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第24話:彼女の笑顔
セシリアが王宮を去ってから、数週間が経過していた。
サンタリア王国の王宮内は、まるでゆっくりと沈没していく船のような、重苦しい空気に支配されていた。
執務室でのテオドール・フォン・サンタリアは、以前の面影がないほどやつれていた。
目の下に濃い隈を作り、整えられていた金髪は乱れ、かつての爽やかな王子様の輝きは見る影もない。
机の上には、未処理の書類が山のように積まれている。
財務報告書の数値が合わない。
隣国との貿易交渉が停滞している。
そして何より、アリス・バーネットが引き起こすトラブルの処理に追われ続けていた。
「……またか」
テオドールは、侍従から渡された報告書を握り潰した。
アリスが、王宮の庭師に対して「バラの色が気に入らないから全部植え替えろ」と命じ、庭師たちがストライキを起こしかけているという内容だ。
かつてセシリアがいた頃は、庭園の管理など気にする必要もなかった。
彼女が適切な予算と労務管理を行っていたからだ。
「アリスを……、呼んでくれ」
「バーネット男爵令嬢なら、現在、部屋に閉じこもっておられます。『テオドール様が冷たい』と泣いておいでです」
侍従の冷ややかな返答に、テオドールは頭を抱えた。
慰めに行く気力すらない。
彼は最近、アリスの顔を見るだけで胃が痛むようになっていた。
あの愛らしいと思っていた無邪気さが、今では無神経な凶器にしか見えない。
そんな荒んだ空気の中、外交官が恭しく一枚の封書と、折りたたまれた新聞を持ってきた。
「殿下。隣国ガレリア帝国より、親書が届いております。それと……、こちらの帝都新聞も、ご覧になった方がよろしいかと」
「ガレリア帝国? ……ああ、あの特使の件か」
テオドールは力なく封書を受け取った。
先日、アリスを同伴して恥をかいたあの夜会の後、帝国との関係は冷え切っていた。
どうせ苦情か、交渉の延期だろう。
そう思いながら封を切ったテオドールの手が、中身を読んで止まった。
『拝啓、サンタリア王国王太子殿下。この度、我が国において新たな化粧品ブランドC.O.が設立されましたことをご報告いたします。つきましては、その設立記念パーティーへの招待状を同封いたします。――ガレリア帝国ヴァルター商会』
「……C.O.?」
聞き慣れない名前だ。
だが、胸の奥で何かがざわつく。
テオドールは震える手で、同時に渡された帝都新聞を広げた。
一面トップを飾っていたのは、華やかな見出しだった。
『天才調合師、帝都に降臨! 革新的ブランドC.O.始動』
そして、その中央に大きく掲載された写真を見た瞬間、テオドールの時間は止まった。
そこに写っていたのは、セシリアだった。
だが、テオドールが知っているセシリアではなかった。
王宮にいた頃の彼女は、常に完璧に結い上げた髪と、隙のないドレス、そして能面のような王太子妃の微笑みを纏っていた。
しかし、写真の中の彼女は違う。
プラチナブロンドの髪をラフにまとめ、シンプルだが洗練された白衣のようなジャケットを羽織っている。
手には試験管を持ち、隣にいる初老の男性と何かを話し合っている様子だ。
何より衝撃的だったのは、彼女の表情だった。
笑っていた。
心からの楽しさが溢れ出るような、生き生きとした笑顔。
瞳は知的好奇心に輝き、頬は高揚感で僅かに上気しているように感じられる。
それは、テオドールが一度も見たことのない、人間らしい、あまりにも美しい笑顔だった。
サンタリア王国の王宮内は、まるでゆっくりと沈没していく船のような、重苦しい空気に支配されていた。
執務室でのテオドール・フォン・サンタリアは、以前の面影がないほどやつれていた。
目の下に濃い隈を作り、整えられていた金髪は乱れ、かつての爽やかな王子様の輝きは見る影もない。
机の上には、未処理の書類が山のように積まれている。
財務報告書の数値が合わない。
隣国との貿易交渉が停滞している。
そして何より、アリス・バーネットが引き起こすトラブルの処理に追われ続けていた。
「……またか」
テオドールは、侍従から渡された報告書を握り潰した。
アリスが、王宮の庭師に対して「バラの色が気に入らないから全部植え替えろ」と命じ、庭師たちがストライキを起こしかけているという内容だ。
かつてセシリアがいた頃は、庭園の管理など気にする必要もなかった。
彼女が適切な予算と労務管理を行っていたからだ。
「アリスを……、呼んでくれ」
「バーネット男爵令嬢なら、現在、部屋に閉じこもっておられます。『テオドール様が冷たい』と泣いておいでです」
侍従の冷ややかな返答に、テオドールは頭を抱えた。
慰めに行く気力すらない。
彼は最近、アリスの顔を見るだけで胃が痛むようになっていた。
あの愛らしいと思っていた無邪気さが、今では無神経な凶器にしか見えない。
そんな荒んだ空気の中、外交官が恭しく一枚の封書と、折りたたまれた新聞を持ってきた。
「殿下。隣国ガレリア帝国より、親書が届いております。それと……、こちらの帝都新聞も、ご覧になった方がよろしいかと」
「ガレリア帝国? ……ああ、あの特使の件か」
テオドールは力なく封書を受け取った。
先日、アリスを同伴して恥をかいたあの夜会の後、帝国との関係は冷え切っていた。
どうせ苦情か、交渉の延期だろう。
そう思いながら封を切ったテオドールの手が、中身を読んで止まった。
『拝啓、サンタリア王国王太子殿下。この度、我が国において新たな化粧品ブランドC.O.が設立されましたことをご報告いたします。つきましては、その設立記念パーティーへの招待状を同封いたします。――ガレリア帝国ヴァルター商会』
「……C.O.?」
聞き慣れない名前だ。
だが、胸の奥で何かがざわつく。
テオドールは震える手で、同時に渡された帝都新聞を広げた。
一面トップを飾っていたのは、華やかな見出しだった。
『天才調合師、帝都に降臨! 革新的ブランドC.O.始動』
そして、その中央に大きく掲載された写真を見た瞬間、テオドールの時間は止まった。
そこに写っていたのは、セシリアだった。
だが、テオドールが知っているセシリアではなかった。
王宮にいた頃の彼女は、常に完璧に結い上げた髪と、隙のないドレス、そして能面のような王太子妃の微笑みを纏っていた。
しかし、写真の中の彼女は違う。
プラチナブロンドの髪をラフにまとめ、シンプルだが洗練された白衣のようなジャケットを羽織っている。
手には試験管を持ち、隣にいる初老の男性と何かを話し合っている様子だ。
何より衝撃的だったのは、彼女の表情だった。
笑っていた。
心からの楽しさが溢れ出るような、生き生きとした笑顔。
瞳は知的好奇心に輝き、頬は高揚感で僅かに上気しているように感じられる。
それは、テオドールが一度も見たことのない、人間らしい、あまりにも美しい笑顔だった。
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