「言ってくれれば手伝ったのに」過労で倒れた私に微笑む無神経な夫。~親友を優先させ続けた夫の末路~

水上

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第5話:倒れた妻と、微笑む無神経な夫

 その日の夜、エルナは工房の床に崩れ落ちた。

 ルグラン侯爵の視察から数日が経ち、商会には大口の追加発注が舞い込んでいた。
 喜ばしいことではあるが、製造ラインの全責任を負うエルナの負担は限界を超えようとしていた。

 新たな従業員を雇うようフィリップに再三求めてきたが、彼は「人件費がかさむだろう? 君なら一人で上手く回せるはずだ」と一蹴した。

 その言葉の裏には、儲けを減らしたくないという本音と、妻の労働力は無料であるという傲慢な前提が透けて見えた。

 熱を出して早退した見習い職人・ティムの分まで、エルナは一人で重い麻袋を運び、三つの大きな銅鍋の火加減を同時に管理していた。

 睡眠時間は三日合わせて六時間にも満たない。

 ついに、極度の過労と睡眠不足が彼女の体を容赦なく蝕んだ。
 視界がぐらりと揺れ、膝の力が抜け、気がつけば冷たい石の床に倒れ込んでいた。

 額からは冷や汗が流れ、呼吸が浅く乱れる。
 心臓が早鐘のように打ち、立ち上がろうとしても指先一つ動かすことができなかった。

「……奥様!」

 扉の向こうから、切羽詰まった声が聞こえた。
 商会の古参の使用人であるマーサだった。

 彼女は倒れているエルナを発見するなり悲鳴を上げ、急いで駆け寄ってきた。

「ああ、なんてこと……! 熱いじゃありませんか。今すぐ旦那様をお呼びします!」

 マーサは慌ただしく駆け出していき、ほどなくして、フィリップが工房に姿を現した。

 彼は上等な部屋着を羽織り、片手に読みかけの新聞を持っていた。

 倒れている妻を見た彼の第一声は、エルナの耳を疑うものだった。

「おいおい、どうしたんだい? こんな所で寝ていたら風邪を引くよ」

 心配するどころか、少し迷惑そうな響きさえ含んだ声だった。

 エルナは、荒い息を吐きながら、朦朧とする意識の中で夫を見上げた。

 彼は、エルナの青白い顔色にも、異常な発汗にも、工房に充満する過剰な熱気にも気づいていない。
 ただ、自分の日常のリズムが崩れたことに軽い不満を抱いている顔だった。

「あなた……。申し訳ありません。少し、目眩が……」

 エルナが掠れた声で詫びると、フィリップは大げさにため息をついた。

「困るなぁ、エルナ。明日の朝は、商工会の会合がある大事な日なんだ。君が倒れちゃったら、僕のシャツの準備はどうするの? 朝食だって、君が淹れるハーブティーじゃないと僕は調子が出ないのに」

 その言葉を聞いた瞬間、エルナの頭の芯が冷えるのを感じた。

(私が倒れて、呼吸もままならない状態でいるのに。この人は、私の命や健康よりも明日の自分のシャツと自分の朝食を心配している……)

 大げさな悪意があるわけではない。
 ただ純粋に、彼の中には他者を思いやる機能が致命的に欠如している。

 妻を自分の生活を快適に回すための便利な機械としか認識していないのだ。

「そんなに無理をするくらいなら、言ってくれれば手伝ったのに」

 フィリップは、呆れたように肩をすくめながら微笑んだ。

「君はいつも、一人で抱え込みすぎるんだよ。僕に『これをやって』と言ってくれれば、やったのにさ」

 言ってくれればやったのに。

 その無責任極まりない言葉が、エルナの胸の奥底でくすぶっていた怒りの火種に、油を注いだ。

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