「所詮は女の遊びだろう。生産性がない」と嘲笑う夫は、私の事業がどれほど彼を助けているかご存じないようです。~夫がいとこを優先させ続けた末路~

水上

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第16話:焦燥感と恐怖

 王都の高級住宅街にそびえ立つ、マティルダ・ウェントワース公爵夫人の大邸宅。

 その華やかな大広間に向かう馬車の中で、グラハム・ヴァンガードはかつてないほどの焦燥感と恐怖に苛まれていた。

「お兄様? どうかなさいましたの? なんだか……、お顔が……」

 向かいの席に座るモニカが、首を傾げてグラハムの顔を覗き込んだ。

 彼女は今日も、強烈な人工香水をふんだんに振りまき、ピンク色のドレスで着飾っている。
 その手には、マティルダ夫人へ献上するための粗悪な量産石鹸が詰まった豪奢な箱が抱えられていた。

「な、なんでもない! 少し、肌のトーンを明るく調整しただけだ!」

 グラハムは裏返った声で怒鳴るように言い返し、慌てて顔を背けた。

 彼の頬は今、ルイーゼが残していった女性用のファンデーションで、不自然なほど分厚く塗り固められていた。

 今朝、モニカの作った強烈なピンク色の石鹸で顔を洗った直後から始まった、顔中の赤み、発疹、そして粉を吹くほどの極度の乾燥。

 それらを隠すために、彼は必死に粉を叩き込んだのだ。

 しかし、その場しのぎの厚化粧は、彼の繊細な肌をさらに容赦なく痛めつけていた。
 毛穴は詰まり、皮膚は呼吸を塞がれ、ファンデーションの下では強烈な痒みと熱が暴れ回っている。

 爪を立てて顔を掻きむしりたい衝動を、グラハムは震える手を膝の上で固く握りしめることで必死に堪えていた。

(なんで僕が……、美のカリスマである僕が、こんな惨めな姿を晒さなければならないんだ!)

 グラハムは窓ガラスに映る自分の顔を横目で見た。
 かつての真珠のように発光する白磁の肌はどこにもない。

 そこにあるのは、炎症を強引に隠したせいで能面のように不気味に白く、すでに額や小鼻の周りからドロドロと崩れ始めている、哀れな男の顔だった。

「ねぇ、お兄様。私、とっても楽しみですわ! マティルダ夫人が私の可愛い石鹸を見て、どんなに喜んでくださるか。王都中の貴族たちが、私のセンスに平伏すんですのよ!」

 モニカは無邪気に両手を叩いてはしゃいでいる。

 グラハムはその声を聞くたびに、胃の奥が冷たく締め付けられるのを感じた。

『この合成着色料は肌に残留しやすく、金属アレルギーの原因にもなります。特に、あなたのように表皮が薄く敏感な方が使えば、数日で深刻な炎症を起こすでしょう』

『マティルダ夫人は、極度の敏感肌と強い香りを避ける体質でおられます。あの新しい石鹸の合成香料や着色料は、夫人の肌や呼吸器に深刻な影響を与える可能性があります』

 ルイーゼの言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。

 彼女は、最初からすべてを見通していたのだ。
 自分の肌がどれほど脆弱であるか。

 そして、モニカの作った石鹸がどれほど危険な代物であるか。

「……モニカ。君、本当に肌荒れを治す薬やオイルの作り方は……、知らないのか?」

 グラハムは、すがるような目でモニカを見た。

「我が商会のミューズであり、美容アドバイザーなのだろう? ルイーゼのやつは、いつも数種類の精油をブレンドして、僕の肌を一晩で元通りにしてくれていた。君にも、そのくらいの知識は……」

「えぇ? 薬の作り方ですって?」

 モニカは大げさに肩をすくめ、鼻で笑った。

 そして、とんでもないことを言い出したのだった。

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