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第20話:花束
三日後。
夕刻、遠征からグレイグが帰還した。
「ただいま。……変わりはないか」
玄関ホールで出迎えたセレフィーナを見て、グレイグの険しい表情がふっと緩んだ。
目の下には疲労の色が見える。
しかし、セレフィーナは彼を見るなり、駆け寄った。
「お帰りなさいませ、旦那様! お疲れのご様子ですね。歩行時の重心動揺が見られます。すぐに糖分の補給と入浴が必要です」
「ああ……、そうだな。だがその前に」
グレイグは背中に隠していた手を前に出した。
そこには、色とりどりの花々で作られた、美しい花束が握られていた。
辺境の厳しい環境でも育つ、可憐で芯の強い野花たちだ。
「……受け取れ。こいつは視覚刺激によってストレスホルモンを下げる効果があるらしい」
「……!」
セレフィーナは花束を受け取り、目を輝かせた。
普通の女性なら「綺麗!」「嬉しい!」と言う場面だ。
だが、彼女はポケットからルーペを取り出し、花弁に顔を近づけた。
「お心遣い感謝します。……これは、興味深いですね」
彼女は真剣な眼差しで解説を始めた。
「この茎の繊維配列……。非常に均一で、維管束の構造が発達しています。これなら風速20メートルの強風でも座屈しない高い曲げ強度を持っていますね。それに、この花弁の表面にあるワックス層!」
彼女は指で花弁を撫でた。
「素晴らしい撥水性です。ロータス効果が見込めます。この表面構造を模倣すれば、汚れのつかない壁材や、水切れの良い雨具の開発に応用できるかもしれません。貴重な研究サンプルとして、非常に興味深いです!」
一気にまくし立てるセレフィーナ。
グレイグはポカンと口を開け、それから大きな手で額を押さえた。
「……待て待て、違うぞセレフィーナ。それは実験材料ではなく、鑑賞用だ」
「え? ですが、枯れてしまってはデータの採取が……」
「枯れるまで、見て楽しめと言っているんだ。……ただ、綺麗だと思ってくれれば、それでいい」
グレイグは呆れたように、けれどどこか照れくさそうに視線を逸らした。
「少しでも気分が明るくなればと思って摘んできただけだ。……繊維の強度なんてどうでもいい」
その言葉に、セレフィーナはルーペを下ろした。
繊維の強度でも、撥水性でもなく。
ただ彼女ためにという目的。
胸の奥が、クマを抱いた時以上に温かくなる。
それは論理や数式では記述できない、未知のエネルギーだった。
「……左様でございますか」
セレフィーナはルーペをポケットにしまい、改めて花束を見つめた。
今度は分析するためではなく、ただその色彩を感じるために。
「……とても、綺麗な色ですね。旦那様の瞳の色に似た青い花もあって……、落ち着きます」
「……そうか」
グレイグがぶっきらぼうに答え、耳を赤くした。
「花瓶を用意させよう。……それと、あのクマはどうだった?」
「はい。吸音性能および保温性能において、期待値以上のスペックでした」
「……そうか」
スペック扱いか、と苦笑するグレイグだったが、セレフィーナは続けて小さな声で言った。
「ですが……、やはり、発熱量が不足していました。ぬいぐるみには体温がありませんから」
セレフィーナは上目遣いにグレイグを見た。
「今夜は、本物の熱源の近くで、温度平衡状態になるまで過ごしてもよろしいでしょうか?」
それは、彼女なりの精一杯の甘えだった。
グレイグは一瞬驚き、それから破顔した。
それは、今まで見せたことのないような、快活で、心からの笑顔だった。
「ああ。……暑苦しいと言って逃げるなよ?」
二人の影が、夕日の差し込むホールで重なり合う。
物理的な距離だけでなく、心の距離もまた、限りなくゼロに近づいていた。
夕刻、遠征からグレイグが帰還した。
「ただいま。……変わりはないか」
玄関ホールで出迎えたセレフィーナを見て、グレイグの険しい表情がふっと緩んだ。
目の下には疲労の色が見える。
しかし、セレフィーナは彼を見るなり、駆け寄った。
「お帰りなさいませ、旦那様! お疲れのご様子ですね。歩行時の重心動揺が見られます。すぐに糖分の補給と入浴が必要です」
「ああ……、そうだな。だがその前に」
グレイグは背中に隠していた手を前に出した。
そこには、色とりどりの花々で作られた、美しい花束が握られていた。
辺境の厳しい環境でも育つ、可憐で芯の強い野花たちだ。
「……受け取れ。こいつは視覚刺激によってストレスホルモンを下げる効果があるらしい」
「……!」
セレフィーナは花束を受け取り、目を輝かせた。
普通の女性なら「綺麗!」「嬉しい!」と言う場面だ。
だが、彼女はポケットからルーペを取り出し、花弁に顔を近づけた。
「お心遣い感謝します。……これは、興味深いですね」
彼女は真剣な眼差しで解説を始めた。
「この茎の繊維配列……。非常に均一で、維管束の構造が発達しています。これなら風速20メートルの強風でも座屈しない高い曲げ強度を持っていますね。それに、この花弁の表面にあるワックス層!」
彼女は指で花弁を撫でた。
「素晴らしい撥水性です。ロータス効果が見込めます。この表面構造を模倣すれば、汚れのつかない壁材や、水切れの良い雨具の開発に応用できるかもしれません。貴重な研究サンプルとして、非常に興味深いです!」
一気にまくし立てるセレフィーナ。
グレイグはポカンと口を開け、それから大きな手で額を押さえた。
「……待て待て、違うぞセレフィーナ。それは実験材料ではなく、鑑賞用だ」
「え? ですが、枯れてしまってはデータの採取が……」
「枯れるまで、見て楽しめと言っているんだ。……ただ、綺麗だと思ってくれれば、それでいい」
グレイグは呆れたように、けれどどこか照れくさそうに視線を逸らした。
「少しでも気分が明るくなればと思って摘んできただけだ。……繊維の強度なんてどうでもいい」
その言葉に、セレフィーナはルーペを下ろした。
繊維の強度でも、撥水性でもなく。
ただ彼女ためにという目的。
胸の奥が、クマを抱いた時以上に温かくなる。
それは論理や数式では記述できない、未知のエネルギーだった。
「……左様でございますか」
セレフィーナはルーペをポケットにしまい、改めて花束を見つめた。
今度は分析するためではなく、ただその色彩を感じるために。
「……とても、綺麗な色ですね。旦那様の瞳の色に似た青い花もあって……、落ち着きます」
「……そうか」
グレイグがぶっきらぼうに答え、耳を赤くした。
「花瓶を用意させよう。……それと、あのクマはどうだった?」
「はい。吸音性能および保温性能において、期待値以上のスペックでした」
「……そうか」
スペック扱いか、と苦笑するグレイグだったが、セレフィーナは続けて小さな声で言った。
「ですが……、やはり、発熱量が不足していました。ぬいぐるみには体温がありませんから」
セレフィーナは上目遣いにグレイグを見た。
「今夜は、本物の熱源の近くで、温度平衡状態になるまで過ごしてもよろしいでしょうか?」
それは、彼女なりの精一杯の甘えだった。
グレイグは一瞬驚き、それから破顔した。
それは、今まで見せたことのないような、快活で、心からの笑顔だった。
「ああ。……暑苦しいと言って逃げるなよ?」
二人の影が、夕日の差し込むホールで重なり合う。
物理的な距離だけでなく、心の距離もまた、限りなくゼロに近づいていた。
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