王太子から婚約破棄され、彼の新たな婚約者に努力の結晶を盗まれましたが、それが王都崩壊のきっかけでした。

水上

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第5話:白い結婚の提案

「条件とは、なんでしょう」

「俺の妻になれ」

 アレクセイのその言葉に、エレノアは瞬きを二回した。

「……求婚、という認識でよろしいですか?」

「契約だ。未婚の令嬢を連れ帰るには名目が必要だ。それに、辺境伯夫人という肩書きがあれば、お前の改革に文句を言う奴らを黙らせることができる」

 アレクセイはぶっきらぼうに言い捨てた。

「愛だの恋だのは期待するな。俺は不器用で女の扱いも知らん。……いわゆる、白い結婚というやつになる」

「合理的です」

 エレノアは即答した。
 食い気味の返答に、アレクセイの方が虚を突かれた顔をする。

「お互いの利害が完全に一致しています。貴方は領地の衛生改善を、私は研究環境と生活基盤を得る。感情という不確定要素に左右されない、極めて建設的なパートナーシップ契約ですね」

「……あ、ああ。そう捉えてくれるなら助かる」

 アレクセイは頬をわずかに引きつらせたが、すぐに「よし」と頷いた。

「話は決まりだ。すぐに出発する。ここに長居しても、お前に良いことはないだろう」

 彼はエレノアを促し、馬車止めへと向かう。
 しかし、石畳の道は昨日の雨でぬかるみ、大きな水たまりができていた。

 ハイヒールでは歩行が困難だ。
 エレノアが迂回ルートを計算しようとした、その時だった。

 ふわり、と視界が高くなった。

「――っ!?」

 気づけば、彼女はアレクセイの太い腕の中にいた。
 いわゆる、お姫様抱っこである。

「閣下!? 何を!」

「足元が悪い。抱えたほうが早い」

 アレクセイは何でもないことのように言い放ち、スタスタと歩き出した。
 エレノアは慌てた。
 
 恋愛的な意味ではない。
 物理的な意味でだ。

「おろし……、いえ、歩けます! それに、成人女性の平均体重を負荷としてかけるのは、貴方の脊椎に悪影響が……」

「軽すぎる」

 アレクセイが低く唸った。

「ちゃんと食べているのか? 抱き心地が薪と変わらんぞ」

「失礼な。薪よりは密度があります」

 エレノアは眼鏡を押し上げ、即座に反論を開始した。

「私の体重なら、閣下の推定筋肉量から算出される最大積載荷重の5%にも満たないはずです。力学的モーメントを考慮し、重心からの距離を短くすれば、さらに負荷は軽減できます」

 彼女はためらいなく、アレクセイの鋼のような首に腕を回し、体を密着させた。

「こうして作用点と支点の距離を縮めるのが、エネルギー効率的に正解です。もっと密着しましょうか?」

 アレクセイの足が一瞬、止まった。
 彼は腕の中の新しい妻を見下ろす。

 普通なら、顔を赤らめて恥じらう場面だ。
 それなのに、この女は物理法則の話をしている。

 だが、その体温と、首に回された腕の感触は、確かに柔らかい女性のものだった。

「……ああ、そうだな」

 アレクセイは、呆れたような、それでいてどこか楽しげな響きを含んだ声で答えた。

「理屈はよくわからんが、密着は大歓迎だ。……しっかり掴まっていろ」

「はい。摩擦係数を最大化しておきます」

 強面の大男が、理屈っぽい小柄な令嬢を軽々と抱えて夜道を歩く。
 その光景は奇妙ではあったが、不思議と収まりが良かった。

 馬車に乗り込み、車輪が回り出す。
 エレノアは遠ざかる王宮の灯りを窓越しに見つめる。

 隣に座るアレクセイが、寒くないようにと膝掛けを渡してくれた。

 その手の大きさと温もりは、エレノアの冷えきっていた心の温度を、少しだけ上昇させた。

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