「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~

水上

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第31話:トラブル発生

 ヴィクトリアが姿を消してから、わずか二十四時間。
 アッシュフォード邸の朝は、かつてないほどの混乱の中にあった。

「どういうことだ! 朝食も用意されていないのか!」

 ギルバートは食堂で声を荒らげた。

 テーブルの上には何もない。
 花瓶の花は萎れかけ、昨晩の食器が片付けられずに残っている。

 ヴィクトリアが連れてきた使用人たちは、彼女と共に去ったか、あるいは給金が支払われないことを悟って暇乞いをしたため、屋敷には事情を知らない臨時雇いのメイドが二人残っているだけだった。

「も、申し訳ございません旦那様! 食材庫の鍵が見当たらなくて……」

「鍵? そんなもの、いつもヴィクトリアが持っていたが……」

 ギルバートは舌打ちをした。

 妻がいなくなって初めて、彼が着ているシャツの糊付けから、朝のコーヒー豆の在庫管理に至るまで、全て彼女が采配していたことに気づかされたのだ。

「もういい! 外で食べてくる。……シルヴィア、君はどうする?」

「私、お腹空きましたぁ……。ヴィクトリア様、いつ帰ってくるんですか?」

 シルヴィアは空腹と不安で涙目になっている。
 ギルバートは彼女を安心させるように、引きつった笑顔を作った。

「すぐに戻るさ。意地を張っているだけだよ。……さあ、とりあえず仕事だ。僕たちがしっかり守っているところを見せつけてやろう」

 二人は逃げるように食堂を出て、執務室へと向かった。
 そこには、昨日見つけた二つの冊子が置かれたままになっている。

 ピンクのリボンの『鉱山運営心得』。
 黒い紐の『最終事業報告書』。

 ギルバートは黒い方を視界の隅に追いやると、努めて明るく言った。

「よし、シルヴィア。今日もそのマニュアル通りに頼むよ。ヴィクトリアが君のために書いたんだ、きっと魔法のようにうまくいくはずさ」

「はい! 私、頑張ります!」

 シルヴィアはピンクの冊子を開き、そこに書かれた甘い言葉を声に出して読み上げた。

「えっと……、『第一条:朝は笑顔で挨拶しましょう。明るい職場が利益を生みます』……よし、笑顔ですね!」

 彼女は鏡に向かって、にっこりと笑った。
 その時だった。

 玄関の扉を叩く激しい音が響いたのは。

「おや、朝から来客かな? きっとヴィクトリアが帰ってきたんだ!」

 ギルバートは期待に胸を膨らませ、自ら玄関へと走った。
 しかし、扉を開けた彼を待っていたのは、妻ではなく、顔を真っ赤にした恰幅の良い男だった。

「アッシュフォード伯爵! 一体どうなっているんですか!」

 それは、領内の物流を一手に担う運送ギルドの長、バーナードだった。
 彼は手に督促状を握りしめている。

「やあ、バーナードさん。朝からどうしました? そんなに慌てて」

「慌てもしますよ! 今月の未払い分、金貨二百枚の入金がまだですぞ! 昨日の期日までという約束だったはずだ!」

「え? 未払い?」

 ギルバートは瞬きをした。

 金貨二百枚。
 小規模な貴族なら破産する額だ。

「まさか。ヴィクトリアが手続きをしているはず……」

「奥様からは『今後は当主であるギルバート様が直接管理されます』と連絡がありましたよ! だから私は待っていたんだ。だが、入金がない!」

 バーナードの剣幕に、ギルバートは後ずさった。

 そうだ、ヴィクトリアはいない。
 支払いの手続きなど、誰もしていないのだ。

「あ、ああ、そうだった。忘れていたよ。すぐに払うから、少し待ってくれ」

「今すぐです! いただくまでは、荷馬車は一台も動かしませんぞ!」

「い、いただくまで……?」

 ギルバートの背中に冷や汗が伝う。
 屋敷の金庫にそんな大金が入っているわけがない。

 銀行に行かなければならないが、小切手の書き方すら怪しい。

 その時、シルヴィアがマニュアルを手に現れた。

「あらあら、お客様ですかぁ? ギルバート様、マニュアルに書いてありますよ。『お客様が怒っているときは、甘いお茶を出して、お話を聞いてあげましょう』って!」

 シルヴィアは満面の笑みを浮かべ、バーナードに近づいた。

「おじさま、そんなに怒ると血圧に悪いですよぉ。お茶でも飲んで、ゆっくりしましょう?」

 その言葉を聞いて、バーナードの顔色が、赤から紫へと変わった。

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