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第11話:最高の収穫期
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王太子ヘリオス殿下とリリィ男爵令嬢が王都へ逃げ帰った後、彼らを待っていたのは厳しい現実だった。
周辺諸国との同盟の破棄と国内経済の破綻。
その責任を問われ、ヘリオス殿下は廃嫡、リリィ男爵家は取り潰しとなったらしい。
もっとも、それは今の私には関係のないことだ。
私の目の前には、彼らの末路よりも遥かに重要で、輝かしい光景が広がっているのだから。
「――よし。発芽率98%。完璧な立ち上がりです」
ヴォルガード領に、二度目の春が訪れていた。
かつて死の土地と呼ばれた荒野は、今や見渡す限りの黄金色――いや、まだ若い緑色の麦畑へと姿を変えていた。
風が吹くたび、柔らかな緑の波がさざめく。
それはどんな宝石よりも美しく、私の胸を震わせる。
「セレナ、こっちだ。以前提案していた新しい肥料の試作品ができた」
畑の向こうから、アレクシス様が手招きしている。
私は小走りで彼の元へ向かった。
アレクシス様が差し出したのは、粗末な麻袋だった。
中に入っていたのは、白くて細かな破片と、乾燥した繊維質の粉末。
「これを使え」
「こ、これは……、厨房から出た卵の殻と野菜くずですか!?」
私は粉末を手に取り、まじまじと観察した。
卵の殻は細かく粉砕され、野菜くずは完全に乾燥処理されている。
「乾燥させて粉砕しておいた。捨てればゴミだが、お前に渡せば宝になるんだろう?」
アレクシス様が、少し照れくさそうに鼻をこする。
私は感動で胸がいっぱいになった。
これはただの生ゴミ処理ではない。
彼が有機資源の循環という私の理論を完全に理解し、自ら実践してくれた証拠だ。
「もちろんです! 卵の殻はカルシウム満点、野菜くずはミネラルの塊! 素晴らしい緩効性肥料になります!」
「……そうか。なら、撒くぞ」
「はい!」
私たちは並んで畑に入った。
春の日差しは暖かく、土はふかふかと柔らかい。
夢中で作業をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
ふと気づけば、太陽は中天にあり、お腹の虫が小さく鳴いた。
「休憩にするか」
手を洗ったアレクシス様が木陰のベンチに腰を下ろし、バスケットを開けた。
中には、彼特製の分厚いサンドイッチが入っている。
「私も手を洗ってきますので、お先にどうぞ」
「待て」
手を洗いにいこうとした私を、アレクシス様が制止した。
「少し暖かくなってきたとはいえ、まだ水は震えるほど冷たいぞ」
彼は真顔で言った。
「冷え性なお前の体温を下げず、効率的にカロリーを摂取する方法がある」
「……はぁ。そんな方法があるなら合理的だとは思いますが」
「簡単だ。こうすればいい」
アレクシス様はサンドイッチを一つ手に取り、私の口元に差し出した。
「口を開けろ」
「えっ?」
「俺の手は綺麗だ。お前はただ咀嚼と嚥下に集中すればいい。これが最も効率的な栄養補給プロセスだ」
……なるほど。
言っていることは極めて論理的だ。
そこに羞恥心という非合理な感情を挟む余地はない。
……ないはずだが、なぜか私の体温が上昇している気がする。
「理解しました。では、補給をお願いします」
私は意を決して口を開けた。
アレクシス様が、具沢山のサンドイッチを私の口に運ぶ。
シャキシャキのレタス、ジューシーなベーコン、そして甘いトマト。
「ん……、美味しい……!」
「そうか。次はこっちだ」
咀嚼が終わる絶妙なタイミングで、次の一口が運ばれてくる。
周囲から見れば、強面の領主様が、膝に乗せた令嬢に「あーん」をしている激甘な光景だろう。
だが、私たちは真剣だ(正直、もうよくわからないが)。
「……ふぅ。補給完了です。ご馳走様でした」
「うむ。いい食いっぷりだった」
アレクシス様は満足げに頷き、自分の分のサンドイッチを頬張った。
そして、私の口元についたパン屑を、親指でそっと拭った。
「……っ」
その指の感触に、心臓が跳ねる。
効率重視の食事だったはずなのに、後味はとろけるように甘かった。
夕暮れ時。
全ての作業を終えた私たちは、夕日に染まる丘の上に立っていた。
眼下に広がるのは、私たち二人で再生させたヴォルガードの農地。
かつては灰色だった大地が、今は豊かな緑と、実りを予感させる生命の色に満ちている。
風が吹き抜け、汗ばんだ肌を冷やす。
私の顔も、手も、ドレスも泥だらけだ。
王都の令嬢が見たら卒倒するような姿だろう。
でも、今の私は、かつてのどの瞬間よりも満たされていた。
「……美しいな」
隣で、アレクシス様がぽつりと呟いた。
私は視線を畑に向けたまま頷いた。
「はい。この麦の生育状況、素晴らしいですね。窒素バランスが完璧な証拠です」
「違う」
アレクシス様が、私の顎に手を添え自分の方に向けさせた。
夕日を背負った彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「花じゃない。麦でもない。……泥だらけになって笑っている、お前の顔のことだ」
「――!」
思考が停止した。
私の顔?
泥だらけの?
分析しようとしたが、脳内のデータベースに該当する評価基準がない。
ただ、顔が一気に熱くなり、胸が締め付けられるような幸福感が押し寄せてくる。
「か、閣下……、それは、その……」
「アレクシスだ」
「え?」
「仕事は終わりだ。今は上司と部下じゃない。……名前で呼べ」
彼はそう言うと、泥だらけの私の手を、自分の大きな手で包み込んだ。
汚れることも厭わず、宝物のように大切に。
「……アレクシス様」
名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに目を細め、ゆっくりと顔を近づけてきた。
私は目を閉じた。
唇に触れたのは、柔らかな温もりだった。
「……愛しているぞ、セレナ」
「……私もお慕いしております」
私たちは額を合わせ、笑い合った。
王都での私は、評価されない苛立ちと孤独の中にいた。
でも今は違う。
私を必要としてくれる場所がある。
泥だらけの手を握ってくれる人がいる。
「腹も減ってきたし、帰ろう。今日は特製のシチューだ」
私たちは手を取り合い、家路についた。
愛だの恋だので作物は育たない。それは事実だ。
けれど、適切な土壌と、信頼できるパートナーがいれば、人生という名の畑には、想像以上に甘くて大きな愛の実がなるらしい。
私の人生、これからが間違いなく――最高の収穫期だ。
周辺諸国との同盟の破棄と国内経済の破綻。
その責任を問われ、ヘリオス殿下は廃嫡、リリィ男爵家は取り潰しとなったらしい。
もっとも、それは今の私には関係のないことだ。
私の目の前には、彼らの末路よりも遥かに重要で、輝かしい光景が広がっているのだから。
「――よし。発芽率98%。完璧な立ち上がりです」
ヴォルガード領に、二度目の春が訪れていた。
かつて死の土地と呼ばれた荒野は、今や見渡す限りの黄金色――いや、まだ若い緑色の麦畑へと姿を変えていた。
風が吹くたび、柔らかな緑の波がさざめく。
それはどんな宝石よりも美しく、私の胸を震わせる。
「セレナ、こっちだ。以前提案していた新しい肥料の試作品ができた」
畑の向こうから、アレクシス様が手招きしている。
私は小走りで彼の元へ向かった。
アレクシス様が差し出したのは、粗末な麻袋だった。
中に入っていたのは、白くて細かな破片と、乾燥した繊維質の粉末。
「これを使え」
「こ、これは……、厨房から出た卵の殻と野菜くずですか!?」
私は粉末を手に取り、まじまじと観察した。
卵の殻は細かく粉砕され、野菜くずは完全に乾燥処理されている。
「乾燥させて粉砕しておいた。捨てればゴミだが、お前に渡せば宝になるんだろう?」
アレクシス様が、少し照れくさそうに鼻をこする。
私は感動で胸がいっぱいになった。
これはただの生ゴミ処理ではない。
彼が有機資源の循環という私の理論を完全に理解し、自ら実践してくれた証拠だ。
「もちろんです! 卵の殻はカルシウム満点、野菜くずはミネラルの塊! 素晴らしい緩効性肥料になります!」
「……そうか。なら、撒くぞ」
「はい!」
私たちは並んで畑に入った。
春の日差しは暖かく、土はふかふかと柔らかい。
夢中で作業をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
ふと気づけば、太陽は中天にあり、お腹の虫が小さく鳴いた。
「休憩にするか」
手を洗ったアレクシス様が木陰のベンチに腰を下ろし、バスケットを開けた。
中には、彼特製の分厚いサンドイッチが入っている。
「私も手を洗ってきますので、お先にどうぞ」
「待て」
手を洗いにいこうとした私を、アレクシス様が制止した。
「少し暖かくなってきたとはいえ、まだ水は震えるほど冷たいぞ」
彼は真顔で言った。
「冷え性なお前の体温を下げず、効率的にカロリーを摂取する方法がある」
「……はぁ。そんな方法があるなら合理的だとは思いますが」
「簡単だ。こうすればいい」
アレクシス様はサンドイッチを一つ手に取り、私の口元に差し出した。
「口を開けろ」
「えっ?」
「俺の手は綺麗だ。お前はただ咀嚼と嚥下に集中すればいい。これが最も効率的な栄養補給プロセスだ」
……なるほど。
言っていることは極めて論理的だ。
そこに羞恥心という非合理な感情を挟む余地はない。
……ないはずだが、なぜか私の体温が上昇している気がする。
「理解しました。では、補給をお願いします」
私は意を決して口を開けた。
アレクシス様が、具沢山のサンドイッチを私の口に運ぶ。
シャキシャキのレタス、ジューシーなベーコン、そして甘いトマト。
「ん……、美味しい……!」
「そうか。次はこっちだ」
咀嚼が終わる絶妙なタイミングで、次の一口が運ばれてくる。
周囲から見れば、強面の領主様が、膝に乗せた令嬢に「あーん」をしている激甘な光景だろう。
だが、私たちは真剣だ(正直、もうよくわからないが)。
「……ふぅ。補給完了です。ご馳走様でした」
「うむ。いい食いっぷりだった」
アレクシス様は満足げに頷き、自分の分のサンドイッチを頬張った。
そして、私の口元についたパン屑を、親指でそっと拭った。
「……っ」
その指の感触に、心臓が跳ねる。
効率重視の食事だったはずなのに、後味はとろけるように甘かった。
夕暮れ時。
全ての作業を終えた私たちは、夕日に染まる丘の上に立っていた。
眼下に広がるのは、私たち二人で再生させたヴォルガードの農地。
かつては灰色だった大地が、今は豊かな緑と、実りを予感させる生命の色に満ちている。
風が吹き抜け、汗ばんだ肌を冷やす。
私の顔も、手も、ドレスも泥だらけだ。
王都の令嬢が見たら卒倒するような姿だろう。
でも、今の私は、かつてのどの瞬間よりも満たされていた。
「……美しいな」
隣で、アレクシス様がぽつりと呟いた。
私は視線を畑に向けたまま頷いた。
「はい。この麦の生育状況、素晴らしいですね。窒素バランスが完璧な証拠です」
「違う」
アレクシス様が、私の顎に手を添え自分の方に向けさせた。
夕日を背負った彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「花じゃない。麦でもない。……泥だらけになって笑っている、お前の顔のことだ」
「――!」
思考が停止した。
私の顔?
泥だらけの?
分析しようとしたが、脳内のデータベースに該当する評価基準がない。
ただ、顔が一気に熱くなり、胸が締め付けられるような幸福感が押し寄せてくる。
「か、閣下……、それは、その……」
「アレクシスだ」
「え?」
「仕事は終わりだ。今は上司と部下じゃない。……名前で呼べ」
彼はそう言うと、泥だらけの私の手を、自分の大きな手で包み込んだ。
汚れることも厭わず、宝物のように大切に。
「……アレクシス様」
名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに目を細め、ゆっくりと顔を近づけてきた。
私は目を閉じた。
唇に触れたのは、柔らかな温もりだった。
「……愛しているぞ、セレナ」
「……私もお慕いしております」
私たちは額を合わせ、笑い合った。
王都での私は、評価されない苛立ちと孤独の中にいた。
でも今は違う。
私を必要としてくれる場所がある。
泥だらけの手を握ってくれる人がいる。
「腹も減ってきたし、帰ろう。今日は特製のシチューだ」
私たちは手を取り合い、家路についた。
愛だの恋だので作物は育たない。それは事実だ。
けれど、適切な土壌と、信頼できるパートナーがいれば、人生という名の畑には、想像以上に甘くて大きな愛の実がなるらしい。
私の人生、これからが間違いなく――最高の収穫期だ。
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