追放されましたが、辺境で土壌改革をしたら領民からの感謝が止まりません。~今更戻ってきてと言われても、王都の地盤はもうボロボロですよ?~

水上

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第5話:肥料という名の宝石

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 ヴォルガード領に来てから二週間。
 私は領内の牧場を視察していた。
 そこで目にしたのは、肋骨が浮き出るほど痩せた牛や、羽毛の艶がない鶏たちの姿だった。

「……負の連鎖ですね」

 私は手帳に数値を書き込みながら呟いた。
 牧場長である初老の男性が、申し訳無さそうに頭を下げる。

「すまねぇ、嬢ちゃん。干し草が足りなくてな。この辺の草は硬くて栄養がねぇんだ」

「ええ、分かります。土壌が痩せているから牧草の栄養価が低い。それを食べた家畜は育たず、排泄される堆肥の質も悪くなる。その質の悪い堆肥をまた畑に撒く……。これでは永遠に土は肥えません」

 これは貧困の悪循環の農業版だ。
 どこかでこのサイクルを断ち切らなければならない。
 私は眼鏡を押し上げ、即座に計算式を組み立てた。

「まずは家畜の餌を変えましょう。と言っても、高級な飼料を買う予算はありませんよね?」

「ああ。俺たちの食い扶持だけで精一杯だ」

「ならば、森へ行きます。この時期、森の奥に自生しているクローバーがあるはずです。あれはマメ科植物で、根粒菌による窒素固定能力が高い。タンパク質も豊富です」

 私は牧場主たちに、採取すべき野草リストと、それを発酵させて作る発酵飼料のレシピを渡した。

「これを食べさせれば、家畜たちの消化吸収率が上がり、排泄物の成分が変わります。その排泄物を私が調整し、最高の完熟堆肥に作り変えます」

「は、はぁ……、牛の糞が、そんなに大事なのか?」

「大事ですとも! それは土にとってのご飯です。ダイヤモンドより価値があります!」

 私が力説すると、牧場の人々はポカンとしていた。

 その日の夕方。
 屋敷の執務室で土壌改良の計画書をまとめていた私の元へ、アレクシス様がやってきた。
 彼の後ろには、重そうな木箱を抱えた従者が控えている。

 アレクシス様は、いつも以上に真剣な、鬼気迫る表情をしていた。
 眉間の皺が深い。
 何か重大なトラブルでも起きたのだろうか?

「セレナ。……これを受け取ってくれ」

 彼が顎でしゃくると、従者が恭しく木箱を机の上に置いた。

 重厚なオーク材で作られた、素晴らしい細工の箱だ。
 王都なら、最高級のドレスや宝飾品が入っているレベルの代物である。

「閣下、これは……?」

「隣国との交易ルートを持つ商人に無理を言って、最優先で取り寄せた。かなり値が張ったが、お前になら相応しいと思ってな」

 アレクシス様が、少し顔を背けながら言う。

 耳が赤い。
 えっ、まさか。
 これは所謂、贈り物?

 まだ出会って間もないのに? 
 しかもこんな高価そうな……。

「開けてみろ」

 促され、私はゴクリと喉を鳴らして蓋に手をかけた。

 中身は何だろう。
 私の研究を評価してくれた彼のことだ、きっと実用的なものに違いない。

 最新鋭の顕微鏡? 
 それとも稀少な薬草の標本?

 期待に胸を膨らませ、私は蓋を開けた。

「……!」

 箱の中から漂ってきたのは、私にとっては懐かしく芳しい発酵臭だった。
 詰められていたのは、乾燥してサラサラになった、茶褐色の粒状の物体。

 私は震える手でそれを一掴みし、鼻を近づけ、そして歓喜の声を上げた。

「こ、これは……、まさか、最高級の乾燥鶏糞ですか!?」

 従者とメイドたちが「えぇ……」とドン引きする気配が背後でした。
 しかし、私はそれどころではない。

「素晴らしい……! この色、この匂い! 完全に発酵・乾燥されており、雑菌や寄生虫の心配がありません! しかも見てください、この粒の揃い方!」

 私は興奮してアレクシス様に詰め寄った。

「隣国の王室御用達養鶏場のものですね!? 穀物飼料だけで育てた鶏の糞は、窒素・リン酸・カリのバランスが黄金比と言われています……! ああ、なんてこと! これがあれば、痩せたヴォルガードの土地の初期ブーストに最適です!」

「……気に入ったか」

「はい! ありがとうございます、閣下! 宝石をもらうより一万倍嬉しいです!」

 私は満面の笑みで、鶏糞の詰まった箱を抱きしめた。
 アレクシス様は、フッと口元を緩めた。

「そう言うと思った。宝石など食えんし、土も肥やさんからな」

「その通りです! ああ、早速成分分析をして、明日からの配合計画に組み込みます!」

 陰で見ていた使用人たちの声が聞こえてきた気がした。

「えぇ……、宝石より鶏の糞で喜ぶ令嬢、初めて見た……」

「しかも閣下もドヤ顔だぞ……」

「お似合い、なのか……?」

 その夜。

 夕食を終えた私が、自室で研究ノートを整理していると、再びノックの音がした。
 アレクシス様だ。
 手には、小さなボウルとタオルを持っている。

「まだ起きているのか」

「はい。今日のデータをまとめておりまして」

「……手を出せ」

 唐突な命令に、私はキョトンとした。

 しかし逆らう理由もないので、両手を差し出す。
 私の手は、日中の作業で泥にまみれ、石灰や薬品を扱ったせいで指先がカサカサに荒れていた。

 爪の甘皮もささくれている。
 王都の令嬢が見れば悲鳴を上げるような、生活感丸出しの働く手だ。

「汚れていますわ、閣下。お見苦しいものを……」

「馬鹿を言うな」

 アレクシス様は私の言葉を遮り、私の手を引いてソファに座らせた。
 そして、持ってきていたボウルの中身――淡い黄金色のクリーム状のもの――を指ですくい、私の手の甲に乗せた。

 甘い蜂蜜と、爽やかなオリーブの香りが広がる。

「これは……?」

「厨房にあった特級オリーブオイルと蜜蝋、それに抗炎症作用のあるカモミールを混ぜて精製した。俺の特製だ」

「えっ、手作りですか? しかも食用レベルの材料で……」

「口に入っても安全なものしか肌に塗るな。それが俺の信条だ」

 彼はそう言うと、私の手にクリームを塗り込み始めた。
 大きく、熱いくらいに温かい手が、私の冷えた指先を包み込む。
 無骨な見た目とは裏腹に、そのタッチは驚くほど繊細だった。

「っ……」

 指の関節一つ一つ、爪の先まで、丁寧にマッサージするように塗り込んでいく。
 荒れた皮膚に油分が染み渡り、ジンジンとした熱が広がる。

「お前の手は、この領地を救うために必須だ。メンテナンスを怠るな」

 アレクシス様は私の目を見ずに、淡々と作業を続ける。

「錆びた鍬では畑は耕せん。それと同じだ。……痛むか?」

「いえ……、とても、気持ちいいです」

 嘘ではない。
 でも、それ以上に心臓がうるさかった。

 彼の指が私の掌を滑り、指の股をなぞるたびに、背筋がゾクゾクする。
 これは単なるメンテナンスのはずなのに。
 どうしてこんなに、守られているような、大切にされているような気分になるのだろう。

 王都にいた頃、ヘリオス殿下は私の手を見て「ガサガサだな。手袋をして隠してくれ」と言った。
 でも、この人は違う。
 荒れた肌ごと肯定し、ケアしてくれる。

「……よし。これで明日の作業効率も落ちんだろう」

 数分後、私の手はしっとりと潤い、健康的な艶を取り戻していた。
 アレクシス様は満足げに頷く。

「ありがとうございます、閣下。最高のメンテナンスでした」

「礼には及ばん。……お前が倒れたら、俺が困るだけだ」

 彼はぶっきらぼうに言い捨てて、部屋を出て行った。
 残された部屋には、蜂蜜とオリーブの優しい香りが漂っていた。

 私は自分の手を見つめ、そっと胸に当てた。
 頂いた鶏糞と、このハンドクリーム。
 どちらも色気とは無縁のアイテムだけれど、私にとってはどんな愛の言葉よりも、深く心に染み渡る信頼の証だった。

「……頑張らなきゃ」

 この手が、この人が守ろうとしてくれるこの領地を、絶対に黄金の実りで満たしてみせる。
 私はそう誓い、潤った手でペンを握り直した。

 窓の外では、月明かりがヴォルガードの荒野を静かに照らしていた。
 その土の下で、微生物たちが活動を始めようとしているのを、私は確信していた。
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