですかとレナードに怒りを向けられるほど、私も面の皮が厚くはない。
「今は、もう大丈夫なの?」
「んー? たとえばの話だよ? どんなに壊れかけたベスティアだって、フィオレの傍にいれば大丈夫。……体を繋げて、花女神に祝福されたフィオレの魔力を啜れば啜るほど頭がはっきりしてくるから、じわじわと後悔がやばいけど」
「それは……」
 やっぱり「あれは合意も同然だった」と、そう白状してしまおうか。

 喉元まで出かかった言葉を押し込めるよう、私を抱きしめる腕の力がまた強くなる。

「俺の一等大事でかわいいフィオレ。あんたがジルベルトのやつに挨拶したいって言うなら、もちろんそうしてくれて構わないよ。だけど、俺より先にあいつに名乗ってよろしくされたら哀しいな」

「え……?」
 今度こそ、ちゃんと冗談めかした声音の懇願に、頭の中が真っ白になった。


                                    
「名乗って、ませんでしたっけ……?」
「なんで敬語? 逆に聞くけど、この流れで俺が御主人の名乗りを聞き逃してるとか、ありえると思う?」
「いやあ……」
 まぁないだろうなと思いつつも、素直に頷いてしまうのは憚られた。

(私が誰だかわかったから呼びで揶揄ってるんだと思ってた……はっず……よく考えたら全然そんなわけなかったわ。自意識過剰すぎて死にたい……どこかに埋まって、できることならそのまま消えてしまいたい……)
 羞恥のあまり、自分でもわかるほど赤くなった顔を隠そうとすると。さっきまであんなに私のことをぎゅうぎゅう締め上げて少しも離れようとしなかった腕が途端に緩み、掬い上げるよう顎のラインへ沿わされたレナードの手が、私に顔を上げるよう促してくる。
「俺はてっきり、御主人が俺の仕打ちに怒ってるから名前も教えて貰えないんだと思ってたのになー? 当の御主人はうっかり忘れてただけなんて、むしろ罰として意地悪されてた方がまだマシだったかもしれない。御主人にとって、俺なんて名乗ったかどうかもどうでもいいくらいの相手でしかないってことだもんねぇ?」
「うぅっ……その節は、まことに申し訳なく……」
 自分の思い違いが恥ずかしいのと、レナードに申し訳がないので真っ赤になった私が目を潤ませると、さっきまでのしょぼくれ具合はどこへやら。すっかり調子を取り戻したレナードが、べろりと遠慮無く目元を舐めてきた。
「だからなんで敬語? 俺に畏まる必要なんてないから、さっさと名前を教えてよ。そしたら、ジルベルトのところにも連れて行ってあげるからさ」
 この期に及んで私の希望を叶えようとしてくれるレナードに対して、さすがにあんまりな仕打ちをしたという自覚はある。
 私はひとまず自分の羞恥に蓋をして、ブラウスの首元から冒険者ギルドの認識票を通している鎖を引っ張り出した。

「偽名でも通称でも、この際なんだって構わないから、御主人の口から聞かせてほしいんだけど?」
「あのですね……あのね、見てほしいのは、こっちの方」
 思わず畏まりそうになる言葉をなんとか崩して、認識票と同じ鎖に通したコインを差し出すと、レナードは猫らしく丸っこい目をぱちくりさせた。
「灰猫屋のコイン……常連だけがもらえるっていう通行証だよね? それが何?」

(この反応……本当に気付いてなかったんだ)
 普段は部外者を入れない天幕の中には作りかけの商品も雑に散らばっていたし、何より私の装備品は全て灰猫屋の一点物だから、目端の利く相手なら一目で私を店の関係者だと看破する。――というのは、どうやらとんだ思い上がりだったらしい。
(銀猫ほどの冒険者からは全然相手にされてないってことか……地味にへこむなぁ)
 胸の内ではひっそりと溜め息を吐きながら。私はいついかなる時でも即座に出てくる商売用のお愛想で、にっこりとレナードに笑って見せた。

「改めて、はじめまして。私が灰猫屋の店主……の、ジーナです」
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