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第22話:泥水を啜る(物理)
「わぁ、すごぉい! キラキラしててお城みたい!」
「だろう? さあ、乗ってくれ。乗り心地も雲の上のようだぞ」
ルーカスがエスコートし、フェリシアが乗り込む。
御者が鞭を振るい、馬車が動き出した。
しかし……。
「……きゃっ?」
動き出しの瞬間、フェリシアの体が大きく揺れた。
さらに、スピードが上がるにつれて、床下から不穏な音が響き始める。
「ねえ、ルーカス様。なんだか変な音がしない? それに、すごく揺れるんですけど……」
「き、気のせいだ。石畳の道だからな」
ルーカスは引きつった笑顔で答えたが、内心では冷や汗をかいていた。
(おかしい……。以前、セレフィーナと乗った時は、まるで氷の上を滑るように静かだったのに)
かつて、この馬車のメンテナンスはセレフィーナが完璧に管理していた。
彼女は車軸の摩耗度を計算し、走行距離に応じたグリスアップと、軸受の定期交換を欠かさなかった。
さらに、ルーカスが「乗り心地を良くしろ」と言えば、サスペンションの板バネの枚数を調整し、減衰力を最適化していたのだ。
だが、彼女はいなくなった。
今の整備士たちは、ルーカスの「見た目を綺麗にしろ」という命令に従い、車体のワックスがけばかりに熱中していた。
車軸のグリスが干上がり、金属粉まみれのヘドロ状になっていることなど、誰も確認していなかったのだ。
振動は激しさを増し、会話すらままならない。
「ちょっと! お尻が痛いわ! 全然雲の上じゃないじゃない!」
「が、我慢してくれ! すぐに馴染むはずだ!」
馴染むわけがない。
潤滑を失った金属同士は、今この瞬間も猛烈な勢いで凝着摩耗を起こしている。
摩擦熱で車軸は膨張し、軸受との隙間がゼロになった瞬間――
凄まじい衝撃音と共に、馬車が急停止した。
焼き付きである。
回転していた車軸と車輪が熱で溶接されたように一体化し、ロックしたのだ。
行き場を失った運動エネルギーは、物理的な破壊となって発散される。
左後輪の車軸がねじ切れ、巨大な車輪が外れて転がっていった。
「うわあああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
バランスを失った豪華馬車は、傾きながら路肩へと突っ込む。
そこは、前日の雨水が溜まった泥沼だった。
泥飛沫が高く舞い上がり、美しい純白の馬車を茶色く染め上げる。
衝撃で扉が開き、ルーカスとフェリシアが泥の中に放り出された。
「げほっ、ごほっ……! 泥水が口の中に……!」
「いやぁぁぁ! 私のドレスがぁ!」
泥まみれになった二人に、通りかかった市民たちが集まってくる。
「おい、あれ王太子殿下じゃないか?」
「なんて格好だ」
「馬車の車輪が取れたぞ」
「整備不良か?」
「ダッセェ……」
民衆の冷ややかな視線と、失笑。
ルーカスは泥を拭うことも忘れ、呆然と壊れた馬車を見つめた。
切断された車軸の断面は、摩擦熱で青黒く変色し、赤錆と金属粉にまみれていた。
「なぜだ……。なぜ、こんなことに……」
それは、彼が「地味でつまらない作業」と軽視し、セレフィーナに押し付けていたメンテナンスの放棄が招いた結果だった。
派手な装飾だけを誇り、足元の基礎をおろそかにした王太子の姿は、まさに今の王国の縮図そのものだった。
「殿下、お怪我は!?」
「うるさい! 触るな!」
駆け寄る護衛を振り払い、ルーカスは泥の中で立ち尽くす。
足元が重い。
物理的な泥の重さだけでなく、かつてセレフィーナが人知れず支えていた当たり前の日常を失った代償の重さが、今さらながら彼にのしかかっていた。
一方、泥だらけのフェリシアは「こんなの聞いてないわよぉ!」とヒステリックに叫び、その声が虚しく王都の空に響いた。
動脈硬化を起こした王都の物流と威信。
それらが回復するには、あまりにも多くのものが壊れすぎていた。
「だろう? さあ、乗ってくれ。乗り心地も雲の上のようだぞ」
ルーカスがエスコートし、フェリシアが乗り込む。
御者が鞭を振るい、馬車が動き出した。
しかし……。
「……きゃっ?」
動き出しの瞬間、フェリシアの体が大きく揺れた。
さらに、スピードが上がるにつれて、床下から不穏な音が響き始める。
「ねえ、ルーカス様。なんだか変な音がしない? それに、すごく揺れるんですけど……」
「き、気のせいだ。石畳の道だからな」
ルーカスは引きつった笑顔で答えたが、内心では冷や汗をかいていた。
(おかしい……。以前、セレフィーナと乗った時は、まるで氷の上を滑るように静かだったのに)
かつて、この馬車のメンテナンスはセレフィーナが完璧に管理していた。
彼女は車軸の摩耗度を計算し、走行距離に応じたグリスアップと、軸受の定期交換を欠かさなかった。
さらに、ルーカスが「乗り心地を良くしろ」と言えば、サスペンションの板バネの枚数を調整し、減衰力を最適化していたのだ。
だが、彼女はいなくなった。
今の整備士たちは、ルーカスの「見た目を綺麗にしろ」という命令に従い、車体のワックスがけばかりに熱中していた。
車軸のグリスが干上がり、金属粉まみれのヘドロ状になっていることなど、誰も確認していなかったのだ。
振動は激しさを増し、会話すらままならない。
「ちょっと! お尻が痛いわ! 全然雲の上じゃないじゃない!」
「が、我慢してくれ! すぐに馴染むはずだ!」
馴染むわけがない。
潤滑を失った金属同士は、今この瞬間も猛烈な勢いで凝着摩耗を起こしている。
摩擦熱で車軸は膨張し、軸受との隙間がゼロになった瞬間――
凄まじい衝撃音と共に、馬車が急停止した。
焼き付きである。
回転していた車軸と車輪が熱で溶接されたように一体化し、ロックしたのだ。
行き場を失った運動エネルギーは、物理的な破壊となって発散される。
左後輪の車軸がねじ切れ、巨大な車輪が外れて転がっていった。
「うわあああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
バランスを失った豪華馬車は、傾きながら路肩へと突っ込む。
そこは、前日の雨水が溜まった泥沼だった。
泥飛沫が高く舞い上がり、美しい純白の馬車を茶色く染め上げる。
衝撃で扉が開き、ルーカスとフェリシアが泥の中に放り出された。
「げほっ、ごほっ……! 泥水が口の中に……!」
「いやぁぁぁ! 私のドレスがぁ!」
泥まみれになった二人に、通りかかった市民たちが集まってくる。
「おい、あれ王太子殿下じゃないか?」
「なんて格好だ」
「馬車の車輪が取れたぞ」
「整備不良か?」
「ダッセェ……」
民衆の冷ややかな視線と、失笑。
ルーカスは泥を拭うことも忘れ、呆然と壊れた馬車を見つめた。
切断された車軸の断面は、摩擦熱で青黒く変色し、赤錆と金属粉にまみれていた。
「なぜだ……。なぜ、こんなことに……」
それは、彼が「地味でつまらない作業」と軽視し、セレフィーナに押し付けていたメンテナンスの放棄が招いた結果だった。
派手な装飾だけを誇り、足元の基礎をおろそかにした王太子の姿は、まさに今の王国の縮図そのものだった。
「殿下、お怪我は!?」
「うるさい! 触るな!」
駆け寄る護衛を振り払い、ルーカスは泥の中で立ち尽くす。
足元が重い。
物理的な泥の重さだけでなく、かつてセレフィーナが人知れず支えていた当たり前の日常を失った代償の重さが、今さらながら彼にのしかかっていた。
一方、泥だらけのフェリシアは「こんなの聞いてないわよぉ!」とヒステリックに叫び、その声が虚しく王都の空に響いた。
動脈硬化を起こした王都の物流と威信。
それらが回復するには、あまりにも多くのものが壊れすぎていた。
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