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第26話:刻印に込められたメッセージ
九月二十五日。
それは、ゲイル商会が初めて大口契約を勝ち取り、法人として登記された設立記念日だ。
1224。
十二月二十四日。
それは、マティアスの誕生日。
0214。
二月十四日。
……二人が結婚した日だ。
マティアスはルーペを持つ手を震わせた。
彼はさらに奥の棚から、最も古い試作品を取り出した。
商会を立ち上げたばかりの頃、資金もなく、二人で徹夜をして作り上げた最初のレンズだ。
そこには、こう刻まれていた。
『For your dream. (あなたの夢のために)』
マティアスは膝から崩れ落ちた。
椅子が倒れる音が、静寂の工房に虚しく響く。
彼は知らなかった。
クララが、「無駄な工程だ」「効率が悪い」と彼に罵られながらも、一つ一つの製品に、誰にも気づかれないほどの小さな文字で、彼へのメッセージを刻んでいたなんて。
それは、口下手な彼女なりの、精一杯の告白だったのだ。
言葉で伝えても「感情論は無駄だ」と切り捨てられるから。
だから彼女は、自分の魂である技術の中に、その想いを封じ込めた。
マティアスがいつか、商品を愛してルーペで覗き込んでくれる日を信じて。
「あぁ……、ああああ……」
マティアスは呻き声を上げ、レンズを胸に抱きしめた。
冷たいガラスが、今は焼けるように熱く感じる。
思い出すのは、クララの姿だ。
「効率が悪い」と叱責する彼に対して、彼女はいつも静かに頭を下げていた。
「申し訳ありません」と。
あれは、無能だから謝っていたのではなかった。
マティアスの理想とする冷徹な経営に応えられない自分を、それでも愛を捨てきれない自分を、恥じていたのだ。
彼女は、この刻印を彫るために、どれだけの時間を費やしたのだろう。
どれだけの神経をすり減らし、どれだけの祈りを込めたのだろう。
それを、自分はどう扱った?
『君は作る人、イザベラは売る人』
『感情などビジネスの邪魔だ』
『君は裏方だ』
マティアスのロジックが、音を立てて崩れ去っていく。
効率?
利益?
合理性?
そんなものが何だというのだ。
ここにあるのは、計算式では決して導き出せない、愚直で、非効率で、そして何よりも尊い献身という名の輝きではないか。
彼は自分が信じてきた世界が、いかに薄っぺらなものであったかを思い知らされた。
イザベラの愛と魔法という言葉が、いかに空虚であったか。
本物の愛は、言葉になどしない。
見えない場所に、消えない傷として刻まれるものなのだ。
マティアスは眼鏡を外し、涙を拭った。
だが、溢れ出る後悔は止まらなかった。
彼女は出て行った。
この刻印を残して。
いや、最後に残されたあの分厚いマニュアル。
あれには、もう刻印の指示はなかった。
ただの数字と、冷徹な工程だけ。
そこにはもう、マティアスへのメッセージはなかった。
彼女は、最後の最後に、本当にただの機械になって去っていったのだ。
彼の望み通りに。
「……クララ、すまない」
誰もいない工房で、マティアスの謝罪がこだまする。
だが、その声に応えるのは、沈黙した機械たちの冷ややかな鉄の肌触りだけだった。
サファイアのように青く輝くレンズの中には、二度と戻らない時間が閉じ込められている。
マティアスはそれを握りしめ、自分が失ったものの大きさに、ただ打ちひしがれるしかなかった。
それは、ゲイル商会が初めて大口契約を勝ち取り、法人として登記された設立記念日だ。
1224。
十二月二十四日。
それは、マティアスの誕生日。
0214。
二月十四日。
……二人が結婚した日だ。
マティアスはルーペを持つ手を震わせた。
彼はさらに奥の棚から、最も古い試作品を取り出した。
商会を立ち上げたばかりの頃、資金もなく、二人で徹夜をして作り上げた最初のレンズだ。
そこには、こう刻まれていた。
『For your dream. (あなたの夢のために)』
マティアスは膝から崩れ落ちた。
椅子が倒れる音が、静寂の工房に虚しく響く。
彼は知らなかった。
クララが、「無駄な工程だ」「効率が悪い」と彼に罵られながらも、一つ一つの製品に、誰にも気づかれないほどの小さな文字で、彼へのメッセージを刻んでいたなんて。
それは、口下手な彼女なりの、精一杯の告白だったのだ。
言葉で伝えても「感情論は無駄だ」と切り捨てられるから。
だから彼女は、自分の魂である技術の中に、その想いを封じ込めた。
マティアスがいつか、商品を愛してルーペで覗き込んでくれる日を信じて。
「あぁ……、ああああ……」
マティアスは呻き声を上げ、レンズを胸に抱きしめた。
冷たいガラスが、今は焼けるように熱く感じる。
思い出すのは、クララの姿だ。
「効率が悪い」と叱責する彼に対して、彼女はいつも静かに頭を下げていた。
「申し訳ありません」と。
あれは、無能だから謝っていたのではなかった。
マティアスの理想とする冷徹な経営に応えられない自分を、それでも愛を捨てきれない自分を、恥じていたのだ。
彼女は、この刻印を彫るために、どれだけの時間を費やしたのだろう。
どれだけの神経をすり減らし、どれだけの祈りを込めたのだろう。
それを、自分はどう扱った?
『君は作る人、イザベラは売る人』
『感情などビジネスの邪魔だ』
『君は裏方だ』
マティアスのロジックが、音を立てて崩れ去っていく。
効率?
利益?
合理性?
そんなものが何だというのだ。
ここにあるのは、計算式では決して導き出せない、愚直で、非効率で、そして何よりも尊い献身という名の輝きではないか。
彼は自分が信じてきた世界が、いかに薄っぺらなものであったかを思い知らされた。
イザベラの愛と魔法という言葉が、いかに空虚であったか。
本物の愛は、言葉になどしない。
見えない場所に、消えない傷として刻まれるものなのだ。
マティアスは眼鏡を外し、涙を拭った。
だが、溢れ出る後悔は止まらなかった。
彼女は出て行った。
この刻印を残して。
いや、最後に残されたあの分厚いマニュアル。
あれには、もう刻印の指示はなかった。
ただの数字と、冷徹な工程だけ。
そこにはもう、マティアスへのメッセージはなかった。
彼女は、最後の最後に、本当にただの機械になって去っていったのだ。
彼の望み通りに。
「……クララ、すまない」
誰もいない工房で、マティアスの謝罪がこだまする。
だが、その声に応えるのは、沈黙した機械たちの冷ややかな鉄の肌触りだけだった。
サファイアのように青く輝くレンズの中には、二度と戻らない時間が閉じ込められている。
マティアスはそれを握りしめ、自分が失ったものの大きさに、ただ打ちひしがれるしかなかった。
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