「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上

文字の大きさ
19 / 36

第19話:遅すぎる理解

「ねぇテオドール様、私疲れちゃったぁ。もう帰りましょうよぉ」

 アリスが退屈そうに袖を引っ張る。
 テオドールは初めて、彼女に対して苛立ちを覚えた。
 
(君のために連れてきたのに、僕の顔に泥を塗るのか?)

 喉まで出かかった言葉を飲み込み、テオドールは無言で会場を後にした。
 これ以上ここにいれば、さらなる恥をかくだけだ。

 帰りの馬車の中、アリスは遊び疲れた子供のように眠っていた。
 テオドールは窓の外を流れる暗い街並みを見つめながら、深いため息をついた。

 疲れた。
 肉体的な疲労だけでなく、精神が削り取られるような疲れだ。

(セシリアに会いたい)

 無意識にそう思っていた。
 王宮に戻ったら、まず彼女の部屋に行こう。

 そして、今日の失敗を笑い話にして、彼女に慰めてもらおう。
「殿下なら次は大丈夫ですわ」と、あの完璧な微笑みで肯定してもらいたい。

 彼女の淹れる、香りの良い紅茶が飲みたい。

 馬車が王宮の車寄せに到着すると、テオドールはアリスを侍女に任せ、足早にセシリアの私室へと向かった。

 廊下を歩く足音が、静まり返った王宮に響く。
 セシリアの部屋の前まで来ると、彼は一度深呼吸をして、ノックをした。

「セシリア、起きているかい? 少し話がしたいんだ」

 返事はない。
 もう眠っているのだろうか。

 テオドールはそっとドアノブを回した。
 鍵はかかっていない。

「入るよ……」

 扉を開けると、そこは闇に包まれていた。
 月明かりだけが、窓から差し込んでいる。

「セシリア?」

 テオドールはランプに火を灯し、部屋を見回した。
 そして、凍りついた。

 部屋は、あまりにも綺麗だった。
 綺麗すぎた。

 ドレッサーの上に並んでいたはずの香水瓶や化粧道具がない。
 クローゼットの扉が少し開いており、中が空っぽであることが見て取れる。

 彼女が好んで飾っていた季節の花も、読みかけの本も、書きかけの書類も、何ひとつない。
 まるで、最初から誰も住んでいなかったかのように、生活感が完全に消し去られていた。

「……え?」

 テオドールの思考が停止する。
 状況が理解できない。

 ただ一つ、部屋の中央にある小さな丸テーブルの上に、ぽつんと白い封筒が置かれているのが目に入った。

 彼はふらつく足取りで近づき、封筒を手に取った。
 宛名には、流麗な筆跡で『テオドール・フォン・サンタリア殿下へ』と記されている。

 手が震えた。
 嫌な予感が、胸の中で警鐘を鳴らしている。

 封を切り、中の一枚の紙を取り出す。

 そこに書かれていたのは、セシリアの声そのもののような、簡潔で、冷たく、そして決定的な言葉だった。

『テオドール殿下。貴方様が望まれた通り、私の気配も、私の小言も、私の存在そのものも、すべてこの王宮から消し去りました。これで貴方様は自由です。愛するアリス嬢と、どうぞ理想の王国をお築きください。離縁の書類は、国王陛下の承認印と共に提出済みです。――セシリア・オルコット』

「……嘘だろ?」

 テオドールの口から、乾いた笑いが漏れた。

 離縁? 
 提出済み?

 何を言っているんだ。
 昨日の朝まで、彼女は「殿下ならできますわ」と微笑んでいたじゃないか。

 あれは全部、嘘だったのか?

「セシリア……! どこだ、セシリア!」

 テオドールは手紙を握りしめ、部屋を飛び出した。
 廊下を走り、研究室へ、サロンへ、図書室へと向かう。

 だが、どこにも彼女の姿はない。
 彼女が愛用していたマグカップも、ひざ掛けも、研究ノートも、すべてが消えている。

 王宮の広大な廊下で、テオドールは一人立ち尽くした。
 彼を包むのは、かつてないほどの静寂と、冷気。

 いつも隣にあった温もり――当たり前すぎて、空気のように感じていたその温もりが、永遠に失われたことを、その肌がようやく理解し始めていた。

 テオドールの手から、くしゃくしゃになった手紙が滑り落ち、床に落ちた。

 それは、彼の愚かな愛の終わりを告げる、あまりにも軽い音だった。

あなたにおすすめの小説

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

佐藤 美奈
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 「子供の親権も放棄しろ!」と言われてイリスは戸惑うことばかりで、どうすればいいのか分からなくて混乱した。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。