「所詮は女の遊びだろう。生産性がない」と嘲笑う夫は、私の事業がどれほど彼を助けているかご存じないようです。~夫がいとこを優先させ続けた末路~

水上

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第14話:悲劇の始まり

 ヴァンガード邸の朝は、いつもと変わらぬ静けさで始まった。
 いや、正確にはいつも以上に静かだった。

「おい、ルイーゼ! 朝食はまだか! 今日はマティルダ夫人のお茶会という重要な日なんだぞ!」

 寝室から出たグラハムは、苛立たしげに声を張り上げた。

 しかし、廊下に響き渡ったのは自分の声の反響だけで、いつものように小走りで駆け寄ってくる妻の足音も、控えめな返事もない。

「……ふん。昨日の僕の言葉に拗ねて、まだ工房に引きこもっているのか」

 グラハムは呆れたように肩をすくめた。

『僕の視界に入るな』と言ったのは自分だが、まさか本当に顔を出さないとは思わなかった。
 相変わらず要領が悪く、夫を立てるという基本すらできていない。

 彼は舌打ちをしながら、足早に執務室へと向かった。
 お茶会へ持っていく新製品のサンプルと、挨拶の原稿の最終確認をするためだ。

 執務室の扉を乱暴に開け、立派なマホガニーの机に向かったグラハムは、その中央に見慣れない書類が一枚、ぽつんと置かれているのに気づいた。

「なんだ、これは」

 怪訝に思いながら手に取ると、そこにはルイーゼの几帳面な筆跡で、たった一言だけ添え書きがされていた。

『今後の処方はご自身の素晴らしいアイデアでどうぞ』

 そしてその下にあるのは、すでに彼女の署名がなされた離縁状だった。

 グラハムは一瞬、目を丸くしたが、すぐに鼻で笑い飛ばした。

「……はっ、馬鹿馬鹿しい」

 彼は離縁状を机の上に放り投げた。

「僕の気を引くための、子供じみた家出か。自分がどれだけ恵まれた環境にいるか、本当に分かっていないな」

 グラハムは本気でそう思っていた。
 王都で最も注目を集める美のカリスマであり、裕福な子爵家当主である自分。
 そんな完璧な夫から離れて、あの地味で取り柄のない女が一人で生きていけるはずがない。

 どうせ二、三日もすれば、惨めな身なりで泣きつき、「私が間違っていました、どうかお側に置いてください」とすがりついてくるに決まっている。

「今はあんなヒステリー女の相手をしている暇はない。僕には、マティルダ夫人を魅了するという崇高な使命があるんだからな」

 グラハムは離縁状のことなど完全に頭から締め出し、身支度を整えるために浴室へと向かった。

 大理石の洗面台の前に立ち、いつものように自分の顔を鏡に映す。

「うん、今日も完璧だ」

 彼は自分の頬に触れ、その吸い付くような弾力にうっとりとした。

 しかし、棚の上にあるはずの、見慣れた無添加石鹸の木箱が目に入らない。

「……ん? なんだ、ルイーゼのやつ。僕の専用石鹸の補充もせずに家出したのか。本当に使えない女だ」

 グラハムは不満げに顔をしかめたが、すぐに洗面台の端に置かれていた、ピンク色の石鹸――モニカが持ち込んだ合成着色料と人工香料の塊――に目を留めた。

「まぁいい。僕の肌は強靭で完璧だ。今日はこの、我が商会の輝かしい新製品で顔を洗うとしよう。これもプロモーションの一環だ」

 彼は一切の疑念も持たずに、そのピンク色の石鹸を手に取った。

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