「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上

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第25話:過去を思い出す男と、未来を見据える女

「……嘘だ」

 テオドールの口から、掠れた声が漏れた。

「これが、セシリア……?」

 記事にはこう書かれていた。

 『サンタリア王国から招聘された天才研究者、セシリア・オルコット女史。彼女が開発した崩れないファンデーションは、発売初日で完売。帝国の社交界は彼女の話題で持ちきりだ』

『彼女はインタビューでこう語った。「ここでは、私の技術が正当に評価されます。これ以上の喜びはありません」と』

 ――正当に評価される。

 その言葉が、テオドールの胸を鋭利な刃物のように抉った。

 彼は思い出した。
 研究ノートが燃やされた日、彼が彼女に言った言葉を。

 『物はまた書けばいいだろう』

 アリスが作った粗悪品を前に言った言葉を。

 『アリスの気持ちを汲んでやれ』

 彼は、セシリアの技術を、情熱を、そして彼女自身を、一度たりとも正当に評価したことがなかった。

 彼女が作り出す完璧な成果を、あって当たり前の機能として消費していただけだった。

「あんな……、顔、僕は知らない」

 テオドールは写真の中のセシリアを指でなぞった。
 王宮にいた彼女は、いつも「氷のようだ」と言われていた。

 冷たく、感情を見せない人形のようだと。
 だが、違ったのだ。

 彼女が冷たかったのではない。
 テオドールが、彼女を凍らせていたのだ。

 彼の無理解と、アリスへの偏愛という冷気が、彼女から笑顔を奪い、心を氷の中に閉じ込めていたのだ。

 今、温かい場所へ解き放たれた彼女は、こんなにも美しく笑う。
 その輝きは皮肉にも、テオドールの隣にいなくなったことで取り戻されたものだった。

「……殿下、いかがなさいましたか?」

 外交官が、顔面蒼白のテオドールを気遣うように声をかけた。
 テオドールは力なく首を振った。

「……いや、何でもない。ただ……」

 彼は言葉を続けられなかった。
 「僕が愚かだった」と認めるには、失ったものの大きさが甚大すぎた。

 彼女はもう、手の届かない場所で、自分よりも遥かに幸せそうに笑っている。
 それが、彼にとって最大の復讐であることに、ようやく気づき始めていた。

 一方、遠く離れたガレリア帝国の帝都。
 最新鋭の設備が整えられた研究所C.O.ラボで、セシリア・オルコットは窓の外に広がる青空を見上げていた。

 手には、刷り上がったばかりの新聞がある。

「マダム・オルコット。次の試作品のデータが出ました」

 若い研究員が、目を輝かせて報告に来た。
 ここでは誰も、彼女を王太子妃とは呼ばない。

 一人の研究責任者として、敬意を持って接してくれる。
 理不尽な横槍も、感情論での否定もない。

 論理と結果が全ての世界。
 それは彼女にとって、息ができる楽園だった。

「ありがとう。見せてちょうだい」

 セシリアは新聞をデスクの端に置いた。
 記事の中に、小さくサンタリア王国の近況が載っていた。

『王宮内、混乱続く。アリス嬢の奇行に国民の不満高まる』という見出し。

 だが、セシリアの視線はそこに留まることはなかった。

「ええ、素晴らしい数値ね。これなら次のラインナップに加えられるわ」

 彼女は研究員に向かって、自然な笑みを向けた。
 口紅を引いた唇が、綺麗な弧を描く。

 それは、誰かのために作った仮面の笑顔ではない。
 自分の人生を生きている充実感から溢れ出る、本物の輝きだった。

 かつての夫が、今頃どんな顔で自分の写真を見ているか。
 それはもう、彼女の研究対象ですらなかった。

 セシリアは白衣の裾を翻し、新しい実験室へと歩き出した。
 彼女の未来は、この広い空のようにどこまでも明るく広がっている。

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