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第16話:最後の警告
王宮のサロンには、午後の柔らかな日差しが差し込んでいたが、セシリア・オルコットの心は凍てついた冬の湖のように静まり返っていた。
テーブルの上には、金箔で縁取られた豪奢な招待状が一通置かれている。
隣国ガレリア帝国から訪れる特使を歓迎する、夜会の案内状だ。
「……それで、殿下。もう一度確認させていただきますが」
セシリアは紅茶の湯気を透かして、向かいに座る夫を見つめた。
テオドールは、どこか居心地が悪そうに視線を逸らしているが、その表情には頑固な決意が滲んでいる。
「本気で、この夜会にアリス嬢をパートナーとして同伴されるおつもりですか?」
問いかけられたテオドールは、ふんと鼻を鳴らした。
「パートナーというのは大袈裟だな。単なる同伴者だよ。君は最近、研究や商会の手続きで忙しそうじゃないか。顔色も少し悪い。だから、今回は無理をして出席しなくていいと言っているんだ」
もっともらしい理由だ。
妻の体調を気遣う優しい夫の言葉に聞こえる。
だが、セシリアは知っている。
彼が本当に望んでいるのは、完璧すぎて息が詰まるセシリアではなく、隣で無邪気に笑って自分の自尊心を満たしてくれるアリスを連れて歩くことだ。
「私の体調をご心配いただき、ありがとうございます。ですが、これは公式な外交の場です。王太子妃である私が欠席し、代わりに正式な婚約者でもない男爵令嬢を伴えば、どのような憶測を呼ぶか……、殿下はご理解されていますか?」
セシリアの声は淡々としていた。
これは、彼女が彼に対して行う、正真正銘、最後の王太子妃としての助言だった。
外交儀礼において、パートナーの格は重要だ。
アリスのようなマナーも未熟な令嬢を連れて行けば、特使に対して「我が国はあなた方を軽視している」というメッセージになりかねない。
あるいは、「王太子は妻をないがしろにしている」という醜聞が広まるだろう。
しかし、テオドールはセシリアの言葉を、いつもの小言だと受け取ったようだった。
「またそうやって、堅苦しいことを言う。君は心配しすぎなんだよ、セシリア」
テオドールは呆れたように肩をすくめた。
「アリスだって貴族の端くれだ、最低限の礼儀はわきまえている。それに、彼女のあの天真爛漫な笑顔は、堅苦しい外交の場を和ませる魅力があると思わないか? 特使の方々だって、君のような氷の彫刻と話すより、愛らしい花と話す方が楽しいはずだ」
――氷の彫刻。
かつては「理知的で美しい」と褒めていたその特徴を、今は欠点のように扱う。
セシリアは、テーブルの下で組んだ指に力を込めた。
これは怒りではない。
呆れと、哀れみだ。
「アリスにも経験が必要なんだ。将来、彼女が僕の側近として働くためにも、こういう場数を踏ませてやりたい。君だって、最初は不慣れだっただろう?」
「……私は、三歳から王妃教育を受けておりました。アリス嬢とは前提が異なります」
「そういうところが可愛くないと言っているんだ!」
テオドールが声を荒げ、テーブルを叩いた。
カップが音を立てる。
彼はハッとしたように口元を覆ったが、吐き出された言葉は戻らない。
テーブルの上には、金箔で縁取られた豪奢な招待状が一通置かれている。
隣国ガレリア帝国から訪れる特使を歓迎する、夜会の案内状だ。
「……それで、殿下。もう一度確認させていただきますが」
セシリアは紅茶の湯気を透かして、向かいに座る夫を見つめた。
テオドールは、どこか居心地が悪そうに視線を逸らしているが、その表情には頑固な決意が滲んでいる。
「本気で、この夜会にアリス嬢をパートナーとして同伴されるおつもりですか?」
問いかけられたテオドールは、ふんと鼻を鳴らした。
「パートナーというのは大袈裟だな。単なる同伴者だよ。君は最近、研究や商会の手続きで忙しそうじゃないか。顔色も少し悪い。だから、今回は無理をして出席しなくていいと言っているんだ」
もっともらしい理由だ。
妻の体調を気遣う優しい夫の言葉に聞こえる。
だが、セシリアは知っている。
彼が本当に望んでいるのは、完璧すぎて息が詰まるセシリアではなく、隣で無邪気に笑って自分の自尊心を満たしてくれるアリスを連れて歩くことだ。
「私の体調をご心配いただき、ありがとうございます。ですが、これは公式な外交の場です。王太子妃である私が欠席し、代わりに正式な婚約者でもない男爵令嬢を伴えば、どのような憶測を呼ぶか……、殿下はご理解されていますか?」
セシリアの声は淡々としていた。
これは、彼女が彼に対して行う、正真正銘、最後の王太子妃としての助言だった。
外交儀礼において、パートナーの格は重要だ。
アリスのようなマナーも未熟な令嬢を連れて行けば、特使に対して「我が国はあなた方を軽視している」というメッセージになりかねない。
あるいは、「王太子は妻をないがしろにしている」という醜聞が広まるだろう。
しかし、テオドールはセシリアの言葉を、いつもの小言だと受け取ったようだった。
「またそうやって、堅苦しいことを言う。君は心配しすぎなんだよ、セシリア」
テオドールは呆れたように肩をすくめた。
「アリスだって貴族の端くれだ、最低限の礼儀はわきまえている。それに、彼女のあの天真爛漫な笑顔は、堅苦しい外交の場を和ませる魅力があると思わないか? 特使の方々だって、君のような氷の彫刻と話すより、愛らしい花と話す方が楽しいはずだ」
――氷の彫刻。
かつては「理知的で美しい」と褒めていたその特徴を、今は欠点のように扱う。
セシリアは、テーブルの下で組んだ指に力を込めた。
これは怒りではない。
呆れと、哀れみだ。
「アリスにも経験が必要なんだ。将来、彼女が僕の側近として働くためにも、こういう場数を踏ませてやりたい。君だって、最初は不慣れだっただろう?」
「……私は、三歳から王妃教育を受けておりました。アリス嬢とは前提が異なります」
「そういうところが可愛くないと言っているんだ!」
テオドールが声を荒げ、テーブルを叩いた。
カップが音を立てる。
彼はハッとしたように口元を覆ったが、吐き出された言葉は戻らない。
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