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第26話:小さな侵入者
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ヴォルガード辺境伯領に、束の間の平穏が訪れていた。
王都からの不穏な報告書も片付き、領内の改革も順調に進捗している。
ある晴れた日の午後。
エレノアは、屋敷の裏庭にある薬草園を視察していた。
ここは彼女の要望で整備され、石鹸や薬品の原料となるハーブが所狭しと植えられている。
「……カモミールの生育状況は良好。ラベンダーの精油含有量も予測値を上回っていますね」
手帳にデータを書き込みながら、エレノアは満足げに頷いた。
その時だった。
ガサガサ、と茂みが揺れた。
「……? 小動物の侵入でしょうか。害獣であれば、忌避剤の散布が必要ですが」
エレノアは警戒しつつ、音のした方へ近づき、葉をかき分けた。
「みゃあ」
そこには、泥だらけの毛玉が震えていた。
いや、毛玉ではない。
手のひらサイズの、小さな子猫だった。
空腹と寒さで弱っているようだ。
大きな瞳が、不安げにエレノアを見上げている。
「……」
エレノアの思考回路が、一瞬停止した。
次の瞬間、彼女は手帳とペンを放り出し、地面に膝をついていた。
「な、なんてこと……! 緊急事態です!」
彼女は恐る恐る、壊れ物を扱うような手つきで子猫を抱き上げた。
温かい。
そして、柔らかい。
「みゅぅ……」
「あっ、鳴きました……! 周波数3.5キロヘルツ付近の、この可憐な音声信号……!」
エレノアの表情筋が、かつてないほど緩んだ。
普段の氷のような冷徹さは跡形もなく消え失せ、目尻は下がり、頬は緩みきっている。
「どうしましょう、可愛すぎます。この頭身バランス、大きな瞳、丸いフォルム……。完璧なベビースキーマです。保護本能をダイレクトに刺激してきます」
子猫がエレノアの指を舐めた。
ザラリとした舌の感触。
エレノアは子猫を頬擦りせんばかりに抱きしめた。
「よしよし、寒かったですね。お腹が空きましたか? すぐに栄養価の高いミルクを用意しましょう。タンパク質と脂質のバランスを調整して、免疫グロブリンも添加して……」
完全に猫の下僕と化した科学者。
彼女は子猫に話しかけながら、デレデレの笑顔で揺れていた。
しかし、そこに一人の人物がやってきていたことに、エレノアはまだ気がついていなかった。
王都からの不穏な報告書も片付き、領内の改革も順調に進捗している。
ある晴れた日の午後。
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ここは彼女の要望で整備され、石鹸や薬品の原料となるハーブが所狭しと植えられている。
「……カモミールの生育状況は良好。ラベンダーの精油含有量も予測値を上回っていますね」
手帳にデータを書き込みながら、エレノアは満足げに頷いた。
その時だった。
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「……? 小動物の侵入でしょうか。害獣であれば、忌避剤の散布が必要ですが」
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「みゃあ」
そこには、泥だらけの毛玉が震えていた。
いや、毛玉ではない。
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空腹と寒さで弱っているようだ。
大きな瞳が、不安げにエレノアを見上げている。
「……」
エレノアの思考回路が、一瞬停止した。
次の瞬間、彼女は手帳とペンを放り出し、地面に膝をついていた。
「な、なんてこと……! 緊急事態です!」
彼女は恐る恐る、壊れ物を扱うような手つきで子猫を抱き上げた。
温かい。
そして、柔らかい。
「みゅぅ……」
「あっ、鳴きました……! 周波数3.5キロヘルツ付近の、この可憐な音声信号……!」
エレノアの表情筋が、かつてないほど緩んだ。
普段の氷のような冷徹さは跡形もなく消え失せ、目尻は下がり、頬は緩みきっている。
「どうしましょう、可愛すぎます。この頭身バランス、大きな瞳、丸いフォルム……。完璧なベビースキーマです。保護本能をダイレクトに刺激してきます」
子猫がエレノアの指を舐めた。
ザラリとした舌の感触。
エレノアは子猫を頬擦りせんばかりに抱きしめた。
「よしよし、寒かったですね。お腹が空きましたか? すぐに栄養価の高いミルクを用意しましょう。タンパク質と脂質のバランスを調整して、免疫グロブリンも添加して……」
完全に猫の下僕と化した科学者。
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しかし、そこに一人の人物がやってきていたことに、エレノアはまだ気がついていなかった。
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